山陽新幹線新山口駅前広場に、種田山頭火の銅像兼・句碑があった。
山頭火の句碑は九州の温泉地で多く見かけたが新幹線の駅前という
のは、初めて見た。山口県防府市が種田山頭火の生まれた地である。
碑文: 『 まったく 雲がない 笠をぬぎ 』 (山頭火)
解釈:抜ける様な青空のもとで、網代笠をとって一休みしましょうか。
参照#大分県湯平温泉にある種田山頭火句碑(しぐるるや・・・湯平温泉)
2018年春季温泉探査の二日目(2018.5.26)は山陽新幹線で九州新幹線博多駅迄
移動予定。この日は新幹線でも良かったが、経費節減のため早朝5:00山陽本線
で下関へ。JR九州の小倉から大分発JR九州特急ソニックに乗り換えて博多。
記録:文字通り山口県の新幹線玄関駅。旧駅は小郡駅。県庁所在地山口駅迄は
12.7㌔と遠い。又、山口宇部空港も特別快速バスでおよそ一時間という
距離、新幹線開通駅の事情が他県の駅に似る。一日平均乗車人員7600人
≪ 速報:草花探勝 矢車草 (奥入瀬渓流千筋の滝) 2018.6.17 ≫
奥入瀬渓流は野草の宝庫でもある。八甲田山中の厳しい自然が育んだ野草を
探しながら奥入瀬渓流をトレッキングするのはハイカーの最高の贅沢かも知
れない。可憐な滝「千筋の滝」付近で見つけたのが入梅の時期咲く矢車草だ。
分類:ユキノシタ(目・科)・ヤグルマソウ(属・種) 漢字:矢車草
花言葉:幸福、清楚、出発 参照#奥入瀬渓流千筋の滝
≪ 速報:十和田奥入瀬 千筋の滝(奥入瀬渓流)2018.6.17≫
奥入瀬渓流散策で最初に遭遇する澄明な滝が「千筋の滝」
新緑時の滝は美しい。広葉樹が主のまだ幼葉は滝全体を
観察できる。やがて、繁茂するとこの景観は難しくなる。
記録:高さ(落差)10m、直瀑、奥入瀬川水系
山口県山口市湯田温泉は中原中也一色だ。中原中也は散歩が大好きだった事もあり
この温泉地はそれに因んで散策ポイントが数カ所ある。先ずは、中原中也記念館で
中也と面会した後、中也の影を追って湯田温泉を散歩するのが何よりの中也観察だ。
中也と歩くポイント:中原中也記念館、中也のお墓、温泉舎(ゆのや:源泉観察)、西村
屋(中也の結婚式会場:現在休業中)、錦川通り(中也歌碑)、狐の足跡(観光回遊拠点)、井上
公園(長州七郷落寓居、中也歌碑)、権現山(湯田温泉街一望)、湯田温泉駅(中也も利用)。
映像:山口県山口市湯田温泉の中心部にある中原中也生誕の地は「中原中也記念館」
となりエントランスに青春時代の一頁、中也の詩がプレート展示されていた。
『汚れつちまつた悲しみに・・・』このどうしようもない哀しみのフレーズから始まる
中原中也の詩に心を動かされた。多くの詩人が太陽や月や星、愛、恋、自然の感動
から言葉を紡ぐのに・・・中原中也と石川啄木は哀しみ、苦しみ、怒りから言葉を紡ぐ。
筆者も最初は淡い恋心から詩文をなぞっていた。ゲーテ、ハイネ、リルケ・・・それは
高校時代だった。やがて父の死、母の労苦、何よりも恋した女性の意外な出生事情。
白い装幀のときめきの詩集からグレー系の重々しい詩集へと、詩情が移っていった。
そういう時に中原中也詩集「山羊の詩」に遭遇。希望の無い詩にただただ共感した。
詩歌:詩集「山羊の詩」より抜粋
『汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる
・・・・・・・・・・・
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる・・・』 (中原中也)
探求:大学時代にはこの中原中也が重要なテーマとなった。石川啄木と中原中也の
