昨日の秋名(あきな)に次いで、高倉の写真を撮ろうと、大和村に向かった。現地で、充電中のカメラのバッテリーを忘れたことに気づき、引き換えした。
もう一度行く時間も気力もなく、近くの奄美文化センターへ。
結局、高倉の屋外展示はここが一番充実していると思った。おまけに今日は、屋根の葺き替え作業をしていたので、蔵の中まで覗くことができ、ラッキー。
高倉の屋根のすぐ下の部分が、稲の脱穀・調整までの一時的保と、翌年までの種籾の保管場所(穀物倉庫)として使われたという。
釘は使わず、倉庫の中の穀物を、台風や、湿気、ネズミの害から守る構造になっている。
第一印象はは「素朴」。民俗学の基本のひとつは「比べる」ことらしいのだが、いろいろ見ていると、奄美の高倉は実に美しいのだ。
それに、蔵を上にあげるというのは、単純なようだが実にいい考えだということに気づいた。
昔の、富農、豪農とか分銀者(ぶぎんしゃ)になった気持ちで考えた(平成の、どろぼうになったつもりでもよいのだが)。
一枚の板を階段状にけずった、ハシゴがなければ蔵には登れない。登って物色中に気づかれ、ハシゴをはずされたら、現行犯逮捕も容易だ。入り口は狭く、中は暗い。下からハシゴで出口をふさぐことも出来るだろう。ハシゴでつつかれ、頭でもクォラワサれたらドロボウはたまらない。(昔の奄美にドロボウ対策は必要だったかどうかはあとで考える)
子供や女性は、蔵には登ることは許されなかったと聞いた。
高倉は、形は違うが東南アジアのラオスや、沖縄、八丈島、アイヌにもあるらしい。
古代以来の伝統をうけつぐ奄美の高倉の調査研究をしている学生さんたちがいることはたのもしいが、つくりきる人がおらんくなったら、絶滅だって危惧される。
1971年、奄美諸島の高倉は、茅葺、トタン屋根合計1152棟、1984年には501棟に激減。
参考 下野敏見 著 『奄美、吐【カ】喇の伝統文化―祭りとノロ、生活』 鹿児島県の伝統文化シリーズ (3) 2005年2月10日発行
今日の写真は、とりあえずここ奄美海風荘アルバム高倉Takakura-Granaryにアップしました。
奄美の高倉を見ることができる主な屋外展示施設
奄美文化センター、一万人ひろば(名瀬市)
大浜海浜公園(名瀬市)
奄美パーク(笠利町)
大和村大和浜のボレグラ(群倉)県道脇
鹿児島県立博物館(鹿児島市)
など
<余談>
『南極のペンギン』という本の著者とこの高倉とのつながりはありませんが、この本の「奄美の画家と少女」という章の画家とは田中一村のことで、上の写真4枚目の高倉のイメージの建物は田中一村記念美術館です。