≪ Mémoire(メモワール):チキウ岬灯台(北海道 室蘭市地球岬)2005.6.29 ≫
北海道室蘭市の地球岬。断崖絶壁に立つ白亜の灯台。スマートフォンやGPSの発達で
船舶の位置確認や危険回避はもう灯台を頼る時代ではない。しかし、可視できる灯台
は技術革新の理屈抜きで心の道標となる。紺碧の海、真っ白い灯台、いき交うカモメ。
感慨:筆者がこの灯台を訪れたのは2005.6.29今から14年も前の事だ。今は取り壊され
た「フンベ海岸温泉」探査の帰路に寄り、地球岬の絶景に思わず絶叫した遠い日
記録:白亜八角形、光達距離28海里(52K)、日本の灯台50選、土木学会選奨土木遺産
参照#フンベ海岸温泉(忘れじの温泉)
映像:恋人の聖地で、フェリーふ頭、津軽海峡フェリー、函館山眺望は此処だけだ
恋人の聖地は現在では余り珍しいものではなくなった。全国におよそ110ケ所ある。
最近函館フェリーふ頭もそのお仲間入りをした。恋人の聖地というからには希少価
値でいて欲しいのだが筆者の我儘であろうか?筆者が最初に遭遇したのが幸福駅だ。
参照: 恋人の聖地「幸福駅」
日勝峠から国道274号線を西南に走り、平取町に至る。長閑な
農道をのんびり走っていたら、廃校敷地になにやら妖しい影
近づくとヒバの木がまるでトトロの様にデコレートされていた。
参考:右側のバックネットの大きさからこの木の巨大さが解る
参照#となりのトトロ(スタジオジブリ:東宝)
ニセコの町を訪問した時、必ず足を延ばす場所がある。
有島武朗記念館だ。彼の精神をここで実感できるのだ。
資産を貧困苦の小作人に分け与える平等のスピリット。
参照:①弥照神社(有島武朗が小作に農地解放を宣言)
②有島武郎(理想郷)探訪紀行
≪速報≫ 俳優:高倉健が他界した。彼を追悼し夕張市探訪を紹介
2007年8月24日、夕張で幸せの黄色いハンカチを
探して、北海道を旅した。君の心に黄色いハンカチは
ひらひらと舞ってますか? 今日という一日を大切に
解説:高倉健が扮する主人公が網走刑務所の刑期を終えて
妻の住む夕張の板塀住宅に辿りついた時、目の前に
倍賞千恵子扮する妻の手作り黄色いハンカチが舞う
「貴方が帰るまでいつまでも待っている」目印として
玄関にl黄色いハンカチを掲げる妻の約束であった。
映画でこの場面、筆者もまた感動の涙がとまらない
参照:映画「幸せの黄色いハンカチ」
五稜郭タワーから遠く函館山を望む。眼下に元町、函館ベイエリアを従えたその姿は
これといった風情ではないが。この山の魅力が二つある。それは函館港の入船出船の
送迎の山であること。もう一つは『宝石の夜景」と称される日本有数の観光スポット。
日本一の観光スポット:世界最大の旅行口コミ情報サイトが行った『都道府県代表観光
スポット選抜総選挙(ネット選挙:11~12月)で道代表エントリーで日本一と
なった。因みに、青森県代表は『奥入瀬渓流』でエントリーベスト9(47番中)。
(2013.函館クリスマス・ファンタジー紀行 完)
映像:岸壁に高さ20メートルの巨大クリスマス・ツリーが出現。
函館金森倉庫群岸壁は激しい雪舞、潮騒、浜風だ。
しかし、どこからともなく人びとが集まって来る。
クリスマス・ファンタジー点灯式は一大イベント。
心には永遠の灯、変わらぬ輝きでありたいツリー。
映像:国道38号線の釧路と白糠のちょうど間に道の駅「しらぬか恋問」の恋問海岸
釧路市から太平洋岸を今日の野営地を求め西走する。途中、景勝海岸の『恋問海岸』で
で小休止。ここも恋人達のヒーリングスポット。思わず大海原に向かって叫びたくなる
「愛してる!」・・・それは恋人がいてもいなくても構わない。人は皆ひとりボッチだ。
💗恋問海岸はまさしく恋人たちの聖地だった。明け方目の前に若い恋人たちが現れ
人目も気にせず熱い抱擁を交わし時間が止まった。僕はその光景を眩しく感じた。
霧の摩周湖…とうとう霧の摩周湖を観た。ここ数年晴れの摩周湖だった。
深い真青の湖面が美しかったが、心のどこかで、霧の摩周湖への願望が
あった。久し振りの霧が湖面を覆う姿。摩周湖には、やはり霧が似合う
参照#晴れた日の摩周湖(弟子屈町)
経路:オンネトー、雌阿寒温泉から一気に摩周湖へサーチ。足寄から弟
子屈、そして釧路北部は北海道自然資産&温泉の宝庫銀座である。
今夜は川湯温泉経由屈斜路湖畔でキャンピングと決め込んだ夕方。
映像:富良野地方を縦断する空知川、途中この景観に癒される。
今年も北海道にやって来た。今年は八戸港からシルバーフェリー
で渡海だ。東日本大震災後、初めての八戸フェリー埠頭は見事に
復興していた。苫小牧に到着、道央・道東高速で最短でこの地に。
宗谷岬の丘陵上に建つ唯一の像。宗谷岬から海を見ているのではなく宗谷丘陵を見ている。
北海道の牛乳生産量100万t突破、乳牛50万頭を記念、建てられたものである。昭和46年
に建設された。半世紀後食糧事情は激変し北海道も酪農だけでは成り立たなくなっている。
制作:峯 孝…京都出身、東京美術学校中退、自由美術家協会会員、武蔵野美大教授
宗谷海峡を見下ろす小高い丘のモニュメント群
中に宮沢賢治の詩碑がある。宮沢賢治も又海峡
を越えて、樺太へ大正12年に渡った記録がある。
碑文:「はだれに暗く緑する
宗谷岬のたゝずみと
北はま蒼にうち睡る
サガレン島の東尾や」
宮沢賢治 詠(宗谷二より)
参照#宮沢賢治(銀河の心)探訪紀行
映像:歌碑前に立つと自動で音曲が流れ、北の果てを実感する瞬間。
人は風景の中で口ずさむ歌を必ず持っている。筆者はこの宗谷岬に
来ると二つの歌が口をついて出てくる。一つは『岬めぐり』であり
もう一つはこの歌碑に刻まれた「宗谷岬」である。ダ・カーポが歌う
♪ 流氷とけて 春風吹いて
ハマナス咲いて かもめも啼いて
はるか沖ゆく 外国船の
煙のうれし 宗谷の岬
流氷とけて 春風吹いて
ハマナス揺れる 宗谷の岬 ♪
作曲:船村徹 作詞:吉田弘 歌唱:ダ・カーポ