カフェテラス

テラスの片隅で一人心に呟くように

生まれて25568日目

2006年01月26日 | ★ 日々の呟き
KOKI

史跡公園。代官屋敷跡
桜の木の太い幹の間にあるグレーのビルがなかった頃、私の生まれた家の2階から、この場所が見えた。
ここは、今は史跡公園になっているが、子供の頃は地方裁判所前の広場であり、子供の遊び場でもあった。

今日1月26日は、この世に生を受けてから、25568日目である。
「古希」という節目の誕生日である。
この1月後に、2,26事件が起こったのだから、不穏な世の中の始まりの年だったと思う。

6年間通った小学校が見える・その頃は木造建築
25586日生きてきたと言う不遜な言葉でなく、生かさせて貰ったのだ。

両親は勿論、数限りない多くの人に支えられ、助けられて、この日まで生きさせてもらえた事を,感謝する日が誕生日であると此の頃つくづく思う。

還暦で、生まれた時に戻ったのならば、今10歳。(古希である)
さぁ、あと10年後の成人式に向かってもう今1歩を歩みだしている。

1日の終わりに、「今日1日無事に過ごさせて頂いた事」への感謝を積み重ねたい。



生まれて何日目かの、日齢計算つぶやき
の未歩さんのところで教えていただきました。
コメント (42)
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鳥の日向ぼっこと、もう一つの温もり

2006年01月25日 | ★ 日々の呟き



シーズン点検のため車を営業所のある町に持っていった。
1時間ばかりで終わるとの事なので、買い物もあり近くの、ドラックストアーまで24号線を歩いた。
用を終えて、戻りかけた時、車道を隔てた向かい側の大きな池に、無数の鳥のいるのが目に入った。
四方を護岸のコンクリートで斜めに固めてある斜面の、陽の当たる所にだけ、点々と鳥の姿がある。
まるで、日向ぼっこをしているようだ。
通行量の多い場所である上、池の側に渡っても、フェンスが高く土手に上る勇気もないので、車の走る隙間をまってカメラを向けていた。
信号が赤になった時、カメラを向けている私に気づいた大きいトレーラーの運転手さんが、前の車との間隔をあけて停車してくれた。幸い反対車線にも車がいない。
すばやくシャッターを押した。ほんの数秒の、たった一枚に、日向ぼっこの鳥たちを捉えた。
運転手さんにありがとうの気持ちを込めて会釈した。
その人は、笑顔で動き出した車の流れにのって去っていった。


コメント (8)
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ごく幼いころ・鮎菓子と鎌倉

2006年01月24日 | ▼ 思い出綴り
まだ幼稚園にも入っていなかった頃のことが1枚の画用紙に描く絵のように浮かぶことがある。
この鮎菓子を眼にする時、画用紙の絵がさらにはっきりとする。

子供のなかった叔母に可愛がられ、遠くに行く時も連れて行ってくれた。
鎌倉の浄明寺に父の姉一家が住んでいたので、そこにも連れて行ってもらった。

鎌倉へのお土産が、今もわが町の銘菓「鮎菓子」である。中に白いお餅の様な餡が入っている。これは、大豆の餡子とは違う。当時はなかなか、お八つには食べられない特別上等なお菓子だったと今になって思う。

鎌倉の叔母は、10時と3時のお八つに、これを出してくれた。

3人の従兄弟と一緒に食べた、鮎菓子と、林の中の叔母の家。日当たりの良い廊下の奥にある本棚。その中に講談社の絵本が沢山あって、それらを見るのがとても楽しかった。
断片的な栞のように、鎌倉の叔母も一緒だった鶴岡八幡宮や太鼓橋も(ここだったかしら)記憶の中の一番古い場所にある。不思議で、懐かしい絵は、脳のどこにあるのかしら・・・

これらが、鮎菓子と共に思い出す私の記憶の絵である。

先日、今は横浜に住んでいる従兄弟と電話で話したとき、この話をしたら、「Tちゃんが鎌倉に来たことは覚えてるけど、小さい子だったよ。よく覚えてるね」と笑われた。

それは、鮎菓子のせいだとは言えず、笑って誤魔化した。
コメント (12)
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九品寺雑感

2006年01月23日 | ★ 日々の呟き

葛城山の麓の九品寺の境内で見た、吉井勇の短歌に心惹かれて、いつかテラスの記事にしたいと思っていた。

青春放蕩の歌から孤独に苦しむ時代の吉井勇は、この詠をどの時代に創ったものなのかは、調べていないので分からないが、読むほどに共感する。

九品寺の境内に歌碑があるわけでなく、ここの住職が、心の琴線に触れる、句、短歌、詩などを、千体仏に続く境内に書き上げている。

自分の成長過程で「いたくきずついた」中身は、幼い時は些細なことにあったり、傷つきやすい青春の頃は、深刻であり、大人になっては、職場であり、人間関係であったりさまざまであるが、「ははおはします」に象徴される両親によってどんなに癒されてきたことだろうと思う。
冬の薔薇は冷たい風の中で強く暖かだ
「ははおはします」の中にある、包容力や、温もりに支えられてきた自分を重ねる。

母の存命中「うれしやわれに」の思いは続いた。

母の亡くなった歳まで、あと10年、私は、自分の子たちにとって、「うれしや我に母おはします」的存在であると言えるのだろうかと、この詠を読むたび思う。
コメント (13)
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代わりばんこのお相伴

2006年01月22日 | ★ 日々の呟き
開いたバースディーカードは立体的

初めてこのレストランで友人とお茶をしに偶然行ったのがきっかけで、アンケートに足跡を残して以来、誕生日の1ヶ月位前に、「お誕生日特別コース」の案内状が届く。
お昼は大抵家にいる時は一人の、野菜中心のヘルシーメニューであるが、この案内状が届いた時、一つの計画を立てた。
「長らく生きさせてもらった記念に自分へのランチタイムをここでしよう」
一緒に行った友人を誘って、二人の予定の入っていない日を調整して、有効期限内の日を予約しておく。
私は1月、彼女は11月。年2回の定例会である。

バースディカードを封筒の中から出して開くと、こんな立体になって、思わず「可愛い!」と二人の声。
昨年は、オルゴールのメロディー入りだった。


オードブル、いろいろ5種盛。
メインディッシュは、ビーフハンブルステーキトリュフソース添え。
焼きたての小さいパンは、種類が多く、適当な時にバスケットに入れておかわり自由にともって来てくれる。
デザートはビーンズ入りバニラアイス。最後のコーヒーの香りを楽しみながら、お互い忙しくて会えなかった分話が弾んだ。

バースディー席にはキャンドルライトが灯されてのおもてなし


自分で自分を祝うランチタイムにお相伴してくれる彼女は、大学時代からの親友である。
同じ頃に結婚し、子育ても同じ頃だった。
それぞれの伴侶の両親を見送り、勤めながらの夫の看病と、夫との死別まで、時は少し違っても、歩んだ道筋が同じという人生を歩んできた。
「ご馳走様。11月には、お誘いするね。それまで、死なれへん。借金背負ってあの世へ行きたくないからなぁ」
「そうそう。元気に過ごすこと、お互い気をつけような」
ローソクの揺れる炎を見つめながら、いつもの冗談。
これから何度、この冗談を繰り返せるだろうか。

コメント (13)
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