定型詩(短歌)と自由詩(現代詩)、貧困(啄木)と富裕(中也)、東(啄木)
と西(中也)、僧家(啄木)と医家(中也)・・・この違い過ぎる環境なのに、
東京、創作、夭折などの共通の終着という比較文学論を5年をかけて探求す。
・・・それは今も続いている。人には夫々、生涯のテーマが課せられている。
参照#中原中也 (ダダイズム) 探訪紀行(山口県湯田温泉:中也の街さんぽ)
参照#中原中也と似ているが、非なる石川啄木((哀しみの歌人)探訪紀行
映像:湯田温泉のど真ん中に中原中也生誕之地があり、中原中也記念館となっている。
(画面左隅の石柱には『中原中也誕生之地(明治40年4月29日生)』との刻印がある)
中原中也と謂えばやはり、学生時代同棲していた長谷川泰子が友人小林秀雄に走った
事件が思い起こされる。この男女の奇妙な関係は学生時代筆者には理解出来なかった。
いやいまでも理解できない、その後他の男と結婚した泰子の子供を可愛がった中也を。
こういう虚無を根底に持ち、既成の常識とは程遠い生活、行動が背景の思想を『ダダ
イズム』という。1920年代に勃興した芸術思想・運動であるが中原中也も影響を受け
ている。しかし中也の破天荒生活は裕福な実家の仕送りが主で賄われていたのが実状。
参照#①中也の街さんぽ(湯田温泉) ②中原中也記念館(中原中也記念館HP)
本日発売:温泉関連情報 温泉の日本史(石川理夫著:中公新書)
記紀の古湯、武将の隠し湯、温泉番付
温泉評論家石川理夫氏待望の一冊が発売された。『温泉の平和と戦争』(彩流社)、
『本物の名湯ベスト100』(講談社現代新書)、に次ぐ温泉本三部作目。著者の目指す
桃源郷である温泉の彼方のアジールが漸く全貌を現わしたといっていいだろう。
内容:神の湯と神聖視された古代から、天下泰平で花開いた江戸期の入浴文化、
そして近現代の発展まで。エピソード豊かに綴る通史。・・温泉の歴史を
紐解いてくれる著者の、一貫した温泉に対する想いを読解く事が出来る。
販売:アマゾンは勿論、中央公論社(中公新書)版なので、全国の書店で勿論
入手可能。店頭にない場合は、店員にお取り寄せ注文するなどされたい。
記録:新刊発行日 2018年6月21日、新書判、272頁、定価880円(税込950円)
ISBNコード=ISBN978ー4-12ー102494-7
参照#『本物の名湯ベスト100』(講談社現代新書)紹介blog
≪ 速報:草花探勝 唐松草(奥入瀬渓流阿修羅の流れ) 2018.6.17 ≫
梅雨時の奥入瀬渓流を散策した。運動不足の筆者には日本で最もオゾン浴が
できると思われる奥入瀬渓流はいつ来てもリフレッシュ効果抜群。今日は曇
天の一日なので軽く阿修羅の流れから雲井の滝まで渓流・滝・草花を観察す。
分類:キンポウゲ(目・科)・カラマツソウ(属・種) 漢字:落葉松草
花言葉:大胆、さりげない優しさ、献身
参照:①奥入瀬渓流阿修羅の流れ ②奥入瀬渓流雲井の滝
放浪の俳人:種田山頭火はやはりこの長州の温泉場にも足跡を残していた。
九州・四国・中国そして関東甲信越まで足を延ばした山頭火も学生時代に
興味を持った俳人。結果藝術的な俳人になったが本人はその日その日暮し。
碑文:『 ほろほろと 酔うて この葉散る 』 (山頭火)
解説:俳句は通常五・七・五なのだが、山頭火は所謂自由律と称し型を破る。
この句に見られる様に、五・三・五となりより直情的に想いが伝わる。
つまり、形を破る事により表現が生き生きとしてくる。果たして種田
山頭火は破っている意識はあったろうか?自然と自由に言葉を発した。
