映像:山代温泉源泉公園内に設置された与謝野鉄幹の歌碑
『山代の泉に
遊ぶたのしさを
たとへて云えば
古九谷の青』 (与謝野 鉄幹)
解説:ひさびさに温泉の歌で感動した。与謝野鉄幹・晶子夫妻は無類の温泉好きで
あることは、全国の温泉地に足跡を残したことでも理解できる。しかし、こ
の句はこれまで小生が遭遇した歌とは趣が違う。山代温泉の癒しと九谷焼の
透明な美との調和・共生が見事に歌い込まれている。温泉って素晴らしい!
映像:記念館に掲示されていた往時の湯の街写真(温泉芸者と旦那衆)
芸者置屋の一覧に名前を連ねた芸者達であろうか、自動車という当時
では高級なものに大勢乗り、これまた高価な写真にパチリ写った姿は
貴重な物だ。温泉場での芸者遊びが一級の文化経済であった古き時代。
日本海に面する柴山潟のほとりに湧く名湯の里片山津温泉の共同浴場。
その昔、この潟沿いは大いに賑い一大歓楽泉地を形成していた。いまも
その名残がある。湯の里の中心部にあるのが共同浴場『総湯』である。
泉質:食塩泉(含塩化土類)70℃ ㏗6.6 源泉:片山津温泉2号源泉
湧出量:400リットル(毎分)
映像:今はもう記念館となってしまった芸者置屋に展示されている最盛期の芸者一覧板。
和歌子、誠、志乃、ゆう、かよ子、若駒、文代、治子、綾子、奈津子、甲子、あや、美咲、なお子、夏代、三枝、小米、三々加、織衣、かつ子、夕子、小力、理香、ふく美、みほ、四丸、はま子、れい子、らん、おりえ、鼓、かりん、恵子、お染、美江、すみ、寿、京弥、美乃、仙子、登志子、わか栄、夕顔、福子、奈津女、観月、奈々、つた乃、小百合、みつ子、矢重子、小梅、小花、奈津、なつめ、今日子、欄、奈緒美、きぬ、栄竜、知子、荻乃、染丸、真知子、ひとみ、ひさ美、由美、いまこ、小さく、小と美、勝代、千景、照加、純子、純、三々子、冬子、有子、るり子、はるか、正美、成也、ふく美、めぐみ、恵、千秋、よし栄、さなゑ、美津紀、五月、妙子、愛子、いずみ、のぞみ、藤子、信子、若栄、秋造、潮、浜千代、小竹、正子、篤子、まり子、くるみ、愛加、秀子、朝顔、みき、まき、まお、涼子、なおみ、鈴乃、光、かおる、小す〃、貴子、小菊、百合香、美穂、一菊、吉乃、はじめ、たまき、王竜、ゆめ乃、かる、忍、陽子、やえ、吉美、若子、絹子、沙織里、綾子、秋子、くみ、一富士、エマ、マキ、舞、清美、勝利、小とり、とんぼ、ひばり、志保、町子、都、雪路、鈴加、重子、久美、ネネ、林子、祥子、夢乃、のぶ子、美香、しのぶ、聖子、君香、てまり、小夏、千春、雪乃、つぼみ、香織、こきん、マミ、鶴子、はんき、繁造、由佳、ルミ、ひろ子、千鳥、千子、こりん、ミキ、小玉、ヒヨ子、くに栄、夢花、亜紀、春美、千枝子、えつ子、友子、洋子、たか美、おもちゃ、ゆきの、月代、福弥、小文、お富、松美、ワカ子、亜紀、高子、ゆかり、佐知子、亜寿加、寿美香、花代、とも子、ゆか、ぐみ、美佐、理花、茶田香、正美、とも栄、れんげ、藍・・・・218名余。
あなたの知っている名前はいくつありましたか?
感慨:綴って居るうちに涙が出て来た。この見番録の多くの女性はこの世にいないだろう。
どれだけの愛と哀しみと憎しみが積み重なったことか。多くの若い女性の愛憎が浮
かんでは消える。浮世の花は名を残し、みんな散っていった。片山津の湯煙の里で。
片山津温泉は柴山潟に湧出する源泉を一か所に集めそこから各温泉施設に配湯するという集中管理が必須・自然な温泉地。今では掘削技術が発展安定した源泉の確保は容易であるが、明治初期は相当困難であった。その名残がこの配泉所に見てとれる。
温泉は放置すると温泉藻など有機物が棲息し始め、レジオネラ菌などが増殖する。勿論、観光客が汚すこともあり清掃は欠かせないものだ。5~6人の方がワイワイガヤガヤお互いの情報交換をしながらの活動はこの温泉地が保たれていることが伺える。潟畔の巨大温泉施設は恐らく経営は大変であろう。頑張れ片山津温泉。
映像:片山津温泉の共同浴場、温泉街の中央にある。北陸では『総湯』と称される。
加賀温泉郷の日本海側に位置する温泉地、片山津温泉。その共同浴場は今日も相変
わらずのさわやか湯であった。5年振りに肌に伝わる北陸路の温もりは変わらない。
今回は2階の高等湯を奮発(150円アップ)。一階の大浴場と異なり、やや狭いが
シャンプー付で空いているのが魅力、ジックリ名湯源泉を味わう。温泉っていいナ!
