白山温泉から里山へ降りる。永井旅館の本拠地が白峰温泉。ここは古くから周辺部の中心部で古い家並みで庄屋屋敷などが見られ昔懐かしい景観だ。同行した温泉評論家I氏は、この白峰温泉の家並が好きだと語っていた。
白山温泉から里山へ降りる。永井旅館の本拠地が白峰温泉。ここは古くから周辺部の中心部で古い家並みで庄屋屋敷などが見られ昔懐かしい景観だ。同行した温泉評論家I氏は、この白峰温泉の家並が好きだと語っていた。
映像:白山登山道口の一軒宿永井旅館の女子浴室、左が31℃、右の大きい湯船が42℃で交互浴
白山を訪れた人は登山道口の永井旅館の佇まいに何とも言えない懐かしさを覚える。いつか来た宿と錯覚さえ感じる。それは白山という名のシンプルさと旅館の簡素さが印象深いからだろう。5年前と同じ様に宿の女将に迎えられた。入浴を願うと掃除中なので女子浴室をどうぞと勧められる。男子浴室とは違いこじんまりと味わい深い。疲れた五体には丁度よい癒しの空間。
入浴法:此処も秘湯の条件を備えている。小さめの温い湯船に最初入り、そして熱めの大きい湯船で仕上げる。夏だと温めの湯船が込み合う…日本の秘湯青森谷地温泉、鹿児島湯乃谷温泉の冷温交互浴法に似ている。
【Data】含重曹ー食塩泉 48.2℃ PH6.5 源泉:白山温泉2号源泉
永井旅館:白山登山の基地、温泉宿に山男山女が集う参照#永井旅館(白山温泉)
映像:白山山麓中宮温泉くろゆり荘前で撮影した白山の住人:白山猿
旅立ちの朝、中宮温泉街を見下ろすと、河原の防砂堤のコンクリートに
白山の猿が群れていた。集団で日当たりで遊んでいる様は、白山の住人
に相応しい。その中の一匹が、表情豊かにカメラポーズを取ってくれた。
生息域:2004年北国新聞によれば尾添川沿いや山奥約10キロの範囲で
350匹余りのサルの群れを確認。かつて山深い岩間温泉など
に生息する6つの群れが年々繁殖拡大しているとのことである。
参照:中宮温泉くろゆり荘(白山山麓)
那谷寺境内大悲閣西南の山上に位置する。重要文化財、塔から奇岩仙遊境を中心に
境内が一望できる。三重塔といえば、どうしても山形県の安久津神社境内の幽境美
を思い起こす。山紫水明に見事に調和した様は日本の景観美の代表だ山形三重塔
宗派:高野山真言宗 寺格:別格本山 本尊:千手観世音菩薩 開祖;泰澄
指定:重要文化財(本堂、書院 他) 名勝(琉美園)
境内を綺麗にするのは勿論、私どもの心に巣食う邪悪な心も清めてもらいたく、合掌
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
映像:白山信仰の霊所那谷寺に立ち寄った一人旅の芭蕉が詠んだ句碑
『石山の 石より白し 秋の風』 (芭蕉)
句意:境内の白い石山の岩肌を吹きわたる秋風は、この石山の石より
白々として、底知れぬ物悲しさを帯びていることよ…
解釈:奥の細道の終盤、弟子曽良と別れた松尾芭蕉にはもう、迷いは
ないが。深い緑の中の白岩石に、一人旅の寂しさを改めて実感。
参照#那谷寺三重塔(那谷寺 境内)
映像:名札那谷寺の奇岩奇勝庭園の初夏
元禄2年、松尾芭蕉は弟子曾良と山中温泉で別れ、小松へ戻る道中参詣。奇岩霊石
がそそりたつ遊仙境の岩肌を臨み句を詠よんだとされる。此処、那谷寺(なたでら)は
加賀温泉郷の名勝名札で知られている。境内は老木、古石に苔むして幽境の景観だ。
宗派:高野山真言宗 寺格:別格本山 本尊:千手観世音菩薩 開祖;泰澄
指定:重要文化財(本堂、書院 他) 名勝(琉美園)
映像:山中温泉高台、医王寺にある日本でも一、二の古さの松尾芭蕉句碑。
碑文:山中や 菊は手折らし 湯の匂い(芭蕉)
句意:山中温泉の湯に浴せば、中国の菊茲童が集めた不老長寿の菊の露を飲むま
でもなく薬効があるだろう。
解説:奥の細道の中で、芭蕉&曾良にとって最大の出来事が、二人の別れである。
芭蕉はこの句で宿の主人に山中温泉を『良き薬効』があると世辞句を述べ
たのだが、愛弟子曾良の体調が思わしくなく、心中はいかばかりか察する。
加賀温泉郷山中温泉は日本を代表する紀行文『奥の細道』作者松尾芭蕉の歴史的
逗留地であり一級の温泉文化地として今後も繁栄が期待されるいで湯の里である。
諸君、人生は旅である…銘泉と景勝と歴史をこの温泉地でゆっくり体現されたい。
参照:山中温泉 菊の湯(石川県加賀温泉郷)
