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『西郷隆盛』 第二巻 単行本(全九巻) – 2007/11/7 海音寺 潮五郎 (著)

2015年07月29日 | 本と雑誌

 

第一巻からつづく

奄美大島、名瀬付近で、かつてよく使われた方言「はめつける」は嵌り込んで一生懸命励む、ほどの意味の、いかにも奄美の方言と思ってた。

 

 

西郷p376「ところで、あとがまがまた入っちょる塩梅(あんべ)でごわしてなあ。不埒なことでごわすが、これもよろしゅう頼みもす」
木場伝内 「ほう、そらまたハメツケ(精励)方(かた)ごわしたなあ。ようごわす、ようごわす。引き受けもしたぞ」p377

こんな場合決して深刻な顔と深刻な表情では語り合わない、仲のよい薩摩人同士の諧謔まじりの問答。最も薩摩的な男の対話調。であると。

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上野の銅像から説き起こされた第一巻

維新の尊王論や薩摩藩の歴史を説き、西郷の成長の過程が描かれ、
やがて斉彬の抜擢、水戸・徳川斉昭側近・藤田東湖からの薫陶、藩政改革、お家騒動、ペリー来航 将軍世子問題 井伊直弼登場
のあたりで終わる。奄美渡海の話は斉彬の登場、お由羅騒動あたりで、ややくわしくなる。

第二巻

斉彬の急死、安政の大弾圧が厳しくなり、西郷の身辺もあわただしくなり。
西郷は悲観にくれて僧月照と合い抱き合い錦江湾に身を投げ、一人蘇生する。
幕府捕吏の追及を逃れ藩命により奄美大島での移住が始まる。

最初は島に慣れず、自棄になる西郷だが、次第に互いの理解が深まり、
精神の安定、充実を取り戻す。その次第は、「西郷と陽明学」の一節が加わり、重厚な筆致。

奄美の人々の言葉はわかりやすいよう、よく知られた鹿児島言葉風になっている。
しかし、めくじら立てるととではあるまいと思えば、そう違和感はない。

ある日、地元の達人の猟師と行った狩場で失敗。猪狩の腕を貶され、恐縮する西郷。つづく失敗。だいばん猪、捕り逃がす。罵倒にもめげず(こいは、まこて、重ねがさね、あいすまんこつでごわすっ)再度教えを請う西郷。猪は捕れず。「あっげっ、げえ、もう、あんたみたいないんがには、教え切らんど、ちゃ、ばあど。しった、3回もばくらせばや~。(←この方言は私の想像)それでもくらいつく西郷の姿。狩場ではリーダーの命令は絶対だ。英雄といえども・・だ。西郷あとで豚を馳走して礼をあらわす。このあたりの描写は圧巻だ。

そんな中、島の名家(龍家)の流れをくむ美しい娘との結婚。人々の申し出はことわりきれなかった。
長男(菊次郎 後の京都市長など)誕生とつづいて、新居の落成、などできごとがつづき
ついに、風雲急を告げる鹿児島から待望?の召還状が西郷のもとへ届く。

冒頭の鹿児島弁のやりとりは、鹿児島から赴任してきた役人と西郷の会話だ。お腹の子は菊草(のち大山巌の弟の大山誠之助の妻となる 菊子)と思われる。

 

読みなれた目であらためてみれば、島の中のよい男同士の会話のようにも聞こえる。
むしろ、島特有の諧謔まじり、冗談まじりのまじめな話のようにも思える。

たぶん多くの日本人にも、うなずけるところがあるのではなかろうか。
そうであれば、やはり西郷は(内村鑑三)いう『代表的日本人』なのだと思う、ところが随所にあった。

つづく



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