『本当は偉くない? 歴史人物 』日本を動かした70人の通信簿 (ソフトバンク新書)
八幡 和郎 (著) google
2009 10/20 初版第一刷
タイトルがウソっぽいと思いつつ、
人物評価を点数でというのは、テイ俗っぽいな、と思いつつ
しかし、それがおもしろいかも知れないというノリで買って読んだ。
元経済官僚としての著者の歴史を見る視点など、得るものはそれなりにあった。
本書は70人の歴史上の人物について評価をして10点満点の採点「偉人度」がつけられる。
トップバッターは卑弥呼(ひみこ)で、
「日本歴史上に何の痕跡も残さない女酋長」として「偉人度3点」と低い。
さいごは小泉純一郎で、「政策実現能力はあるが目標が無茶苦茶」として「偉人度3点」
最も高いのは岩倉具視の10点「明治前半の最大実力者は大久保ではない」「建前からいっても薩長でなく公家たちだ」
知名度もあまり高くない?のに意外と「偉人度9点」で登場するのが、
薩摩藩の第8代藩主島津重豪(しげひで)
本書で唯一(というか、こういう本にも出てくるんですね。沖縄は出できません)奄美の文字が。
島津重豪(しげひで)「太平の信長として薩摩を変えた。」
「視野を広く世界に求め、幕府が太平の眠りについている間に後進国薩摩を世界とともに歩みさせ始めた。無茶もしたが、斉彬(なりあきら)や久光よりこの人こそ薩摩変革の功労者」と評価が高い。
とは言っても重豪(しげひで)は「恐ろしい独裁者であり、散財を続け奄美などの農民から収奪を繰り返した。」P162 と評価にバランスをとっている。
重豪(しげひで)が薩摩で実権をにぎり続けたのは8代将軍吉宗の死から間もない1755年から開国の足音が聞こえはじめる1833年までと長い。
学問に興味を深く示した(蘭癖(らんぺき)のことや、積極的に政略結婚をすすめる政策などによる浪費、島津のお家騒動による政治犯の奄美への遠島、下級武士の調所広郷を重用した藩財政再建(「御改革第一の根本は」(1830)奄美の砂糖収奪)のことなど
重豪(しげひで)は奄美も歴史を考える上でも欠かせない人物である。
重豪(しげひで)は、江戸時代後期の政界に絶大な影響力を持ち、高輪下馬将軍と称され、賄賂政治のあの田沼意次とも親しかったという。
重豪(しげひで)は、西郷が生涯忠誠を誓った斉彬(なりあきら)の曾祖父。
研究つづく
内容(「BOOK」データベースより)
歴史上の有名人たちの評判というのは時代とともにコロコロ変わるのが常だ。たとえば直江兼続は、明治に出版された伝記のおかげで突然有名になり、いまや大河ドラマで秀吉、家康と並ぶ有名人になった。では、本当のところはどうなのか。大河ドラマの主人公はみんな偉いのか、信玄は、信長は、龍馬は?本書では政治家や武将を中心に、歴史人物70人の評判の変遷をたどりつつ、ズバリ本当のところの評価を下していく。著書による10点満点の採点付き。歴史ブームのいまこそ知りたい、あの人物たちの実像に迫る。
歴代藩主 wiki
島津家
外様 77万石
1家久/忠恒(いえひさ/ただつね)
島津氏弟18代当主 初代鹿児島(薩摩)藩主1601-1638。義久の養子、義弘3男
2光久(みつひさ)19 1638-1687
3綱貴(つなたか)20 1687-1704
4吉貴(よしたか)21 1704-1721
5継豊(つぐとよ)22 1721-1746 徳川綱吉の養女・竹姫を娶り、江戸将軍家と縁戚関係になる
6宗信(むねのぶ)23 1746-1749
7重年(しげとし)24 1749-1755 宝暦治水など幕府の普請に苦しんだ。
8重豪(しげひで)25 1755-1787 娘が徳川家斉の正室となり高輪下馬将軍の異名をとる。
9斉宣(なりのぶ)26 1787-1809 近思禄崩れにより失脚。
10斉興(なりおき)27 1809-1851 藩政改革を推し進める。お由羅騒動によって失脚
11斉彬(なりあきら)28 1851-1858 開明的な幕末の名君として知られる
12忠義(ただよし)29 義1858-1869 斉彬の養子。島津久光の嫡男。27代斉興の孫。