お湯の国 日本

美しい日本の温泉地中心の旅記録(おんせん鑑定士:監修) 【記事・映像は著作権、人権保護法等により無断使用を禁じます】

北 門 (弘前城 四の丸側構 )

2024年11月26日 |  🏯弘前城址探訪

   弘前城 北門 弘前城四の丸側構    【弘前城 晩秋 トレッキング2024 2024.11.09
   
     弘前城をトレッキングしての折り返し点ともなる「北門(亀甲門)」の内側の構えを観察。
   この門は尾上(平川市)に在った「大光寺城」の追手門を弘前城建設時移築したされる。
   筆者的には、外側の構えが好きであるが、陽射しを浴びた内側の構えもなかなかのもの。

記録:大光寺城は11世紀発祥とされ、近世は南部氏配下の滝本氏が城主。津軽大三名城
   とも言われ、この門から大光寺城が立派な城であったことが推察される。この門
   には為信が大光寺城を攻めた際の刃跡が残されて、唯一戦禍にあった門とされる

参照#①お壕側から眺めた亀甲門(北門) ②弘前城トレッキング 2024

コメント

亀甲橋 ( 弘前城 桜・堀・門 )

2024年11月25日 |  🏯弘前城址探訪

 リニューアル再掲:亀甲橋の絶景・景観を画像を厳選して、再度公開をした。

 (弘前城さくらまつり30:2018.04.22)
 西堀から迂回して亀甲橋にいたる。満開の弘前城はどこに行っても絵になる。
 まさに桜のお城。橋の先は別名亀甲門という北門北の守り。この橋の手前
 に武家屋敷が現存する。お城の中には殿様の縁戚・重臣、城外には中堅武士。

 参照:① 日本 城門 探訪紀行
    ② 城内から見た「北門」
    ③ 武家屋敷(藩医伊東家住宅)
    ➃ 弘前城(津軽藩)探訪 紀行 

コメント

賀田橋(弘前城 四の丸)

2024年11月22日 |  🏯弘前城址探訪

      弘前城 四の丸 賀田橋       【弘前城 晩秋 トレッキング2024 2024.11.09
   
      もう何回もこの場所を通過しているのに、そしてこの橋を渡っているのに。ただの小橋
      と思っていたら、ナントちゃんと名前が付いていた。「賀田橋」。この賀田という地名
      は岩木川対岸の岩木町名名称であった。ここでも弘前城と岩木町(大浦) の関係が分かる。

 推察:岩木町は藩政時代には大浦と呼ばれていた。何故岩木山麓に大浦の地名があるの
      か疑問も持たなかったが、岩木川河岸の重要な港(大浦)と、津軽氏がもともと
    西海岸北前船港町鰺ヶ沢勢力で旧名も大浦氏を名乗っていたという由来が見える。
    北前船の利益で勢力を増した大浦光信の三代目が大浦為信、後の津軽為信である。
    現在、津軽為信の銅像が鎮座する周辺も江戸期から大浦町の地名が残る歴史的地。

 参照弘前城トレッキング 2024

コメント

下乗橋 擬宝珠(弘前城本丸)

2024年11月21日 |  🏯弘前城址探訪

   弘前城 本丸下乗橋 擬宝珠      【弘前城 晩秋 トレッキング2024 2024.11.09
   
   今年の弘前城の特徴は天守閣修復完成目前と、橋の欄干の擬宝珠が塗り替えられて存在
   感を発揮している。中でも、弘前城本丸を隔てている下乗橋擬宝珠が鮮やかな黒塗り。

記録擬宝珠右横の奥には完成間近い天守台の工事現場が確認できる。更にその奥には
   仮天守台に建つ弘前城天守閣の甍が覗いている。来年いよいよ10年振りに往時の
   天守閣石垣が完成する。首を長~くして待ち望んだ天守景観をこの擬宝珠が彩る

参照弘前城トレッキング 2024

コメント

羊申櫓 (弘前城二の丸南西)

2024年11月16日 |  🏯弘前城址探訪

一見地味な櫓だが南面の敵の進入に対する重要な砦。今日は早朝なので朝陽が眩しい
加えて堀中に祭りイベントの竿船が浮いている景観は菊と紅葉まつりならではのもの

(過去の記録:2012.10.08)
弘前城は築城以来の城郭(本丸、北の郭、二の丸、三の丸、内堀、中堀、蓮池、外堀)
がほゞ往時のまま残っている全国でも希少なお城。城郭の一角(二の丸内堀端)に位置
するのが「羊申(ひつじさる)。追手門から内堀・杉の大橋に差し掛かると雄姿が見える。