記録:種田山頭火はこの山口県防府市の出身である。九州(日奈久温泉)で
最初にであった山頭火足跡。とうとう、その出身県に辿り着いたのだ。
参照#九州熊本県八代市での山頭火石碑(温泉は良い・・・日奈久温泉)
参照#更に極端(七・七)に自由化した句(山頭火:長崎県島原温泉)
湯田温泉駅から中原中也の生誕地を目指して数分。左手に公園が見えて来た。
井上公園は明治の政治家井上馨の屋敷跡を整備したもので、明治の歴史的な
建築物(七郷落時代の寓居)を保存展示。その一角に中原中也の詩碑がある。
碑文:「帰郷」 より
『・・・これが私の古里だ さやかに風も吹いてゐる
心置きなく泣かれよと 年増の低い声もする
あゝおまへはなにをしてきたのだと・・・
吹き来る風が私に云ふ』(中原中也)
解説:中也は貧困の歌人石川啄木とは対照的であった。破産追われし寺小僧
と、裕福で名士の坊ちゃんとでは背景が違い過ぎる。しかし、何故か
望郷の思いは重複する。ともに古里に気楽に帰れない事情は似ている。
参照#①中原中也記念館 ②石川啄木歌碑「石川啄木(ふるさとの・・・宝徳寺)」
③中原中也(ダダイズム)探訪紀行
JR新山口駅からJR山口線でおよそ20分で湯田温泉駅に着いた。
ず~と、思い描いて来た湯田温泉。此処はただの温泉地ではない。
学生時代愛読した詩人中原中也の生まれた土地・故郷なのである。
中原中也:湯田温泉の中原医院長男とし出生。詩人、夭逝(30歳没)。
記録:一面一線式地上駅、一日乗車客数1,243人(2016年)、業務委託駅
≪ 速報:映画鑑賞 羊と鋼の森(TOHOシネマズ)2018.6.12≫
2016年の本屋大賞の映画化作品。なんといっても北海道の自然・街路が背景の
映像と、ピュアなピアノ旋律が随所に現れそれだけでも癒される。冒頭の一瞬、
絶景景観は大好きな摩周湖の裏にあるコバルトブルーの神の子池だった記憶・・・。
感想:シネコンの複数上映で少数(10人前後)でも映画を鑑賞できる時代となり
今日は平日なのでゆったりいつものシートで気になった作品を鑑賞。三浦
友和や話題の大河ドラマ西郷どんの主役鈴木亮平が脇役で山崎賢人が主役
という豪華キャストと北海道の景観を背景に展開するベストセラー映画化。
参照: 神の子池(北海道清里町)の景観
念願の山口県。九州へ行くときここはいつも素通りだったが、今回山口宇部空港を
起点と終点として、山口県の温泉地を学生時代の想いを籠めて訪問することとした。
最終目的地は熊本県黒川温泉だが、こうする事により未踏の山口県を温泉探査可能。
足跡:新幹線で東京駅、浜松町駅からモノレールで羽田空港。凡そ一時間で宇部市
にある山口宇部空港に到着。更に、一時間弱の高速バスで新山口駅前に到着。
※※※2018年春季温泉調査はこの山口宇部空港から始まり山口宇部空港で終る。
弘前藩歴史館は津軽藩の賢君ともいわれる津軽信政公(第四代)が使用した武具など
を中心に凡そ5千の宝物歴史料が収蔵されている。その信政公を窺がい知るのがこの
肖像画。石田三成の娘(辰子)と津軽為信の三男(信枚)の間に生まれた信義の子供。
考察:津軽信政公は堅君として名高いが、その血は戦国時代の知将石田三成から引き
継いだものに相違ない。大阪から逃れた石田三成の娘辰子は津軽信建の手引き
で名前を変え、曽野として二代目信枚の正室(徳川の姫の輿入れで後に側室)
となり、信政公の父上信義の生母(後に家康養女満天姫が輿入後満天姫が継母)。
参照:信政公の曽祖父津軽為信の銅像(弘前文化センタ∸前庭)
(2018春/さくら~ 弘前城物語 完)