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『漱石人生論集』 夏目 漱石 (著) (講談社学術文庫) 文庫

2016年06月17日 | 本と雑誌

漱石人生論集 (講談社学術文庫) 文庫  – 2015/10/10
夏目 漱石   (著)  

5つ星のうち 4.8
5件のカスタマーレビュー

都知事の政治資金をめぐる第三者による調査報告書の記者会見を見ながらこれを読んでいた。(TVを見ながら読むには本書の内容、文章ともけっこう難しいのだが)

弁護士が記者の質問に対し、気色ばみ居丈高な態度で「関係者とは関係者ですよ」とか言っていた。ああ、これはだめだなあ、思いながら読んていたものだ。出来事(疑惑問題)の本質的問題ではまったくないのだが)

まあ、余談だが、その知事と夏目 漱石の共通点は、探せなくもない。東大もそうだが、「庄屋」もキーワード。無理に見たら写真も似てなくもない。

「木曜会」の門下生ということで芥川 龍之介を通じて湯河原にもつながるのだ。(芥川だけでなく湯河原温泉は多くの文豪を魅了した)。

知事の漱石や龍之介への傾倒ぶりを伝える芸能記事も最近読んだ。

漱石の人生も人柄も「千円札」とつつましやかだが、それだけに小説のほとんどで描かれる人生論は重みがある。

本書の「個人主義について」を読むと、現在の日本の民主主義について漱石はどういう風に語るのだろうかと思う。話にならんのだろうか。

====

漱石没後100年(1916年12月9日)ということで名瀬の書店でも本書に出会うことができたのだろう。

amaozn 内容(「BOOK」データベースより)

『吾輩は猫である』で文壇に登場し、亡くなるまでの約十年に近代知識人の内面を描いた作品を次々と発表した漱石。「作品のすべてが人生を論じている」という作家・出久根達郎氏が、雑誌への寄稿、講演、さらに妻・鏡子や正岡子規などの友人、芥川龍之介など門下生に宛てた書簡を編集。人間と人生を深く洞察した漱石ならではの警句と知恵に満ちた書。


登録情報

文庫: 224ページ
出版社: 講談社 (2015/10/10)
言語: 日本語

発売日: 2015/10/10


フクギ 雄花 雌花

2016年06月17日 | うんちく・小ネタ

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琉球エキスプレス(阪神航路)荷役作業済次第徳之島向け出港の図 昨夜10時過

2016年06月16日 | 船 

名瀬港 待合室 まもなく閉まります。

Naze port ferry terminal waiting room


去年の記事 ソテツ 雄花枯れ出す。 雌花閉じる。

2016年06月15日 | 日記・エッセイ・コラム
 
ソテツ 雄花枯れ出す。 雌花閉じる。
奄美の梅雨は、まだ明けていないが、沖縄が明けて(6/11)から、いい天気。毎度のことのように思う。ソテツ雄花の咲いている時期は梅雨の季節と重なる。しぼんで枯れると、......
 

今年は、開花が遅く、今、雄株、雌株の花も真っ最中。

去年の花も雌雄とも残っている個体がいくつか見られる。


定期船クインーンコーラル8 上り 名瀬港接岸 昨夜

2016年06月14日 | 船 

 


oooooooooooooo

 


『義民が駆ける 』レジェンド歴史時代小説 (講談社文庫) 2015/10藤沢 周平 (著)

2016年06月12日 | 本と雑誌

『義民が駆ける 』 レジェンド歴史時代小説 (講談社文庫) 文庫 – 2015/10/15

藤沢 周平   (著)

 

天保一揆、天保義民とか呼ばれる羽州(出羽国)庄内藩領民の藩主国替え阻止騒ぎ。
wikipediaでは 天保義民事件 で検索できる。

天保11年(1840年)といえば、薩摩藩では 調所広郷による行政・農政改革や琉球を通しての清との密貿易などで、藩財政がもちなおし、十年前には500万両にも及んだ膨大な借金が250万両の蓄えが出来る程にまでに回復したといわれる年だ。