解説:明治28年に弘前公園として開放されたが、近年まで城内に大学校舎、野球城
   陸上競技場、テニスコート(一部現存)、図書館などの公的施設があったが現在
   は全て撤去され、嘗ての薬草園を思わす植物園も復元された市民の憩いの場所

参照弘前城トレッキング 2024

コメント

追手門(弘前城 正面入り口)

2024年11月14日 |  🏯弘前城址探訪

 鑑賞速報弘前城追手門(大手門改修終了後(2024.11.09 弘前城菊と紅葉まつり)

 2024年晩秋。弘前城の一年の締めの季節。紅葉の城内をトレッキング。春のさくら
 まつりほど華やかではないが、筆者の憩いの場、一年に一度の景観は北のまほろば
 追手門の改修後初めてだ。鮮やかな甍が往時を忍ばせる。新装なった追手門を通る
 動画Instagram動画QRコード(春の追手門景観)‥‥‥‥ ➡ 

 参考:弘前城(弘前公園)の現存する門・・・追手門南内門東門東内門亀甲門
       (津軽弘前城史によれば、1676年当時上記五門存在、つまり創建時のまま
    因みに城割りの西側は岩木川利用の自然要塞状態で戦闘用の城構えであった。

 考察:当時の津軽藩の脅威は南部藩であり津軽南部には南部藩の出城があった程で
    弘前城の東南は二重の堀、追手門、南門、東内門、東門で堅め、もし侵攻が
    あった場合、岩木川を越えた本拠地の大浦城、種里城へ逃れる万全の城構え

 参照#①日本 城門 探査紀行 ② 弘前城(津軽藩)探訪紀行

コメント

弘前城 (津軽藩)探訪紀行

2024年11月11日 |  🏯弘前城址探訪

   弘前城の現存天守閣や国重要文化財など、貴重な城郭資産をまとめる(2019.9.20)
              映像:弘前城天守閣から眺望した桜満開時の下乗条橋景観
               (下記アンダーラインを🖱クリックすると、本ブログの探訪記録参照可)

       ① 大手門(弘前城正門:国重要文化財・・・南西面には弘前市役所庁舎)
       ② 内濠観光舟(三の丸石橋桟橋~辰巳櫓~杉の大橋~羊申櫓・・・往復)
       ③ 杉の大橋(内堀架橋:二の丸への橋・・・南内門の前面桝に位置する)
       ➃ 南内門(二の丸南門:国重要文化財・・・紅葉の撮影名所、羊申櫓側)
       ⑤ 桜ハート(二の丸:羊申櫓前・・・新しい観光スポットSNS人気発信)
       ⑥ 羊申櫓(二の丸南西:国重要文化財・・・西側眼下には弘前工業高校)
       ⑦ 辰巳櫓(二の丸北東:国重要文化財・・・東側眼下には弘前城植物園)
       ⑧ 二ノ丸 御高覧所(騎馬武士団馬術の技量を城主が高覧する場所跡 ) 
       ⑨ 下乗橋(内堀木架橋:天守閣への橋・・・天守閣借景の撮影スポット)
       ⑩ 下乗橋擬宝珠(下乗橋欄干飾・・・伝統的建造物に見られる魔除け飾)
       ⑪ 亀 石 (本丸虎口巨石:弘前城攻略の最後の難関となる本丸天守閣)
       ⑫ 鶴ノ松 (本丸虎口名木:弘前城随一の名木として天守ロードを飾る)
       ⑬ 天守閣(御 三 階 櫓:国重要文化財・・・国内現存十二天守閣のお城)
       ⑭ 旧天守台(大天守閣:本丸南西部五層御櫓・・・落雷で炎上崩落した)
       ⑮ 最長寿桜(東内門前:二の丸与力番所並び・・・推定年齢143年樹)
       ⑯ 与力番所(移築復元:東内門前・・・桜祭り茶会会場・日本最古の桜)
       ⑰ 東内門(二の丸東門:国重要文化財・・・ピクニック広場の城側入口)
       ⑱ 石 橋(東内門外橋:弘前城内で唯一の石橋・・・文化財級の古石橋)
       ⑲ 薬草園(弘前城植物園:藩政時代の薬草園・・・三の丸植物園とした)
       ⑳ 東 門三の丸東門:国重要文化財・・・東前面に弘前文化センター)
       丑寅櫓(二の丸北東:国重要文化財・・・東側外堀前に弘前中央高校)
       ㉒ 鷹丘橋(内堀木架橋:本丸から内北郭・・・藩主プライベートゾーン)
       波弥橋  (北の郭から殿様が忍びで・城下に出かける時の跳ね橋伝説)
       賀田橋  (二の丸から四の丸に下った所・お化け屋敷手前の小さな橋)
       ㉕ 青森県護国神社 (護国神社は全国各地に設置され公的殉職者を祀る)
    
