お湯の国 日本

美しい日本の温泉地中心の旅記録(おんせん鑑定士:監修) 【記事・映像は著作権、人権保護法等により無断使用を禁じます】

はやて乗車(湯河原学会)

2011年06月30日 |  🍏津軽 紀行物語.
映像:東北新幹線新青森駅を出発の「はやて」、筆者が乗った時期は東京まで4時間半。

日本温泉地域学会に出席する為、東北新幹線を利用する。東日本大震災後初めての東北新幹線利用だ。早朝(6:30)の新青森駅はまだ目覚めていない。やはり、震災前と比べると活気がない。朝の朝食に立ち喰いうどんを食べようとしたが、6時きっかりに店をオープン。なんともスピード感がない。弘前方面の接続特急が来て初めてに賑やかになった。

東北観光の要となる東北新幹線東京~青森間は東日本大震災の影響で、現在4時間半ぐらいの時間を要しているが、7月9日から徐行区間の短縮で3時間半迄スピードアップされる。今年の秋口には当初の所要時間(3時間10~20分)をキープする予定だ。
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呆然と佇む人(釜石市本吉地区)

2011年06月27日 |  🔥 東日本大震災・記録

国道45号線は大船渡から釜石市に入る。三陸沿岸調査の最終目的地だ。高台
の休憩スポットに車が数台とまっていた。筆者も一休み。海岸側に壊滅状態
の入江集落を展望できる。岩手県のボランティア女子大生が言葉もなく佇む


↓ 眼下の惨状


釜石市被害状況死者859人、行方不明440人、避難2,590人、全壊住宅約3,190棟
映像の右下に住宅が密集しているが、津波によりギュウギュウ詰めにされたもので、
一見被害が無い様に見えるが、家と家はぶつかり合い、内部は滅茶メチャな状態だ。

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ヒグマ(青森県金木町)

2011年06月26日 |  🐋動物観察紀行..

映像:青森県五所川原市金木町芦野公園に羆が買われていた。

羆(ヒグマ)を本州で観察することとなった。北海道では何度怖い思いをしたか?
といっても、実際に遭遇したわけではない。糞を見つけた時背筋がゾーとしたり、
大木に新しい爪痕を観たり、北海道内では常に羆を意識して行動したものである。

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被災犬(東日本大震災:釜石市)

2011年06月26日 |  ♨温泉地の犬・猫

陸前高田から岬伝いに林道を行く。漸く抜けた先小さな入江があった。海沿いの家は
土台だけを残して残骸すらない状態。そんな土台に犬が繋がれていた。飼主は恐らく
毎日やってきて犬に餌を与えているのだろう?しかし、筆者を見つけた犬は、力無く
立ち上がり、何かを訴える。・・・言葉もない。こんな表情をした犬を見たこともない。

何かを訴える表情は、恐れ、悲し、苦しみ、疲労、空腹、哀願に満ちていた。
これまで被災地の光景に耐えてきたが、この被災犬を見て、思わず号泣する。

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石川啄木(潮かをる・・・三陸海岸)

2011年06月25日 |   ✒歌碑句碑 紀行

R45号線は三陸町を過ぎ、吉浜についた。ここの海岸には石川啄木が修学旅行で
訪問した事を記念して歌碑が建立されている。津波当日はこの歌碑も飲み込まれた
のだろうが幸いにも無事だ。  石川啄木の石碑は無言のまま、海に対峙している。

碑文潮かをる 北の浜辺の 砂山の かの浜薔薇よ 今年も咲けや 

解説:筆者は.3.11東日本大震災取材で三陸沿岸を訪問した時にこの歌碑に遭遇

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津波標記(大船渡)

2011年06月24日 |  🔥 東日本大震災・記録

林道を抜け、小さな入江に到達。峠道を下ると前方に真新しい標識があった。そう、今回の津波で浸水した地域の始まりを表記する標識が国土交通省によって3.11後に建てられたものだ。『津波浸水想定区域』と表示され、三陸沿岸一帯に新しく建てられたもの。国道45号線、県道等で目にすることが出来る。・・・やがて、前方に悲惨な光景が展開することとなる。
大船渡市は震度6強、322人死亡、行方不明440人、3190棟全壊(23.6.4現在)

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津波遡上(陸前高田)