調所は、大島・徳之島・喜界島などの砂糖専売制の強化をその「第一之根本」とした。

余談だが、九州、なかでも薩摩(鹿児島)藩は農民一揆の少なかったといわれるが、

「犬田布騒動」(犬田布農民一揆) 徳之島 参考 『碑のある風景』足でまとめた奄美大島史 ほか

文久2(1862年)砂糖収奪が厳しさを増すなか犬田布村の砂糖見積もり不足疑いを調べる詰役が農民に拷問を加え、これを知った村人たちが砂糖小屋を破壊、役人に棒を持って迫り、砦を築いて結集、一戦を交える構えを見せる。これに対し、逃げ出した詰役は、島役人を集め、武装して村人たちに対峙した。

砂糖惣買い入れ制移行前、文化12(1815)年の母間騒動との違いは、島役人が代官所に全面協力していること。

1816年文化13年母間騒動(徳之島)

課税が高すぎ払えないと訴える母間住民代表の一人を牢に入れた代官所に武装した住民数百人が乱入、牢を打ち破り救出する。

加世田一揆 

1858(安政5)年 鹿児島本土 調査中

などがある。

それらなどを思い出しながら読んだわけだが

藤沢はあとがきで、「百姓たりといえども二君に仕えず」は、やり過ぎだと私には思えた。

と書いている。それには媚があり、不愉快に思っていたと。

この小説を書き終えて、別の思いが加わる。

農民や義民と一口に言っても「中身は複雑で奇怪でさえある」と。

島の農民の場合は、さらに複雑な要素が加わる。

この記事は書きかけです。

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藤沢周平 書籍作品あれこれ 《義民が駆ける》|荘内日報社

【義民が駆ける】 史実検証し疑問解く|山形新聞


amazon 新装版 内容(「BOOK」データベースより)

江戸後期の天保年間、老中水野忠邦から突然命じられた理不尽な三方国替え。越後長岡への転封を強いられた藩主を守ろうと、荘内藩の百姓たちは越訴のため黙々と江戸を目指す。深山にわけ入り間道を伝って歩き続ける領民の相貌と彼らを衝き動かした情動を精緻に描く、新装版の傑作歴史長編。

旧版 

歴史小説の真髄がここにある。
江戸幕府から突然命じられた三方国替え。越後長岡への転封を強いられた藩主を守ろうと、荘内藩の百姓たちは越訴のため黙々と江戸をめざす。「雖為百姓不仕二君」を旗印に深山にわけ入り間道を伝って歩き続ける領民たちの相貌と彼らを衝き動かした情動を精緻に描く傑作歴史長編を講談社文庫にも収録。

登録情報

  • 文庫: 464ページ
  • 出版社: 講談社 (2015/10/15)

 

 


パパイア

2016年06月11日 | 植物


wikipediaメキシコ南部から西インド諸島を原産[4]とする(草本性)常緑小高木である。16世紀初めにヨーロッパ人に発見された。多くの熱帯の国々で栽培されており、日本では、沖縄などで人家の庭に自生している。

パパイア(パパイヤ、蕃瓜樹、万寿果、英語: Papaya、papaw、pawpaw、学名:Carica papaya L.[)

パパイア科パパイア属の常緑小高木である。その果実も「パパイア」という。「チチウリノキ(乳瓜木)」、「モッカ(木瓜)」、「マンジュマイ(万寿瓜)」、「パウパウ」、「ポーポー」、「ママオ」、「ツリーメロン」などと呼ばれることもある。

 

 


去年の記事 波の音 カメラ水没 奄美地方今年も梅雨明お預け2015 沖縄梅雨明け

2016年06月11日 | 気象 お天気
 
波の音 カメラ水没 奄美地方今年も梅雨明お預け2015 沖縄梅雨明け
沖縄が今日6月11日 梅雨明け、平年より12日去年より15日早い ★奄美地方は晴れなのに今年もおあずけ 平年 6月29日 去年7月 4日 奄美市知名瀬漁港横の浜 今日お昼写...
 

 


動画 グンバイヒルガオ ハマゴウ 奄美市名瀬朝仁海岸

2016年06月05日 | 海の風景

気象庁は4日、「九州と四国、中国地方、近畿、それに東海で梅雨入りしたとみられる」と発表した。

これで、沖縄・奄美から東海にかけての広い範囲で梅雨入りしている。

奄美地方の梅雨明けの判断は、いつものことながら、ムツカシそうだ。


大浜のアダン イトバショウ グアバの花と実 

2016年06月04日 | 日記・エッセイ・コラム

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『回天の門』 上 下巻 (文春文庫) 2016/3/10 藤沢 周平 (著)

