4月の行事予定には、8日「飛鳥寺の花会式」と書いています。
もうかなり前から、毎年飛鳥寺にお詣りして、先ず甘茶を頂いて
花で飾られた誕生仏に、甘茶をかけて、これまでの無事に感謝して、これから先迎える日々の無事であることを
お祈りします。
南門脇の古木の桜は、今年は一際色合いも勢力も良く、花の咲き具合も満開です。
晴れた空に桜の花の色が本当に綺麗です。
甘茶のご接待をありがたく受けて、頂きました。
毎年、本堂の横で甘茶を頂くのが楽しみです。
お釈迦様は、花御堂の中にいらっしゃいます。
お祈りをしながらそっと甘茶を3度かけました。
ここに立ちますと、頭の上からとてもいい香りがします。
花御堂の天井のお花の香りです。
傍にいらしたご住職に、「とてもいい香りがしますね。お詣りさせて頂けてこんないい香りのする
所で、お釈迦様とお会いできるのは、幸せなことです。
ありがとうございました。」とお礼を言いました。
飛鳥大仏様にも、今日の日の感謝のお祈りをしました。
優しいお顔は、何でも受け入れてくださるようで、お詣りする私の心も、優しくなるように思います。
花見堂はもう一つ・本堂の中にも置かれていました。
午後からの法要の時に甘茶をお堂の中の方が、掛けるのでしょうかしら。
法要や講話を聴きたかったのですが、寄るところがあったので、今日は最後までいないで帰りました。
甘樫丘には今、美しい桜が見られます。
この丘には、蘇我蝦夷、蘇我入鹿の居城があったと言われています。
自転車の後ろにあるのは、蘇我入鹿の首塚です。
飛鳥寺と「槻の樹の広場」 飛鳥寺西門と甘樫丘との間には、槻 (欅=ケヤキ)の巨木を中心とした広場があった。
この広場は日本書紀に度々登場し、ここで外国使節の饗宴など、さまざまな国家的儀礼が執り行われ、「槻の樹の広場」と呼ばれる飛鳥「京」の象徴的な空間となっていた。
その広さは、飛鳥寺西側に南北200メートル、東西120メートルの範囲であったろうと推定されている。
出典:「広報あすか」に掲載された明日香村教育委員会開催説明会資料より抜粋
万葉歌碑 境内にある万葉歌碑は昭和12年辰己利文氏を願主として、
建立、佐々木信綱博士の筆による山部赤人の長歌を、
近衛文麿氏の筆による篆額が刻まれていますが、その長歌を読み取ることができませんでした。
境内の小さい万葉池には、この日の花散らしの風に吹かれて、次々と花びらが舞い落ちてきました。
かなり古木の桜です。
苔むした太い幹の途中から、上の写真にあるように、今を生きる桜が元気に花を咲かせています。
あえてくっつけましたが、下の写真と上の花の咲く幹との光の当たり具合で、うまくできなっかったのです。
今年も、飛鳥寺での仏生会に、お詣りすることができました。
そのことが1番幸せでした。
来年もご縁がありますようにと、帰りの車の中での願いでした。