       ㉖ 北 門(四の丸北門:国重要文化財・・・四の丸レクレーション広場)
       ㉗ 亀甲橋(外堀木架橋:四の丸へ・・・北側城下町には武家屋敷が現存)
        春陽橋(西濠木架橋:西濠ボート乗り場・・・桜のトンネル・遅咲桜)
       ㉙ 西濠ボート乗り場(桜のトンネルと西堀・・・桟橋から春陽橋超景観)
       ㉚ 一陽橋  (外濠木架橋:紺屋町から護国神社・四の丸へ抜けるに便利)
       ㉛ 藩祖像(津軽為信公:弘前文化センター・・・正門エントランス設置) 
       高照神社(津軽藩中興の祖と尊敬された、名君津軽信政を祀る神社)
       ㉝ 御仮屋御殿(碇ヶ関温泉郷:「関の庄温泉」西本陣・藩主湯浴みの地)
       ㉞ 御湯殿 (浅虫温泉郷: 「柳の湯津軽藩 本陣の宿にある殿様用浴殿)
       ㉟ 弘前城 トレッキング2021:弘前城一周GPS経路図 (大手門出着)
       ㊱ 弘前城 トレッキング2023:晩秋の弘前城一周 (弘前市民会館出着)
       ㊲ 弘前城 トレッキング2024:晩秋の弘前城一周 (弘前市民会館出発)

規模:総面積385,200㎡(参照年代:1676年11月)東京ドームグランド30個分相当である。
   因みに国宝松本城総面積390,000㎡は二の丸、本丸の92,700㎡しか現存していない。
城割本 丸・北之内郭・西之郭・・・城主居住空間、側室や御母堂などが住んでいたと推定
          防御   石垣内堀、蓮池、水路、岩木川(その後土地改良で現在は西濠)
   二之丸・・・親族(津軽大学、津軽平重郎、大道寺隼人(国家老)、杉山勘左衛門(石田三成子孫)
        防御   土塁内堀
   三之
・・・御評定場、縁族・重臣武家屋敷61棟、空家敷6棟、
        防御   土塁外堀、水路
   四之丸・・・御普請場、御作事場、御木材置場、幹部家臣団屋敷50棟、空家敷1棟、
        防御   土塁外堀、水路 
   五之丸・・・現民有地(馬屋、馬場、的場、星座、御紙漉所、幹部家来屋敷30棟,空家2棟)
        防御   土塁水路(北・東)、創建当時は岩木川で現在西濠(西・南・・・)
      ※弘前城西に付属施設として、馬屋、馬場、的場、星座、紙漉場、30武家が居住、
      幕府関連重要人物(柳川調興:家康や秀忠の小姓で流罪を命じられ弘前藩預かり)
      なども居留し、城郭に隣接して防御も完璧な一角を筆者は「五之丸」と位置づけた。
   大館舘・・・津軽藩の飛領地、信牧公はここに徳川に敗れた石田三成公の娘辰姫を側室とし
      てかくまった。当初は正室であったが、徳川家康に養女満天姫を正室に押付けら
      れ側室となる。(現在の群馬県太田市である、参勤交代の都度立ち寄ったと推察)
      因みに、辰姫の子供信義は満天姫が養子に迎えて三代目となり、名君信政公の父。
      更に辰姫の兄は杉山源吾と姓名を変えて仕え代々家老職継承。石田三成の血筋は
      北の大地に引き継がれた形となる。歴史ヒストリア摩訶不思議な人間模様である。
経緯:明治政府下では本丸御殿等は破却され、陸軍師団の基地などに転用され、その後も大学,
      陸上競技場、図書館、野球場など設置されたが多くは撤去されてほゞ往時の
      城割・空間が保存されている全国でも貴重な城郭とし知られている。現在、城内
      にある施設は弘前市民会館(管理棟)、弘前市立博物館、テニスコート、弘前城植
      物園、レクレーション広場等で市民の健康・文化・憩いの場所として親しまれる。

