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重野安繹 奄美 生麦事件 薩英戦争 幕末大転換

2017年02月05日 | 歴史 民俗

制度上、島妻は鹿児島へ連れて帰れないこともあり、妻(ウミ)も悲しいあきらめもあったのだろう。重野は子(ヤス 自分の名の一字)を鹿児島に引き取り文を書かせたという。

最近瀬戸内町の阿木名に「重野安繹先生流謫の地・寺子屋跡/安政八年~文久三年」と書かれた木碑(木標)が建てられ、説明版もある。

豪農とは、琉球王朝時代からの由縁人(ユカリッチュ)や、薩摩藩の支配下の新興勢力の衆達(シュウタ)でしょうか。鹿児島からの差配役人には武士とはいえ鹿児島では貧しい暮らしだったものも多く、彼らにとって島の豪農の屋敷や暮らしぶりは青天のへきれきだっただろう。

彼の墓碑に「島人鼎氏貯書数十函就而読之学殖増進」とあり、島人鼎(かなえ)氏の貯えた本を読んで学殖を増進した。(しまのゆ 島人鼎氏 google book検索)12ぺージ

当時これだけの書物を持つ人が島にいたということも驚くべきことだ。

参考 大奄美史 改定名瀬市誌 碑(いしぶみ)のある風景 しまぬゆ