言い伝えによると、雄略天皇が葛城山に行くと、自分とそっくりな人に出会いました。そこで名を尋ねたところ「吾は悪事も一言、善事も一言で言い放つ神、葛城の一言主大神ぞ」と答えたと伝えられています。
一言であるならばどんな願いも叶えてくれると信仰を集め、”いちごんさん”の名で親しまれている神社です。
山麓線を車で走っていても、大きな公孫樹の黄が黄葉しますと、そこが一言さんであることが分かるほどの、存在感のある公孫樹の大木が境内にあります。
しかし今年はその公孫樹に異変がありました。
境内のもみじの紅葉です。
境内の紅葉は、行く秋を惜しむかのように美しく華やいでいます。その境内にあって一言主神社のご神木の公孫樹は、その華やぎから取り残されています。1200年を生きてきた公孫樹は幹に乳根がたくさんあることから、子育ての木として多くの人の信仰を集めてきました。いつ訪れても、そのようなお参りの人と出会います。
何処の公孫樹の葉もすでに黄葉している時ですが、ご神木の公孫樹の葉はまだ緑のままです。 治療中のためでしょうか、太い幹から多くの枝を切り落としたせいでしょうか、とにかく今は満身創痍の痛々しいご神木ですが、回復への過程として優しい気持ちで眺め、全快への願いが叶えられますようにと、暫くは傍を離れることができませんでした。
公孫樹の養生についてのお知らせの張り紙がありました。
根尾の薄墨櫻のことをふと思いました。 櫻を愛する人や、樹木医の手厚い養生のお陰で見事に甦って、毎年花を咲かせ続けている木の命のように、一言主神社の公孫樹も何年かの後に、元気な若い枝が見事に神木一言主神社の、この老木から命を繋いでくれることを祈りました。
例年の秋は、黄色天井のような枝振りの下の石段を、頭の上に、公孫樹の温かさを感じながら下りて神社を後にしていましたので、このもみじは二の次の印象でした。真っ赤に染まったもみじを見上げて申し訳なかったような気持ちです。