映像:いまだ噴煙を上げる昭和新山(2007.08.18取材)。
地球は生きている!洞爺湖カルデラにある昭和新山はその事を多くの人々に再認識
させた。昨年サミットで有名になった洞爺湖畔。その近くの地面が突然隆起し始め、
山となった。火山の隆起と共に集落は消滅した。そこにも良質な温泉が湧いている。
考察:昭和新山は1943年~45年迄火山活動の末の溶岩ドーム。第2次世界大戦のさ中
の出来事、当時、地元の郵便局長三松正夫氏が火山を詳細に観察。更に火山で
家や農地を失った生活支援を勘案、農民から溶岩ドームの土地を買い取ったと
いう。故に、昭和新山は、世界的に貴重な私有地にある火山となる。
映像:スノートレッキングで雪中行軍した快晴の八甲田山中、樹氷が美しかった
【八甲田トレッキング 2009.3.30 】
厳冬の八甲田山も気象条件によっては楽しい空中散歩ができる。樹氷の向こうに
八甲田大岳が招く。何も遮るものもない空中庭園を現地のガイドと歩く。およそ
2時間で麓の温泉宿に辿りつく。山は、しかし侮れない。振り返ると、もう雲海
に覆われ見えなかった。一年で数えるほどしかない厳冬期の晴天、今日は絶景だ。
北海道中央部には多くの炭鉱があった。日本の高度成長を支えた原動力の一つだ。
一方で深度を増し、採炭の困難もあり廃鉱となったが、現代の経済の低迷時、最先
端の機械技術力でこの廃坑を利活用出来ないものか?資源が再生できないものか?
碑文
『炭車の響き川を渡る
河そこに映える赤間の灯
仲間が流した血と汗の証
炭車の響き山あいに木霊し
黒々と流れる空知川
長屋の灯りは父母の温もり
炭車の響き無事故の知らせ
今夜もまたまどろみの内に
降る雪と眠る』
解説:炭車とは地底への垂直軌道の大きな車輪。この大車輪がビルの上に回る光景
が炭鉱のシンボルであった。黒い空知川、長屋、無事故・・・当時の採炭は
生死をかけたキツイ仕事だった。
映像:火の島桜島の小さな温泉場の丘に林芙美子の銅像・文学記念碑が設置(06.03.18)。
放浪記の作者林芙美子の人生も又放浪の一生だった。遠くは北海道まで足跡を残して
いる。その放浪記を舞台で2,500回演じた俳優:森光子もまた凄い。全ての始まりは
このマグマの島桜島にあった。小さな温泉宿の娘と行商人の婚外子としての生い立ち
が大きなドラマを展開する。古里温泉の混浴龍神露天風呂には今も多くの人が訪れる。
碑文:『花のいのちは みじかくて
苦しきことのみ 多かりき』 芙美子
所感:訪ねた時は春だった。島はずれの海辺の湯治場に旅館はもうないが僅かに当時
が偲ばれる。林芙美子記念古里公園には幼女期の像と晩年の像が対照的に設置。
林芙美子の少女期は「花」。しかし、女の性(さが)は咲いては散りゆく運命。女
の一生は多くの苦しみ、悲しみに満ちていた。その事を体現した言葉であった。
後日:その後、2012年9月末この龍神露天風呂のある古里観光ホテルが廃業した。
桜島を代表する温泉宿が又消えた。せめて龍神露天風呂だけでも保存願う。
参照#① 古里温泉混浴温泉露天 龍神の湯 ② 桜島で味わった名湯「マグマの湯」
③ 林 芙美子(放浪記・作家)探訪紀行
映像:平川沿いに佇む旧柴田旅館左隣に新しい碇ヶ関温泉会館が建っている。
柴田旅館は碇ヶ関温泉郷で古い旅館。残念ながら4、5年前に営業を休止した。
この旅館で悲劇の作家太宰治が小山初代と仮祝言を挙げたのだ。今年太宰の
生誕100年にあたり、この旅館の現在の姿を紹介する。
解説:小山初代は北海道で生まれ大鰐町の小学校を出、青森市の浜町で芸者
をしていた。太宰は高校時代に馴染みとなり遂には東京大学時代にこの初代
