啄木の著作から啄木が理想とした、住まい、家族像を想像し模型が作られた。書斎、寝室、居間、そして広い庭。庭には木が植えられ木陰で近所の子供たちと遊ぶ啄木。一時、代用教員時代、児童と接した啄木が心に描いた生活なのだろうか?
啄木の著作から啄木が理想とした、住まい、家族像を想像し模型が作られた。書斎、寝室、居間、そして広い庭。庭には木が植えられ木陰で近所の子供たちと遊ぶ啄木。一時、代用教員時代、児童と接した啄木が心に描いた生活なのだろうか?
啄木が愛用した机。貧困と困窮の中、文学への夢を持ち続けた
石川啄木。一家が路頭に迷う中、どんな思いで創作活動をした
のだろう。命を削るようにしたためた彼の短歌の数句が浮かぶ。
『はたらけどはたらけど
猶わがくらし楽にならざり
ぢっと手を見る』
石川啄木は生活詩人だ。彼の日常を鋭く切り取った歌は、スルメ
の様。読めば読む程噛めば噛む程味わいがある、それもほろ苦い。
『叱られて
わっと泣き出す子供心
その心にもなりてみたきかな』・・・歌集『一握の砂』より
映像:歌人・文学者人石川啄木の結婚時の写真、この時期から不幸が始まる。
石川啄木は主に北日本を中心にその足跡、歌碑が100箇所程認められる。
筆者の中では関西の裕福な詩人中原中也と対比し整理されている。夭折し
た天才詩人…というイメージが強いが、彼の一生は貧困との闘いであった。
最近は就職難民、フリーター、結局は富めるものと貧しい者の差別化が進行
、蟹工船などの労働文学が流行り始めている。しかし、今の世の豊かさから
は想像もできない経済下で、困窮の中で夭折した詩人:石川啄木の魂を辿る。
参照#石川啄木(哀しみの歌人)探訪記紀行
参照#石川啄木の歌碑の中で最も好きなロケーション(盛岡市渋民公園)
新湯、大湯から下ってくると、この通りに出る。この一帯は主に浜湯を引き湯。
やや黒い硫黄泉が独特の湯感を提供してくれる。此処の温泉街の北側はもう津
軽海峡。有名な「海峡」の作者井上靖が投宿した長谷旅館もこの通り左奥にある。
映像:下風呂温泉のランドマークいさり火公園シンボル『二見岩』の景観
この公園は、下風呂漁港の一部を埋め立てて作られたもので、池の中の「二見岩」
には恵比須神社が祀られている。また展望台、作家井上靖の文学碑、、同志社大学
創立者新島襄の寄航記念碑がある。此処迄下駄を鳴らして湯冷まし散歩が心地よい。
映像:史跡、幻の鉄道橋を保存・あし湯とした。
戦時中の日本政府は大間までの戦略鉄道を朝鮮人を動員して建設。その工事跡が大畑から
下風呂温泉まで残されている。結局、鉄道は大畑迄まで、しかもそれも既に廃線となって
いる。風間浦村はこの史跡を保存、温泉を引いて足湯駅とした。なんとも粋なはからいだ。
解説:映像の鉄道橋はコンクリート製で、かなりボロボロであった。それが見事ご覧の様
にマリンブルーの鉄道橋に甦った。これが風間浦の良心・良識だ。建て替え存廃が
懸念される大湯・新湯も新しい共同浴場に甦ると風間浦・下風呂温泉の良識に期待。
映像:共同浴場『新湯』を中心に海手に伸びる温泉宿、貴重な温泉街である。(2008)
日本の温泉地でも特異な景観を持つ下風呂温泉。山手、白濁湯、共同浴場、海手、黒濁湯
、津軽海峡、北海道恵山岬、湯の香(硫黄臭)、幻の鉄道橋、井上靖文学碑、いさり火。あ
わび、うに、いか、ひらめ、もずくなどの海鮮料理…此処は日本の代表的な海峡温泉郷だ。
映像:宿泊先ホテルニューツルタは自家源泉を有し、浴場からは別府湾が展望できる。
別府温泉最後は此処、ホテルニューツルタ。別府北浜海岸沿いの普通の温泉ホテルだが
背後に竹瓦温泉、梅園温泉など温泉繁華街が隣接、別府の発展と共に歩んだ施設である。
特筆するのは、此処のご主人は地域活性化伝道師として「別府オンパク」の仕掛人なのだ。
【DATA】重曹泉55.6℃ PH7.7・食塩泉42.0℃ PH8.2 源泉:ホテルニューツルタ内湯
湧出量 毎時5,400リットル 掘削深度 160m
(北九州温泉探査~完~)
映像:黒石・南津軽温泉フォーラム第二部、「語るべ」塾に参加した方々
筆者が共催黒石・南津軽温泉フォーラム第二部『語るべ』塾、塾長は著名温泉に
30年以上関わって来た方で独特の温泉経営で今日の著名温泉を築き上げた。弘前
市から自転車で来たと言う精神科医、平川市玄米食推進者、大鰐元気隊メンバー、
温湯温泉の世話人、ニセコでボードを楽しんでいたという黒石市のボーダー・・・。
塾長:福士収蔵(青荷温泉 支配人) コメンティーター:谷口清和(温泉地活性化研究会 代表)