文芸:作家司馬遼太郎の「街道を行く―北のまほろば」では日本七名城の一つとして記述される。
   日本七名城とは、弘前城、丸岡城、備中松山城、松山城、丸亀城、宇和島城、高知城
   ことで、他に国宝五城松本、犬山、彦根、姫路、松江)で現存天守十二城を構成する。
指定国重要文化財、国史跡、現存十二天守、日本百名城、日本さくら名所百選、日本の歴史
   公園100選、日本の都市公園百選、人と自然が織りなす日本風景百選、日本三大桜名
   所、平成百景(お城のある風景)、江戸時代の建築物、ミシュラングリーンガイド 一つ星
参照#①日本の城郭探訪紀行 ②日本城門(史跡)探訪紀行日本戦国武将(英傑・女傑)探訪紀行

コメント

弘前城トレッキング 2024

2024年11月11日 |  🏯弘前城址探訪

   トレッキング速報弘前城 晩秋 トレッキング2024GPS(2024.11.09)
   Instagram:イメージ曲・浜田省吾‥‥‥‥‥‥ ➡ 
   
   岩木山ほの薄化粧。いよいよ冬も間近い。そんな時期、貴重な小春日和
   を利用して『弘前城菊と紅葉まつり』を意識して、早朝の弘前城をトレ
   ッキング。心なしか紅葉が薄い。やはり異常気象で秋が飛んでいったか。
   以下の記事は今回のトレッキングで初めて気づいた事象。他は既に記載。
                     (記事掲載毎にアンダーライン閲覧可能記事が増える)

      1. 追手門(大改修後)‥‥‥‥弘前城晩秋トレッキング
      2. 羊申櫓(三の丸)‥‥‥‥‥弘前城晩秋トレッキング
      3. 下乗橋欄干(二の丸)‥‥‥弘前城晩秋トレッキング
      4. 賀田橋(四の丸)‥‥‥‥‥弘前城晩秋トレッキング
      5. 青森県護国神社(四の丸)‥弘前城晩秋トレッキング
      6. 北門内側(四の丸)‥‥‥‥弘前城晩秋トレッキング
      7. BAR GLEN MORE  ‥‥‥‥トレッキング前夜乾杯酒
      8. ハッピィー百沢温泉‥‥‥‥トレッキング終了仕舞湯
      9. たかはし中華そば‥‥‥‥‥トレッキング終了後食事

     記録:弘前公園一周   ⌚2:14  5.4㌔ 34m 3m

     参照#① 弘前城 (津軽藩) 探訪紀行 
        ② 弘前城トレッキング (弘前さくらまつり2021)
        ③ 弘前城トレッキング (菊ともみじまつり2023)

コメント

鶴ノ松 ( 弘前城 本丸虎口 )

2024年05月01日 |  🏯弘前城址探訪

     弘前城さくらまつりではとかく桜の木に目が行くが弘前城内随一の名木で
     知られるのが、「鶴の松」と呼ばれるアイグロマツ。丹念に手入れされて
     老鶴形の美しく優雅な姿は、向いの「亀石」とペアで鑑賞すると目出度い。

     参照#① 弘前城本丸虎口「 亀 石 」 ② 弘前城(津軽藩)探訪紀行

コメント

弘前さくらまつり '24

2024年04月23日 |  🏯弘前城址探訪

 鑑賞速報弘前城天守閣:二の丸下乗橋付近     (2024.04.20 弘前さくらまつり

 2024年弘前さくらまつり。本日(4月20日)、満開宣言がなされた。コロナ災禍後の
 本格的な花まつりで晴天下で往時の賑わいが戻ってきた。気になるのが桜の木の古木化
 と低木化だ。嘗ては堂々と茂り、見上げながら逍遥したものだが・・・天守台の城壁に
 足場が組まれ修理中だが、いよいよ来年は元の場所に収まる。その後が真の桜まつりだ。