と駆け落ち同然に同棲する。止む無く津島家は分家処分にし、結婚を認めた。
そして柴田旅館でひっそり仮祝言を挙げさせた。しかし、太宰の義弟小館善
四郎(後のレモンの画家)と初代の姦通事件が発生し、離別、その後初代も
太宰も不幸の淵へと突き進むこととなる。そういう文学史のメモリアル旅館
推測:津島家ほどの資産家がこの地方で結婚式を挙げると言えば、大鰐町の
老舗旅館で揚げる事が考えられるのだが、やはり世間体を憚った配慮
その隣の小さな県境の温泉地での結婚式挙行なのだと推測されるのだ。
【Data】単純温泉 45.2℃ pH:7.4 源泉名:三笠山3号泉
記録:柴田旅館の前、平川の川原には共同浴場(露天風呂が)存在していたが
いまは無く、柴田旅館左隣の碇ヶ関温泉会館にその名残りが見られる。
参照#①太宰治(含羞と失意の作家)探訪紀行 ②碇ケ関温泉会館
映像:青森県温川温泉の敷地内にある文豪吉川英治の文学碑(2005.7撮影)
文豪吉川英治が投宿、執筆活動をした山のいで湯温川温泉。森閑とした渓流沿い
の一軒宿は創作で疲れた心身を癒すには最適だ。昭和初期、芸術家の多くはこう
した湯宿に創作活動の拠点を求めた。下風呂温泉の井上靖、浅虫温泉の棟方志功
‣北畠八穂、大町桂月の蔦、川端康成の越後湯沢この様な温泉宿は全国に点在す。
碑文:『 ぬる川や 湯やら 霧やら 月見草 』 吉川英治
所感:吉川英治はこのいで湯で後の名作「宮本武蔵」の構想を練ったといわれる。
温泉とは疲れた躰を癒すとともに未来に思いを馳せるにも絶好の思索空間。
参照#碑文の中の月見草(青森県津軽半島小泊岬)
映像:春は駆け足でやってくる、春光の中岩木山は眩しかった。
黒石観光りんご園は丁度岩木山の正面の小高い丘にある。
津軽平野、岩木山を眺めるには絶好のポイント。りんご
園の整備は急ピッチ。リンゴの花の咲くころが待たれる。
映像:浅瀬石川岸、岩木山を背景に「津軽じょんがら節発祥の地」の碑が春光に建つ。
「じょんがら」とはなんとも言えない響き。云われは津軽為信の時代に遡る。南部方と津軽
方の争いで戦死した和尚が浅瀬石川原に打ち上げられた。この和尚を供養し一帯を常緑川
原と呼び供養歌踊りが「じょんがら節」。常椽川原節⇒上川原節⇒じょんがら節と変遷した。
参照:津軽三味線の演奏は上妻宏光が駿
♪津軽じょんがら節♪
アーお国自慢のじょんがら節よ 若い衆唄えば主(あるじ)の囃子 娘踊れば稲穂も踊る
アー今宵おいでの皆様方よさあさこれからじょんから節を 歌いまするよお聞きをなされ
アー声はこの通り 塩がら声で 調子はずれのこの節廻し どこがよいやら男が惚れる
アーお燗ついたよ 一口あがれ 酔えば貸します私の膝を 酒の肴にじょんがら節よ
アー歌え歌えとわーばりせめる 唄の文句は数知らねども 嘘でまるめたじょんがら節よ
アー津軽浅瀬石名の出たところ 過ぎし昔は慶長二年 津軽為信大軍向けて
アー城主政氏討死になさる 時に神宗寺常椽(じょうえん)和尚 先祖代々位牌を背負い
アー城の崖から身を躍らせて 恨みは常椽河原淵 いつか春過ぎ真夏となりて
アー村の子どもら水浴びすれば 砂の中から哀れな姿 村人手厚く葬りてここに生まれた
じょんから節よ・・・
考察:つがるじょんがら節は南部方の和尚さんを偲ぶ民謡だった。この時代の津軽平野は
南部方、津軽方の戦場であった。黒石、田舎館、平賀、尾上にその遺跡を多く確認。
映像:新装なった境関温泉の露天風呂、大浴場入口の掛かり湯がうれしい。
弘前の境関にある古くからの温泉。小生が高橋のラーメンを食べる時通る道沿いにある。
熱い、透明、混んでる、古いイメージだが、隣に新築移転、味わい深い温泉銭湯に一新。
