ライアの祈り・・・なんとも魅力的な名称の映画。しかも、国宝の縄文土偶。
映画のタイトルに惹かれて劇場へ足を運んでしまった。勿論、大きなスクリ
ーンで綺麗な画像を鑑賞できる魅力もあるが、内容はいま一物足りなかった。
記録:青森県青少年育成条例第25条の規定に基づく書籍等(推奨する映画)
参照:国宝合掌土偶(青森県八戸市是川縄文館)
餃子を食べて、お腹が膨らんだのでチョコッと宇都宮市内を探索。
JR宇都宮駅から15分も歩いたころ、立派な石垣の社殿に遭遇した。
宇都宮の地名の素二荒山神社である。宇都宮は門前町として発展。
社格:国弊中社 主祭神:豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)
映像:色々餃子店を物色、最初は駅前の人気店:餃天堂
春の大人の休日の最終日、今宵は初めて宇都宮に宿泊。
此処はいつも通過駅だったが一度は餃子を食べて麦酒
を飲みたかった。今夜ようやくそれが実現する。乾杯。
特色:もちもち感が堪らない、これも又麦酒が美味しい。
餃子の店:餃天堂は駅前の小さいお店だが行列だった。
映像:人気の餃子の店「宇都宮みんみん」、昼から長蛇の列だ
餃子の街宇都宮は、日本で一番餃子を消費する街として有名だ。
これまでも、静岡県浜松市とその地位を争ってきたのだが最近
宇都宮は日本一よりも「餃子の街」としての街づくりに専念す。
参考:2014年の市民餃子消費日本一に浜松市が一年振りに返り
咲いた(総務省家計調査)
映像:桜が満開の青森県青森市浪岡地区浪岡城址景観(2015.5.25 )
青森市浪岡地区の古城。弘前城よりも創建は古いと思われる。
この一帯を北畠氏が治めていた時代の平城である。天守閣は
無い(豊臣の時代からの城構え)、中世のお城の典型である。
城郭:平城 築城主:北畠顕義 城主:北畠氏累代 遺構:土塁、掘、郭跡
構造:内館、北館、東館、西館、新館、猿楽館、検校館、無名館
指定:続日本百名城(2017年4月、103番目に指定された) 家紋:笹竜胆
歴史:北畠家は津軽(大浦)氏と南部方勢力(田舎館、大光寺など)と津軽平野
を三分していた村上源氏もしくは奥州藤原氏の流れをくむ名家であっ
たが、北前船勢力の津軽為信によって滅ぼされ、北畠一族は離散した。
東京都では久し振りの名湯体験だ。東京都西多摩郡日の出町。東京とは思えない
田舎の湯。建物から想像するにふるさと創生資金利用かな。立派なアルカリ性だ。
【Data】単純温泉 27.4 ℃ PH9.64 源泉:生涯青春の湯 ひので三ツ沢つるつる温泉
浴感:泉温27.4℃で、加温・循環・塩素消毒という、温泉マニアが嫌う条件だが
適温(41~2℃)と一部掛け流し効果が絶妙、全く違和感がない。湯づくりの
のうまさで名湯としたい。極め細かい湯管理が心地よい浴感を提供好事例。
東京六本木国立新美術館で開催されている
春の特別展示会フェルメール展での最大の
目玉が『天文学者』である。ジックリと鑑賞だ。
あとがき:2015年春の国立新美樹館ではフェルメール展が目的だったが
都内の美大生の感性豊かな作品群に触れる事が出来て思わぬ
収穫だった。本紹介はその一端である。後は展覧会場で確認を。
(2015 国立新美術館 特別展 観賞 完)
長崎県島原半島雲仙温泉で開催された日本温泉地域学会最終目的は定時役員会、
会総会そしてこの研究発表会である。一見観光にしか見えないかもしれないが、
『温泉と観光』は切り離せないというのが学会の重要な学究テーマのひとつだ。
記録:研究発表内容
①「温泉微生物研究の醍醐味」黒沢則夫・酒井博之(創価大学)
②「温泉観光地湯布院の変容に関する考察」鈴木晶(別府大学)
③「温泉の『温泉神』の成立構造と特質」石川理夫(温泉評論家)
④「強酸性千による当時治療と酸性泉リスト作成」松本肇(大学職員)
⑤「英文資料を用いた雲仙温泉における『秘書地時代の魅力を探る試み」
岡山俊直(福岡女子大学)
⑥「島原半島の観光地域構造」池永正人(長崎国際大学)
⑦「ジオパークの意味と温泉地の観光と振興の関係」浜田眞之(国際研究院)
講演:「雲仙プラン100による雲仙のまちづくり」宮崎高一(雲仙宮崎旅館)
報告:「九州における広域観光と温泉の関係について」能津和雄(東海大学)
「温泉地とおもてなし‐別府温泉郷でのスマホを利用した温泉コンシェルジュの取り組み」
斉藤雅樹(大分県:産業技術センター)
映像:長崎雲仙大会前夜懇親会で挨拶する石川会長(2015.春季大会)
長崎県で初めて開催される日本温泉地域学会総会に
先立ち前夜は投宿ホテル会場で懇親会が開催された。
凡そ60名の参加会員に石川会長が歓迎の挨拶をした
映像:源泉105℃を利用のバイナリー発電所施設を見学
温泉地活性化の活動は様々である。観光客等を対象としたものや
温泉を利用し地域貢献するものなどであるが、ここ小浜温泉では
温泉熱を利用のバイナリー発電で地域を活性化しようとしている
柳川藩の大奥機能は江戸後期以降、城外の御花畠にあった。映像の荘重な土塀は
その柳川藩別邸(大奥)の一部で水郷の町柳川の景観の一部となっている。明治
に入り幕藩体制は崩壊。柳川藩は自らの邸宅を割烹に変じて生きながらえたのだ。
城郭:平城 藩主:立花氏 遺構:天守台、石垣、堀 指定:国史跡 石高:10万9千石
家紋:立花守・柳川守(たちばなまもり・やながわまもり)
水郷の街柳川市へのアクセスの拠点がこの駅だ。筆者はJR長崎本線佐賀駅
からバス(50分)で此処に辿り着く。西鉄利用の場合福岡(天神)から凡そ43分。(
記録:一日平均乗車人員2022年10,072人(2000年は15,153人で▲5,081人)
西日本鉄道、天神大牟田線、上り福岡、下り大牟田、橋上駅2面4線