 観察:本来は足場の最上部に天守閣が聳え建っているのだが、映像奥に僅かに仮天守台
    の天守閣の甍が覗いている。工事は着手からおよそ10年の月日がかかる難工事。

 参照弘前城(津軽藩)探訪紀行

コメント

天守閣 (雪燈籠まつり '24)

2024年02月25日 |  🏯弘前城址探訪

   リニューアル再掲:映像は2023年2月11日の雪灯篭祭りの天守閣の景観
   動画Instagram 2024年の様子(フォロー必)  

   (過去の記録仮台座に鎮座する天守閣)
   厳冬期の合間、束の間の青空の下、弘前城天守閣は悠久の時を刻んでいた。
   ただ違うのは、天守閣が設置されている場所がお堀の前ではないという事。
   平成・令和の大修理が終わると元の場所に移される。今しか見れない景観。

   城感:現岸田首相が外務大臣時代にこの城を外国の要人を伴い見学に来た。
      筆者は偶然その場に出くわした。そんな時代の趨勢を天守は見守る。

   参照#① 修理前 (正位置) の天守閣   ③ 日本のお探訪紀行 
      ② 弘前城 (津軽藩) 探訪紀行   ④ 日本の武将 探訪紀行

コメント

電子立札(弘前城 下乗橋前)

2023年12月05日 |  🏯弘前城址探訪

    電子立札(二の丸)  弘前城 晩秋 トレッキング2023 2023.11.15
   
    高札は中世であればお上の命令などを告知するものだが、この電子札は
    弘前城の観光情報を伝えるものだ。もう何十年も城内を逍遥しているが
    タッチパネル式の電子掲示板は初めて遭遇した。弘前城も進化している。

    参照弘前城 晩秋 トレッキング 2023

コメント

弘前城 天守閣(下乗橋 袂)

2023年12月02日 |  🏯弘前城址探訪

    天守閣&下乗橋    弘前城 晩秋 トレッキング2023 2023.11.15
   
    弘前城の核心地に迫る。下乗橋の袂から天守閣を望む。天守閣の台座が
    修復中なので台座に足場が組まれた先に仮の天守閣甍が聳えていた。こ
    の天守閣が元の場所に戻るのが楽しみだ。そんな願いを込め天守を拝礼。

    記録:弘前城が元の姿に戻るのは 2025 年以降。下乗橋に立ち、天守閣
       を背景にオスマシして記念撮影するのが観光客の一番の記念写真
       なのだが・・・・暫くおあずけだ。十年の月日はやはり長すぎる

    参照#①往時の弘前城天守閣 ②弘前城 晩秋 トレッキング 2023

コメント

大イチョウ(弘前城 西之郭)

2023年12月01日 |  🏯弘前城址探訪

    大イチョウ(西之郭) 【弘前城 晩秋 トレッキング2023 2023.11.15
   
    弘前城内に入り真っ先に向ったのは西之郭の「大イチョウ」の観察で
    であった。晩秋の絶景はこの根元が盛り上がった大イチョウの黄色の
    絨毯。弘前城構内の「古木・名木」としても、貴重な鑑賞木のひとつ。

    観察:弘前城には桜の古木や植物園の珍しい果樹などがあるが、この
       時期の大イチョウは樹齢300年、高31m、幹周6mと樹体も
       立派だが、根元が大きく盛り上った樹容は気品さえ感じられる

    参照#①日本一の大イチョウ  ②弘前城 晩秋 トレッキング 2023

コメント

南内門(弘前城 二之丸入口)

2023年11月30日 |  🏯弘前城址探訪

    南内門(二之丸)【弘前城」晩秋 トレッキング2023 2023.11.15
   
    今回の弘前城トレッキングは隣接する藤田記念庭園前の弘前市民会館
    の進入口から入り、大手門を迂回。なので、最初のお城建造物はこの
    南内門。一年間修復後初めて見る門に感慨。学生校時代から親しむ門。

    門感:学生時代はなんの感慨も無くこの門を通っていたが、最近は門
       の向こうに見える景色や、行き交う人々など、非日常の景観や
       戦国時代の特徴である虎口構造の佇まいにいにしえを思い遣る

    参照#①お城側からの南内門景観  ②弘前城 晩秋 トレッキング 2023

コメント