経営交代:山中プリンスホテルは破産倒産し、2013年12月からセレクトグランド
加賀山中として新しい経営人の元に再生した。その後、コロナ災禍で2021
年より臨時休業となった。
映像は山中温泉景勝鶴仙渓谷を望む旧山中プリンスホテルの露天風呂。山中温泉
宿泊先の入浴施設。渓谷を望む湯趣はなかなかのもの。
【Data】含芒硝ー石膏泉 26℃ PH7.9
源泉:山中温泉3、7、8、10、11の混合泉
映像:山中温泉景勝の地、鶴仙渓にある芭蕉の句碑
句碑文:『 漁火や 河鹿(かじか)や波の 下むせび 』 (芭蕉)
解説:「かがり火を焚き鰍を獲る渓流、さやさや谷川のせせらぎ。鰍が捕まるのを
怖れて、浪間で啼く声であろうか」…句間に漂う深い哀しみは何だろう。一
週間程山中温泉に滞在、芭蕉は此の地で苦楽を共にした弟子、曽良と別れる。
曽良は体調を崩し、泣く泣く師芭蕉を置き先に縁故先を目指し旅立ったのだ。
この句の物悲しさは、旅の道連れ愛弟子曽良との別れにあると見るのだが・・・。
山中温泉は歴史、景勝地、湯質、規模からいって加賀温泉郷を代表する温泉地である。日本温泉地域学会が『日本温泉地域資産』に認定の『総湯広場』に新しい魅力が備わった。道後温泉のからくり時計を想起させられるが、よく見ると『中山漆器』様式に輝く外壁紋様、山中音頭のからくり人形仕掛けは、此処の伝統文化を表出している。
宮城県から山形県へ抜ける歴史街道。いまでは紅葉の鳴子峡として観光地化されている
が山頭火が通った時代はまだまだ道は険しい山道だったのに違いない。筆者が確認した
山頭火の足跡はこの地が最北だった。九州を中心に放浪した山頭火にはここがギリギリ。
「湯あがりの あてもない雑草
つつじまっかに咲いて こんなにたまり」(山頭火)
解釈:三頭火の世界は、所詮、山頭火しか分からない💦、しかし、筆者的に感じる事は
『目的のない旅は、松尾芭蕉の奥の細道を辿り、湯処鳴子の湯で体を整えた。
そんな自分だけど、お湯処のツツジの花は花盛り、まるで私を歓迎してる』
山中温泉総湯広場にある飲泉・足湯は広場に趣を添えている。それは、この足湯の屋根(天井)にある。良く見ると、屋根は奥の細道芭蕉・曽良の笠をモチーフにしている。温泉に興じる親子には何の意味を持たない天井にはこのように記されている。
笠の露:元禄二年、江戸から東北の旧跡をはじめ荒磯の日本海を巡る芭蕉と曽良の二人旅はこの山中温泉で幕を閉じた。二人は四か月にわたる旅の思い出を懐かしみ別れの気持ちを句に託している。
『ゆきゆきて たふれ伏すとも 萩の原』 曽良
隊長解釈:…師よ、これから一人旅にて道中行倒れたとしても、そこが二人の目的地の萩咲く野(理想の地)でありたいと思います。
『今日よりや 書付け消さん 笠の露』 芭蕉
隊長解釈…曽良や、これからは、一人旅、蓑傘に書いた二人旅の言葉を朝露か涙で消さなければいけないのか、寂しいことだ。
解説:当時の日本一級の温泉観光士の芭蕉と曽良が此処山中温泉で別れた、つまり名著「奥の細道」の終焉の地。涙の師弟愛。・・・温泉場はいつの世でもこのようなドラマの場所に相応しい。
温泉地活性化研究会は単に温泉だけを愛でるのではなく、温泉の持つエネルギー、そこに集まるマンパワー、時代が残すロマン、共鳴する景観・風俗・文化・・・それら全部を『研究』の対象としています。まさに、温泉文化の追及といってよい。
映像:大聖川を跨ぐ「こおろぎ橋」越しの鶴仙渓の新緑
加賀温泉郷の代表的な温泉地、山中温泉について紹介。こおろぎ橋は山中温泉の景勝地
にある江戸時代の橋と言われ、かつての形状を殆ど変えず総檜造りで1990年に新たに架
け替えた。山中温泉のシンボル的存在で、大聖寺川はこの橋から下流へ約1km余りの黒
谷橋にかけて鶴仙渓と呼ばれ景勝地として知られる。今日も浴衣の男女が裾を乱し散策。
白神山地を観測後西浜街道を北上、天候もいいし、立ち寄りたい温泉がある。不老ふ死温泉だ。不老ふ死と云えば夕陽の入浴情景が思い浮かぶが早朝の風情もなかなかである。朝陽は丁度白神山地方面から昇る。黄金色の湯面は『朝陽の湯』といってよいだろう。初夏、朝の清々しい不老ふ死温泉も又味わい深い一湯である。(09.06.20 7:41)
参照:不老ふ死温泉(黄金崎絶景夕景) 参照:2010年以前の白神山関連景観