カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

母・優しさのルーツ

2004年09月06日 | ▼ 思い出綴り
母方の従兄弟の一周忌の法事に出席した。
法事に出席する人達も世代が代わってきていると、1年前の葬儀の時に思った。
母を知っている人も少なくなってきている今、この機会に、母の事を是非聞いておこうと思っていた。

4歳で父を、9歳で母を亡くしたと聞いていたが、その後どのように、誰に育てられたのか詳しくは聞いていなかった。悲劇の主人公のような自分の生い立ちを語りたくなかったのか、そういうことを否定する、もっと暖かいものが母の周囲を包んでいたのか、疑問に思いながら、母には尋ねなかった。

母を知る人は口を揃えて、神様のように良い人だったという。未だ嘗て、母の悪口を聞いたことが無い。両親の愛情を知らずに育った場合、人の幸せを羨んだり、僻んだりしがちな筈なのに、そんな影は、80歳で命を終えるまで無かった。

母は、叔父(父の弟)夫婦に育てられた。町で本屋を営んでいた叔父が母を引き取り、自分の子3人と同じように本屋で暮らした。料理も、裁縫も叔母に教えられた。明治生まれの母の時代、女学校に行く人が稀だったのに「親の無い女の子に教育を附けておいてやろう。何か役に立つだろう」と、叔父の考えて、県立女学校を終えた。学費は叔父が出してくれたらしい。本屋で大きくなっただけに、母は読書が好きで、晩年も書物を友としていた。

女学校を卒業した母は、大阪の商社に勤め、タイピストとして、嫁ぐ日まで働いたという。24歳で教員をしていた父の元に嫁いだ。お見合いである。当時神戸そごうの呉服部に勤めていたすぐ上の兄が、嫁入り道具の全てを調達したのだと聞いた。

母の従兄弟から、法事の食事の間に聞いた、母の生い立ち。今ならさしづめ、施設で大きくなるかもしれない境遇にあったけれど、親戚、兄弟の暖かさに包まれ、それを感謝しつつ生きてきたのだと知った。母の優しさのルーツを知った思いである。
コメント (8)
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