奄美 海風blog

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赤崎公園から無人島

2004年12月09日 | 歴史 民俗
041209-yokoatejima名瀬市赤碕公園から横当島が久しぶりに見えました。

撮影時の気象条件 
時間 気温 降水量 風向き 風速 湿度 日照時間 気圧
12 21.5 無し 南東 3 64 0.8 1022.0  赤崎公園上空、雲 青空半々。
きのう深夜(9日午前1時ごろ)大雨。
1 16.8 5.5 北北西 1 89 無し 1022.1
梅雨後天晴、海上嶌の形見ゆる事あり。就中笠利間切之出浜よりみるもの多し。
名越左源太という人が江戸時代の終わりの頃見た奄美大島のことを書いた、『南島雑話』という本に、横当島のことが書かれています。他に、大島の属島として、佳奇呂麻、請、与路、喜弥奴馬、屋喜嶌、多古戸利瀬、喜界地。
横当島は、与波天(よはてん)。
「三つを合わせて壱島一名とす。又御神嶋と云。」とあります。
「大和浜より螺取り漁にいたる。」
? 螺=つび 巻貝の古名。つぶ。つみ。[和名抄]
「中の島山高くして焼烟(やくけむり)常に立つ」
また、沖縄の久高島の人が常に来て漁をしていたという。
久高島の人はこの島から帰るときは、水のあるところを深く隠したという。
それは、「若し水あれば魚取る者大島辺より多く来り居住せん事をきら」ったからだという。
この島には、エラブうなぎ(うみへび、薬用)、そのほかの魚類が多いといい、「久高之人大島来永良部鰻魚取」という絵をかいている。
そこには、ふんどし姿で泳ぎながら片手(素手)で、泳いでいるエラブうなぎを捕まえている人の絵が描かれている。エラブうなぎの体長は、泳いでいる人の身長の半分以上、太さは手首くらい。
これは、左源太の想像図か。
これは、永良部鰻が南島水人の北漸を促す要因なっていたことのひとつの傍証として貴重なのだそうです。

ブログネタ探しも、勉強になります。難しい漢字入力の勉強にもなりましたが、読みづらくなりました。





赤尾木 風変わりな墓 &夏から冬へ

2004年12月05日 | 歴史 民俗

041205-shisekibo日本南の島に秋はないのか、と思わせた、今朝10時の名瀬の気温18.9度。風強く、冬到来を実感。(昨夜19時の気温25.4度)
そんな中、またまた龍郷町赤尾木へ行きました。

地元の人が「ハヤ」とよんでいるという風変わりな墓の写真を撮りました。
墓の上の盤石の長さは縦、横2m、1mくらい。畳一枚より少し大きい。石の厚さ2~30cmくらい。大、小いくつかあった。
他にもあるものの内、これは最大だという。
クワズイモ、ガジュマルの奥は畑、民家。前の道路は目の前の浜で行き止まり。海ではウィンドサーフィン。

説明版(昭和52年)には、(人骨を入れるために板石で囲いをしたもの)とあった。
「約300年前から明治初期まで続いたと思われる}との説明も。
これは板石墓という説明なのだろう。

これが、考古学上の支石墓=ドルメン(ドルは卓、メンは石)だとして、朝鮮人のものであったとすれば、話は弥生時代におよび、東シナ海文化圏へと、ロマンに満ちてくる。
お墓の歴史
弥生時代の墓制
長崎県原山ドルメン

ヒントは柳田國男 海上の道、子安貝、朝鮮西岸から中国東岸を南下する寒流。
海あるがゆえの「離島苦」は古代人の考えではない。海は未知の世界への羽ばたきの場であった。

支石墓という言葉は、前田長英著『道の島史論』奄美の歴史を考える 奄美文庫平成5年3月発行 で知りました。
その他の前田長英著書 『潮鳴島』 『徳之島の昔話』 『黒糖悲歌の奄美』 『黒糖騒動記』

歴史なんか知らなくても、目の前の海の風景を眺めるだけで、南の島の旅のロマンは十分味わえます。

目の前は、隕石落下で出来た奄美クレーターです。

大きい写真で見る 2006.04.13
An odd grave site near Akaogi-beach 龍郷町赤尾木海岸近くの風変わりな墓


風強く、天気悪い、気圧下がる、半袖

2004年12月04日 | 気象 お天気
風強く、天気悪い。21時22ミリの雨。
ここのところ、夜になり日中より気温が上がる傾向続く。

今日の名瀬
19 25.4 1.0 南 8 80 無し 996.6
時間 気温 降水量 風向き 風速 湿度 日照時間 気圧
最高気温25.7 最低21.6

昨日の名瀬
19 23.0 無し 南東 2 69 無し 1020.4
最高気温23.3 最低 20.6


この鳥は

2004年12月03日 | 生き物観察

041203-tori向こうを眺めているようにも見えますが、こちらを警戒しています。
安全な距離が脅かされたようです。
(運転席から10倍ズーム)
ここは、たまにしか車が通らない未舗装の道です。
このあと、すぐ飛び立ち、少し沖合いで安全な距離を保ちます。


龍郷湾海軍特攻基地跡

2004年12月02日 | 歴史 民俗
041202-kaigun公爵さん、コメントありがとうございました。11/30の記事ん、そういわれてみれば、と思い、龍郷町に散歩に行きました。
看板の地図に従って、名瀬から屋入(やにゅう)トンネル手前の旧道を行きました。しばらく行った所に看板がありました。(写真 1)。そこから100メートルほどの所(写真2)から海岸に下りると、写真3の石碑、海軍用地第九号と読めます。第は略字。石碑の高さは1メートルくらいだったでしょうか。原画像を拡大して見ると、九の文字の横になにやら古代画のような模様が。(光線のいたずらか)
後で楽しみます。
写真4は、2から先の「古事記の世界のような」すばらしい風景に見とれているうちに、行き止まりまで行ってしまって、引き返してきた所です。2からは道のりで1キロくらい離れた所でしょうjか。近所の、名瀬から通って農業をしているという人は防空壕と言っていました。
これは、呑之浦のボート格納庫と似ているかも知れません。


アサギマダラ マーキングを撮る。

2004年12月01日 | 生き物観察
041201アサギマダラが羽を閉じたり開いたりする時間の間隔は、初心者がシャッターを押すタイミングの練習にちょうど良いのです。

アサギマダラは渡りをする蝶として知られています。
マーキング調査は、謎の解明のためだろう。
分からないことが多いらしい。

春北上、秋南下ということですが、アマミでマーキングされたらしい、この蝶はこれからどこへ行くのだろうか。
不思議をひも解いていく前に、そう考えた。
(昨日の撮影 名瀬市)

空から見る奄美の山と海は、また格別なのですが、蝶でないヒトは 奄美行 格安航空券で検索してみる。