「近代化産業遺構」指定の建築物です
1934年竣工の「旧JR奈良駅舎」は、経済産業省から「近代化産業遺構」に指定されている歴史ある建築物です。
奈良の寺院の屋根を模し、寺院風和風と鉄骨鉄筋コンクリート造りの折衷様式の、とても美しい建物です。
2003年に新駅舎へ切り替わったため、数年は使用されていませんでしたが、
2009年7月25日に『奈良市総合観光案内所』として生まれ変わりました。
学生時代にこの駅舎を使って通学していたころには、建物の美しさに目を留めることもなく、
駅に降り立つとまっしぐらに、三条通りを北に向かって歩くか、市内循環バスに詰め込まれるように
乗って学校に急いだような毎日でした。
はっきり覚えているのは、駅舎の屋根の上の水煙のような相輪と、風鐸でした。
駅前の広場は、広くて舗装は今のように美しくしていませんでした。
この広場で強烈な思い出となっているのは、時々この広場いっぱいに、進駐軍の兵隊さんが
集結していて、その間をかいくぐるようにして、広場を渡り切って、バス停に向かって歩いた
不気味さがありました。
当時、高畑にアメリカ軍の駐屯地と言うか、宿舎があってのことで、移動に当時の国鉄を使っていたから
駅前広場が、兵隊さんで埋められたようだったのでした。
その駐屯地は、日本に還されて今は、教育大になっている、そんな時代に、青春時代を過ごしたことが
美しくなった駅舎と、広場を歩くと思い出されます。
折角奈良に来たのだから、行きたいところは、沢山あったのですが、帰りの予定がありましたので、
1番行きたい所である、春日神社の水谷神社の傍にある、水谷茶屋に向かいました。
途中氷室神社の枝垂れ桜がとても綺麗だったのですが、人・人・人の上駐車場も満車状態でしたので
瞼の裏から心のアルバムに撮っておきました。
春日神社の駐車場もなっかったので、一方通行に標識に沿って、若草山の麓に出ました。
観光バスが乗客を降ろす間、気長にというよりは、絶好のチャンスとばかりに、
登山口に立つ孤独な鹿ちゃんに惹かれて、写真を何枚か撮って行きました。
若草山の山開けはまだのようで、穏やかで、静かな山と桜、青ぞらに浮かぶ白い雲。
草を食む鹿の動きを、前の車が動き出すまで、ゆっくり大和の春を、車の中から楽しみました。
やっと動き出した観光バスについて一方通行の道を下りました。
しかし、停車する場所もないまま、前の車が停車するすきまに、車の中からパチリ。
紅葉の頃の水谷茶屋とはまた違って、春の茅葺屋根と、桜新芽の枝に飾られて
やっぱり、来て良かった、奈良の好きな風景に感動しました。
2019・04・09撮影