映像:ライトアップされた北門のなんとも云えない風情に古都の魅力を感じる。
弘前城四の丸の出入り口となるのがこの亀甲門だ。通常は北門と呼ばれる。
四の丸では雪像群を見学し子供達で賑っている大滑り台を右に見て辿り着く。
旧平賀町の大光寺城の城門を移設したものだ。筆者はこの門構えが好きだ。
映像:今年の大雪像は師団長官舎。この雪像でプロジェクトマッピング(雪幻燈)。
弘前城雪燈籠祭今年の大雪像は弘前市に司令部を構えた旧陸軍第八師団
長官舎。弘前に残っている洋館の最後の未公開建屋が昨年復元修理され
公開予定を記念してのもの。弘前は明治以降終戦まで軍都として栄えた
参照:昨年の大雪像日本カトリック教団弘前教会
映像:弘前城の内北之郭館神跡に設えられた青の閃きの広場(2014.2.11)
恋する若い二人が多く訪れるのがこの青の閃き広場。勿論、家族連れもちらほら。
中央の💛マークが象徴的。もうすぐバレンタインデー 。祭りの寒さも吹き飛ぶ。
内北之郭は二代藩主信牧の愛の祈念場所で、当時誰も入れなかった聖域であった。
参照:内北之廓絶景(弘前城)
映像:弘前城北の廓光のセレモニー会場片隅に、寄添う様に灯が二つ、永遠の灯
弘前城北の郭では訪れた観光客にサプライズが待っていた。ひとり々に
祈りの灯火が手渡された。人々は好きな場所に優しい灯火を置いて歩く。
雪道の壁側に、枝の上に、雪像の上に、愛する恋人達のラブスポットに。
二の丸から北の郭に抜ける。藩政時代、此処は津軽家のプライベートゾーンだった。
此処には、昭和の時代、武道館や御茶屋があり、筆者も青年期に良く通ったものだ。
今は遺構も整備され散策に適している地帯。そこにカップルの願の光が溢れていた。
弘前城二の丸から北の郭へ抜ける場所に、錦絵燈籠壁が両側に出現する。
それは、二の丸でお城を見上げ、寒風を感じた直後のほのぼの絵明かり。
方言詩人高木恭造風に『津軽ノ絵ッコ、マブシクテナンボ良(エ)デバノー』
🔵昼の津軽錦絵大回廊
映像:恐山を去る者を見守る地蔵群。何事もなく、下界に戻れるよう地蔵に祈願。
いよいよ恐山を去る時どうしてもこの6地蔵尊を仰ぎ見る。何故なら無間地獄を
渡り切った私達が、背中に縁のない霊魂を背負い下界に戻る事を自ら戒める為だ。
彷徨える者よ、悩み多き者よ、欲多き者よ、罪深き者よ、無心で現世に還るべし。
解説:ここは、地獄と天国と現世の境目、祈りスポットである。
( 2013年下北半島恐山巡礼 完 )
あと20日経つと、3.11東日本大震災の三周忌となる。東日本沿岸の地獄絵が甦る日。
およそ2万人の尊い命が失われ今なお数千もの魂が彷徨う悲劇。その御霊を鎮魂する鐘
を左に、未来への希望の鐘を右に従え、慰霊仏が極楽浜に建立された。此処に安らかに。
本州の最北地、下北半島恐山には多くの霊魂が迷い込む。
行き場のないこれらの魂のより処となるのが『無縁仏』。
行方知れずとなった身内を最後に尋ね当てるのもこの仏。
参照#背後の大尽山から見た霊場眺望(天国&地獄の景観)
下北半島、日本三大霊山となる恐山に東日本大震災で被災した人びとが沢山訪れている。
それは死者の霊が漂う霊場鎮魂のため。この門の先に人間の死後辿る様々な世界が展開。
黄泉の国:恐山霊界魔界は境内裏手、宇曾利湖岸に展開する。境内前の三途の川太鼓橋
を渡る事から体験が始まる。そして境内入山、温泉場で身を清め、地獄巡り。
仏教の八大地獄(無限地獄、重罪地獄、血の池地獄、金掘地獄、女郎地獄、法
華地獄、どうや地獄、修羅地獄)が点在し、至る所に供養塔、供養塚、供養が
あり、炎の山らしく硫黄臭が漂う。 極楽浜にて心を休め、胎内潜りで還俗す。
参照#恐山(現世・地獄・天国)紀行