掛け流し、湯の花が舞う大浴場はかつての透明の湯とは違う。「湯の花」が多くなった。
泉質:食塩泉、46.5℃、PH8.0
映像:ウトロ港の片隅に森繁久弥直筆「知床旅情」の歌碑が建っている (2006.9.6)
石川啄木を辿り、釧路に着いた。そしてその先根室、羅臼峠を越えて知床の羅臼町。
知床旅情の歌は森繁久弥がロケで滞在した時に作った歌とされる。メロディは類似
があるかも知れないが、歌詞は旅情あふれるもので、一度は歌った事があるだろう。
名曲とは歌い継がれるものだ。(旅の中酒を酌み知床の浜でかの詩を吟ず)
♪知床の岬に はまなすの咲くころ 思い出しておくれ 俺たちのことを
飲んで騒いで 丘にのぼれば遥か国後に 白夜は明ける♪
♪旅の情か 酔うほどに さまよい 浜に出てみれば 月は照る波の上
君を今宵こそ 抱きしめんと 岩かげに寄れば ピリカが笑う♪
♪別れの日は来た ラウスの村にも 君は出て行く 峠を越えて
忘れちゃいやだよ 気まぐれカラスさん 私を泣かすな 白いかもめを♪
(森繁久弥:作詞作曲とされる)
映像:立待岬石碑から一段下がった所に与謝野鉄幹・晶子の歌碑が
鉄幹・晶子夫婦は全国を歌会行脚するオシドリ歌人。そのほとんど
が温泉地であるが、ここ函館立待岬には天才歌人石川啄木に哀悼の
意を込めて立ち寄る。近くにはやはり、湯の里、温の川温泉がある。
「浜菊を郁雨が引きて根に添ふる 立待岬の岩かげの土」(鉄幹)
「啄木の草稿 岡田先生の顔も忘れじ はこだてのこと」(晶子)
歌碑にはこの様に刻まれ云わば弟子同然だった石川啄木の死を同じ
歌人として、その不遇と夭折した天才の石川啄木を偲ぶ歌であった。
参照#与謝野晶子(官能情熱歌人)探訪紀行
北海道函館は歴史文化が哀しみの色だ。函館戦争で戦った土方歳三の肖像画、主亡き五稜郭、土塁のみの四稜閣、深夜のラブホテル街の耀き、無人の煉瓦館…春先のチョットした風景に悲しみを感じる旅人。
そして哀しみの詩人石川啄木の墓を訪れると悲しみも最高潮に達する。啄木は故郷を追われ彷徨った挙句、たった4ヶ月しかいなかった函館の地を竟の地と定めた。立待岬の寂しさに天才歌人の悲しみが降りかかる。
青森県八甲田山酸ヶ湯温泉の姉妹設備八甲田ホテルの浴場。
源泉は八甲田山中ながら、恐らく濾過使用しているらしく
湯殿では単純温泉に近い知覚で期待していたがやや寂しい。
【Data】酸性・含鉄(Ⅱ・Ⅲ)-アルミニウム-硫酸塩・塩化物泉 75.8℃
源泉:荒川温泉
廃業:保健所の指導により外来入浴不可(平成26年月5月26日)
国道を秋田方面に走ると碇ヶ関集落の真ん中程に一風変わった旅館がある。あめりかや・・・何故なんだろう?何時も疑問を持って通り過ぎていたが、今回古遠部温泉にプチ湯治して分かった。日帰りのおじいさんのお話だと何でも先代が若い頃渡米したことからこの名になったという。おそらく、当時(大正?)であればこの村から初めての渡米でそれ自体村の名士となったのだろう。残念ながらこの不思議な名前の旅館も今は廃業している。
それにしても、この集落には不思議な名前の事業所がある。もう一つ不思議なのが「へっちょ仕出し店」・・・なんでこんな名なんだろう??
【Data】含塩化土類ー食塩泉 55.5℃ PH7.4 源泉:三笠山3号温泉
映像:秋田県立美術館の併設施設秋田ふるさと村の展示絵燈籠
秋田ふるさと村に展示されている湯沢地方のお祭りの灯篭。弘前の扇ねぶた、
秋田の竿灯を思い浮べる。特徴的なのは優しい美人画中心の絵柄だ。大きな
絵灯篭が街並みに揺れる光景も又風情あるだろう。幻想的な灯りに魅かれる。