「ジャズの巨匠」と言われるアートー・ブレイキー。筆者のジャジーな嗜好は東京時代
に形成された。勿論、高校時代チョット進んだ連中はオーヨーというジャズ喫茶に入り
浸っていたが無縁だった。酒も煙草も女性も無い弘前。しかし、御茶ノ水のディスクユ
ニオンからジャズが入ってきた。そしてとうとう出逢う・・・彼の名盤を手に入れたのだ。
感想:アート・ブレイキーは最初ピアニストだった。それがのちにドラマーに転向した
恐らく相当な修練の元にドラマーの地位を築いたのだろう。人種差別のある時代
ジャズメンとなるのが成功の唯一の方法だったのかも知れない。彼のステッキ捌
はジャズメッセンジャーズのリズムを確実に支える。それは、心臓の鼓動の様だ。