月命日のお参りに来てくださった菩提寺の住職から、
「安部文殊院に、コスモス迷路がありますよ。」と教えていただいた。
どこまでも青い空を見ていると、「行こう」 思い立ったが吉日とすぐに車を走らせた。
午前10時、この時間帯は道路が空いているので1時間足らずでお寺に着いた。
本尊が文殊菩薩のこのお寺には、入学祈願のお参りに何度か訪れている。
入試を目前にしたときのお参りだから、大抵は冬だった。
年の離れた弟、甥、我が子とその都度願いを、絵馬に書いて奉納したものだった。
懐かしい思いで境内を散策する。こんな明るい空の下の文殊院は初めてだ。冬の空と、受験という重りが圧し掛かった頃との違いが、気分的にもはっきりしている。
コスモス迷路の花にはまだ早すぎた。背丈ほどのコスモスで迷路は作られていた。それでもちらほら花が顔を出している細い道を、行っては突き当たり、戻っては違う方向に歩くのが、子供に返ったようで、結構面白かった。
これが花真っ盛りならどんなに良いだろうと、後半月後にもう一度来ることにして、山門を出る。
「安部文殊院に、コスモス迷路がありますよ。」と教えていただいた。
どこまでも青い空を見ていると、「行こう」 思い立ったが吉日とすぐに車を走らせた。
午前10時、この時間帯は道路が空いているので1時間足らずでお寺に着いた。
本尊が文殊菩薩のこのお寺には、入学祈願のお参りに何度か訪れている。
入試を目前にしたときのお参りだから、大抵は冬だった。
年の離れた弟、甥、我が子とその都度願いを、絵馬に書いて奉納したものだった。
懐かしい思いで境内を散策する。こんな明るい空の下の文殊院は初めてだ。冬の空と、受験という重りが圧し掛かった頃との違いが、気分的にもはっきりしている。
コスモス迷路の花にはまだ早すぎた。背丈ほどのコスモスで迷路は作られていた。それでもちらほら花が顔を出している細い道を、行っては突き当たり、戻っては違う方向に歩くのが、子供に返ったようで、結構面白かった。
これが花真っ盛りならどんなに良いだろうと、後半月後にもう一度来ることにして、山門を出る。