【Data】含石膏ー食塩泉 72℃ PH7.4 源泉:片山津2号
映像:源平橋から柴山潟越しに片山津温泉と白山連峰(最高峰2702メートル)を望む
安宅の関から十分くらい車を走らせると片山津温泉。潟に温泉が湧くという特殊な
湧出であり、潟水と温泉の分離に初期の温泉管理者は苦心したそうである。その形
跡が『湯の元公園』となって今に残る。この源平橋からの白山連峰の眺望は格別だ。
映像:史跡安宅の関に直ぐ側に直立するシンプルな灯台
安宅の海は凪であった。日本海の安全を守るのがこの灯台だ。海と灯台は海辺の光景
では旅心をくすぐるものだ。日本列島はグルリとこれら灯台群で安全が守られている。
記録:白光 明3秒暗3秒、1万5千カンデラ、光達14海里、塔高16m
映像:社殿から優しく内殿の拝謁を促す巫女の白袴が清しく初々しい。
旅は時として去りがたい場面に遭遇する。もし道連れがいなかったら、もしこの後
日本温泉地域学会がなかったら・・・この清楚な娘の求めに応じて安宅住吉神社を参っ
たろう。立去りがたい思いで撮影を求めたら切ない美の微笑み返しで応じてくれた。
陸・海路の要所として栄えた北陸の港安宅の地に祀られる神社は「安宅の住吉さん」
として親しまれ、安宅住吉大明神・二宮住吉大明神・住吉宮とも称され、その名は
古典にも見られ、北陸道往来の人々が詣でた古社。…源義経も参拝したのだろうか?
安宅住吉神社:東に霊峰白山、西に荒海日本海、眼下に源平古戦場の梯川を見下す
景勝の地、ここ加賀ノ国(石川県)安宅、二堂山(海抜15m)の頂きに安宅
住吉神社は御鎮座(安宅住吉神社HPより)。
述懐:神社で生まれ育った筆者にとって、この神々しい乙女に胸を打たれた。
映像:安宅の関、海側に建立された与謝野晶子の歌碑
歌人与謝野晶子が夫:鉄幹と安宅住吉神社に参拝、
勧進帳の義経に思いを馳せ短歌を残したとされる。
「松たてる 安宅の砂丘
その中に 清きは文治三年の関」 (与謝野晶子)
解説:文治三年の関とは史書『吾妻鏡』に文治三年に奥州の義経問題で
頻繁な幕府・朝廷間の交渉が行われたとの記述を指す。吾妻鏡の信憑性
はともかく、与謝野晶子は義経・弁慶の主従の絆の素晴らしさを想った。
参照:① 与謝野晶子(情熱の歌人)探訪紀行
② 安宅の関勧進帳銅像(加賀の国安宅関史跡)
映像:千手温泉、千年の湯檜風呂大浴場(男女日替わり:公式HPより2021.3.1)
新潟中部、十日町で陽はタップリ暮れた。今日の宿は現代の名湯、13年にリニュアル
した千年の湯の駐車場。先ずは、名湯を味わい、生ビールと作り置きの焼きそばをレ
ンジで温めリラックス。休憩の大広間では出前の窓口があり、外部の出前を食べる仕
組み。これなら、地元既存施設を圧迫することなく共存できる。 夜は1126号で熟睡。
【Data】含食塩ー重曹泉 58.2 ℃ PH8.1 558 L/毎分 微黄色 源泉:千手温泉
映像:ナステビュウ湯の山、越後の薬湯といわれる湯坂温泉(源泉名)の露天風呂。
昨年の夏、棚田を見学に訪れたが、越後の薬湯で知られる温泉には入れなかった。
今回、石川県へ行く途中なんとか入りたいという気持ちで、インターを途中下車。
湯量、湯温、成分….名湯の条件が3つ揃った薬湯として名高い。お勧めの一湯だ。
【Data】含塩化土類ー食塩泉 95℃ PH7.7 源泉名:湯坂温泉
参照:近隣の棚田の田園風景
映像:新潟県南魚沼市、六日町五十沢温泉の男女別内風呂(男風呂:byHPより)
磐越道から関越道にジャンク、南魚沼地方に名湯を求めてやってきた。データから
は五十沢温泉がターゲット。しかも今は懐かしい混浴。混浴現場は残念ながら撮影
出来なかったが、岩を主体の露天風呂が混浴部分となっている。湯量豊富が魅力だ。
【Data】単純温泉 50.3℃ ph9.4 源泉:五十沢温泉一号泉
由縁:消雪用の井戸を掘り深さ60m足らずで50℃の湯脈を掘り当てたのが始まり。
映像:磐越自動車道三川インター展望台からみた阿賀野川
高速道路土・日・休日料金千円!これを利用し、日本温泉地域学会の開催地石川県加賀温泉郷を目指し青森を出発した。東北自動車道から磐越自動車を経由、休憩したインターから阿賀野川を観察。越後の龍だ。
阿賀野川:福島県・群馬県に源流を発す。新潟県を流れ日本海に注ぐ日本有数の川。一級河川。全長は210km、日本第10位。流域面積7,710km²日本第8位。