20名程度の輪は語る程に和になっていった。次回はこの方々に加え、来れなか
った方に呼びかけて温泉塾(談義・講義)を開催する予定。
映像:黒石市津軽伝承工芸館で開催された黒石温泉郷フォーラムで講演する筆者
7月21日は北日本も梅雨明けで南津軽は夏日だった。黒石での温泉フォーラムは
初めて、碇ヶ関温泉郷、平賀温泉郷、黒石温泉郷…南津軽の温泉ベルト地帯ど真中、
落合温泉で意義深い温泉フォーラムを開催。講師により『北日本の温泉地域資産』
の紹介・解説が行われた。日本温泉地域学会が認定した125の温泉地域資産の内、
北海道・青森・秋田・岩手を紹介した。今後は全国の温泉地域資産を紹介する予定。
第一部:「北日本の温泉地域資産について」谷口清和(日本温泉地域学会監事)
「新温泉医学について」・津川信彦(健康スポーツ医、温泉療法医)
第二部:「温泉語り部塾」・・・・・・・塾長:福士収蔵(青荷温泉支配人)
参 照# 黒石温泉郷 温湯温泉語り部塾光景
報 道:地元「東奥日報」事前掲載(7月20日)、地元「陸奥新報」事後掲載(7月22日)
国民的な共同浴場『竹瓦温泉』の路地裏に目立たないがしっかりと碑文が建っている。まるで、恋人にでも出会ったような感動を覚えた。もう5~6年前であろうか、別府市の観光課に温泉街の取材した時の担当官の言葉を思い出す。
『別府温泉は寂れる所まで来てしまった。しかし、歴史的に貴重な路地裏文化が残っている。これが宝です。観光客に歩いてもらいこれを発見してもらいたいと思うのです、今ある企画が動いています』・・・これ以上詳しい話は聴けなかった。
これがその後、『別府オンパク』として見事に花開いた。ふだん着の温泉の素顔を観光資源として再発見する観光商品づくりが定着。やがてこの発想は視察に来ていた現長崎市長が中心となって『長崎さるく博』へと発展した。
映像:温泉街の看板が朝靄に浮かぶ別府の繁華街。
共同浴場「竹瓦温泉」の周辺は別府温泉発祥の地と言われている。
夜は繁華街のピンク色のネオンが眩しいが、朝の佇まいは別の顔
で街が存在する。宴の後の残骸は清められやっと街の素顔が戻る。
映像:別府温泉の宝、竹瓦温泉男湯に浸かる温泉探査人、今回の相棒だ。
別府オンパクの頂点、竹瓦温泉共同浴場。道後温泉と同じくらいに荘厳な
共同浴場の風格だ。温泉が娯楽の頂点だった時代を彷彿とさせる佇まいの
中に、これまた、欄干付きの浴槽は温泉ファンにとっては夢殿。いい湯!。
【Data】男湯 含土類ー食塩泉 53.8℃pH7.3 源泉:竹瓦1号源泉
女湯 純重曹泉 52.0℃pH7.7 源泉:竹瓦2号源泉
参考#本物の名湯ベスト100(講談社現代新書:石川理夫著)‐2位 別府温泉郷
学術:日本温泉地域文化資産NO.107「竹瓦温泉」共同浴場地獄群(日本温泉地域学会編)
参照#日本の共同浴場の原点ともいえる四国愛媛県道後温泉の正面景観
いよいよ、南津軽で温泉フォーラムが開催される。温泉愛好家、温泉関係者の多くの参加が期待される。
~ 新・感・泉! 『黒石・南津軽温泉フォーラム』 ~
日時:平成20年7月21日(月) 13:30~16:00
会場:津軽伝承工芸館(黒石市落合温泉)
司会:温泉地活性化研究会幹事
第一部 (1)「温泉観光について」~北日本の温泉地域資産について~ 13:35~
講演者 谷口 清和さん (温泉観光士・温泉セラピスト)
(2)「新温泉医学について」~身体に優しい温泉入浴について~ 14:15~
講演者 津川 信彦さん (健康スポーツ医・温泉療法医)
第二部 みんなで、温泉地の未来を『語るべ』塾 15:00~
~黒石・平川・大鰐温泉郷の明るい未来について~
当日参加する皆さんが主役です。何でもご発言ください!
・語るべ塾長 福士収蔵さん(津軽伝承工芸館長)
・ 〃 助手 津川信彦さん(内科医)
・ 〃 助手 谷口清和さん(日本温泉地域学会監事)
主催:温泉地活性化研究会
共催:黒石商工会議所、平賀町商工会、尾上町商工会、大鰐町商工会、碇ヶ関村商工会
後援:黒石市
問合先:黒石市・津軽伝承工芸館 : ℡ 0172-59-5300
映像:別府オンパクの締めくくり砂湯体験をする日本温泉地域学会の面々。筆者はどこ?。
亀川温泉、別府海浜砂湯は別府国際観光港の隣、上人ケ浜公園の一角にある。上人ケ浜とは
一遍上人がこの地に上陸したとの伝説から来ている。砂湯は幅6m 延長20mで面積120平方
メートルもあり、一寸頭をもたげれば、磯風に吹かれ、別府湾のさざ波を楽しみながら砂湯体験。
【Data】純食塩泉 69.2.℃ PH8.0 源泉:別府海浜砂湯