2011年06月22日 |  🔥 東日本大震災・記録

復興の湯を案内してくれた地元民は津波の恐ろしさを語った。画面上の道路
には車で避難してくる人で一杯だという。この人もその中にいたが、迫る波
に車を捨てて助かったとか。しかし多くの避難民は車を捨てきれず目の前で
車ごと津波に呑まれたという。津波が遡上してきた場所(電光表示板)を示す。

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復興の湯(陸前高田)

2011年06月21日 |  🔥 東日本大震災・記録

陸前高田大石地区を調査。R45号の左側に温泉マークが目立つ。公民館倉庫を改装
した無料の「復興の湯」。建設会社社長らがすべて手作りで完成させたという。杉・
ヒノキ材の浴槽は山水&石油ボイラーの沸かし湯だが何とも心地よい。この地域は奥
地で、すぐ手前まで津波が押し寄せた。集落は残ったがライフラインは途絶。被災民
はこの復興の湯を中心に頑張っている。

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復興鯉幟(陸前高田)

2011年06月20日 |  🔥 東日本大震災・記録

陸前高田市内を歩く。只々瓦礫の山。道路だけが整備され、不気味な光景。
夥しい廃材をどうするのだろう。誰がどうやって片づけるのだろう?憂鬱。
そんな事を思い進むと前方に鯉幟が風に靡いていた。これこそ復興の願い。

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気仙小学校(陸前高田市)

2011年06月19日 |  🔥 東日本大震災・記録

気仙小学校は瓦礫集積所となっていた。遠くから見ると鉄筋コンクリートの立派な外観、
近寄ると異臭が激しくなってくる。建物も内部が徹底的に破壊された様子が視認できる。
被災地に空き地が無いことから、一時周辺の瓦礫置き場として保管場所になったらしい。

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防潮門堤(陸前高田)

2011年06月18日 |  🔥 東日本大震災・記録

いよいよ陸前高田市街地に入る。三陸沿岸として二番目に死亡者が多かった都市。
6月4日現在で死者1,508名、行方不明者630人、住宅3,160棟全壊、約7,580人避難
ここも壊滅的なダメージだ。岬から展望すると巨大な防潮堤が空しく聳えていた。

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廃車承認(気仙沼)

2011年06月17日 |  🔥 東日本大震災・記録

今回の大震災の特徴の一つが車被害。多くの車が失われた。駐車中のもの、逃げようと乗り込んだもの…すべてが飲み込まれ、打ち上げられ、海に引きづりこまれた。持ち主のわからない車、助かった人の車…個人の財産であるから、廃車処分できず処理が滞った。車社会の災害問題だ。辛うじて持ち主がわかった車はご覧のとおり「処分OK」の表示今日現在で陸運局への廃車申請が15,000台超にも及ぶ。この他持ち主のわからない車多数。

宮城県の被災状況:(23.6.9現在)
  死者9210人、行方不明者4954人、避難者23532人、建物全壊73087戸、漁船被害12011隻 

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被災船(気仙沼)

2011年06月16日 |  🔥 東日本大震災・記録

気仙沼港を出港直前、東日本大震災の大津波で流された近海マグロはえ縄船「第71大喜丸」(119t)。船に積んでいた食料を気仙沼市に提供した。大喜丸は11日、40~50日間の操業に向けて15人が準備をしていた。出港直前、津波が来襲。乗組員らは無事だったが、大喜丸は港から約2キロ離れた鹿折川右岸に押し流され、大破した。船倉には1航海分の食料を積んでいた。「避難所などで市民の食料が足りないと知り、少しでも役立てば」とコメやパン、菓子、ジュースなど段ボール十数個分を贈った。操業20年の船は解体廃業という。

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配電支援(気仙沼)

2011年06月15日 |  🔥 東日本大震災・記録

取材中、国道を行き交う車両の多くは自衛隊、ダンプなど緊急車両だが、いち早く
復旧したのが『電柱・電線』である。被災地を観察すると瓦礫の中に真新しい電柱
が立っている。ライフラインの一つ、電気が急がれたのだが、残念ながら、その先
の引込む民家はごく限られている。映像は秋田県大館市から派遣された配電作業車。

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被災里宮(気仙沼)

2011年06月14日 |  🔥 東日本大震災・記録

神社などは、どの海辺の集落でも高台に有るものだ。それは集落の催事場が海の
見える場所が好まれるのと、神様を高いところに安置する意味もある。この里宮
も岡の上部にあるのだが今回の津波は社殿を破壊。辛うじて鳥居だけが残された。

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