明日香での蹴鞠会のとき出会った、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)が、この談山神社の裏山で、蘇我入鹿の暴逆を、何とかしようと話し合って、飛鳥板蓋宮で、入鹿を討ち取って中央統一国家という偉業を成し遂げた、大化の改新談合の地が、裏山の談らい山です。その伝承から談山神社は御祭神は藤原鎌足公です。
669年10月鎌足公の病が重いと聞いた天皇は、自ら鎌足公を見舞い後に藤原の姓を与えました。藤原氏はここから始まったのです。
鎌足公の没後お墓は、現在の大阪府高槻市に造られましたが、678年唐から帰国した長男定慧和尚が、鎌足公の遺骨の一部を多武峯山頂に改葬し、十三重塔と講堂を建立しました。妙楽寺というお寺としましたが、さらに701年方三丈の神殿を建て、鎌足公の御神像を安置しました。
これが談山神社の始まりです。 談山神社由緒の栞から、一部省略しながら自分なりに理解したことを十三重塔の画像を、今回集めて、書いてみました。
談山神社の十三重塔が、今ここにあるそのルーツは、中央統一国家、文治政治の完成という偉業を成し遂げたことに遡るものとして、もみじの紅葉の中に建つ塔に、乱世からの一つの区切りとして改めて感慨深く眺めていました。