2016年06月03日 | 本と雑誌

この記事は書きかけです。

『回天の門』 上 下巻 (文春文庫) 2016/3/10
藤沢 周平 (著) 

これも名瀬の書店でみつけた
2016/3/10 の新装版(1978年刊行)だが、
なにかあるのかなあ。

上巻は、藤沢らしい、わかりやすいく端正な文章で、
14歳の元司(清河八郎)の廓遊びの話から始まる。

このまま、フィクションでいつもの藤沢作品のような上質で切れのいい展開を
期待したいことろだったが、下巻では一転、幕末の血なまぐさい政治の話になる。

司馬遼太郎をして「幕末は清河八郎が幕を開け、坂本竜馬が閉じた。」と言わしめたという
清河八郎をとりあげた主な作品は、

司馬遼太郎の「奇妙なり八郎」
柴田錬三郎清河八郎 (集英社文庫) 文庫  ? 1989/11
海音寺潮五郎 幕末動乱の男たち〈上〉 (新潮文庫) 1975/1/31

などがあるが、

藤沢はあとがき」で
「清河八郎は、かなり誤解されているひとだと思う。山師、策師あるいは出世主義者といった呼び方まであるが、この呼称には誇張と曲解があると考える」
と書いている。

たとえば

p323慶応三年十月、薩摩藩の西郷、大久保は、幕府を挑発するために
江戸から関東一帯に騒乱を起こし、また岩倉具視とはかって
討幕の密勅なるものを偽造し、薩摩、長州ニ藩の藩主父子にくだした。

これを山師的策謀と言わないのは、時代が煮つまって来て、
手段を顧みるいとまがなかったという一面があるにせよ、
西郷や大久保が結局は当時の幕藩体制の
内側にいた人間だったからだとは言えないだろうか。p323

ひとり清河八郎は、いまなお山師と呼ばれ、策士と蔑称される。
その呼び方の中に、昭和も半世紀をすぎた今日もなお、
草莽を使い捨てにした、当時の体制側の人間の
口吻が匂うかのようだといえば言い過ぎだろうか。p328

藤沢としてはかなり強い口調だ。

清河八郎、辞世の歌ともとれる
「魁がけてまたさきがけん死出の山 迷ひはせまじすめらぎの道」


===あとで、このへんに、久光卒兵上京、寺田屋事件=薩摩藩志士粛清事件 西郷二度目の遠島(徳之島 沖永良部島)について書くこの記事は書きかけです。

 

寺田屋事件(薩摩藩志士粛清事件 文久2年4月23日(1862年5月21日)文久2年4月23日(1862年5月21日))
の真相は、清河八郎が田中河内介(青侍=貴族・公家の家政機関に勤仕する侍)と図った京都挙兵と
いわれる。
田中は、寺田屋事件で捉えられ薩摩へ護送の途中、沖合で斬殺され海中に捨てられるが。
清川は寺田屋へ行っておらず、難を逃れている。

 

寺田屋事件の前、文久2年4月6日、久光は、西郷が下関で待ての命令を破り、志士を煽動しているとして、西郷・村田新八・森山新蔵の捕縛命令を出した。
西郷らは10日、鹿児島へ向けて船で護送された。

 

その後、西郷が赦免され沖永良部から鹿児島に帰ったのは、元治元年(1864年)2月28日であった。
禁門の変(元治元年7月19日1864年8月20日)に西郷は再び中央政治に復帰する。
 
清河八郎は、文久3年4月13日(1863年5月30日)に幕府の刺客によって麻布一ノ橋で暗殺される。
こうしてみると清河八郎の活躍が場外ファールとすれば、西郷の維新までの活躍はジャストミートであったようにも見える。

ーーーーーーー

p214「それではご家老におたずねするが、倒幕というほどの大事が準備万端ととのって実現するとでもお考えか」
「・・・」
「それがしは、さようには考えない。倒幕の機運は、われわれみずからがつくりだすものだと信じている。
機会をとらえて、一歩でもそこにむかって足場を築く。われわれはその足場づくりで倒れるかも知れん。だが
それで十分だと考えるものだ。後につづく者が、その足場をたよりに、さらに一歩倒幕にむかってすすめばそれで
よろしい。。その意味で、今度の久光公の上洛は、倒幕への最初の足掛かりを築く、願ってもない機械でござった。
断言してもいいが、こうした機会はもはや当分訪れまい」

この記事は書きかけです。