市街地には瓦礫しか残っていない。それでも、我が家の印を求め被災民は歩く。
果てなく続く瓦礫の山、人力ではとても整理・撤去なぞ、できるものでもない。
戦争の経験はないが、これが都市戦争というものなのだろうか?ここは戦場だ。
映像:東日本大震災後、およそ一時間後、最大の津波襲来時間 15:41。
全ての被災地は時間が停まってしまった。そこに住んでいる人が突然いなくなる。
残された空間がそのことを訴える。なにもかもが空しくなってしまう災害の恐怖。
この喪われた記憶を永遠にとどめなければならない。新しいスタートのためにも。
女川町中心部からやや外れた住宅地帯。四階建ての団地は大津波で破壊された。
構造物は残るものの各部屋は海水に蹂躙された。此処でも津波の高さや、脅威
が理解できるだろう。 誰も居ない団地は不気味に静まりかえっていた。合掌。
ビルが横転!専門家によると、元来ビルが横転するなど「想定」できないのだそうだ。
この巨大な破壊エネルギーこそ津波の恐ろしさなのである。破壊(波)のエネルギーと
浮力がこのような悪魔の仕業を残していったと想定される。左隅に呆然とたたずむ人。
湯河原温泉にある老舗旅館:上野屋。日本温泉地域学会の視察先として見学。
温泉街に現存する温泉宿として重要文化財となっている。宿ご主人自ら館内
を案内してくれた。
開催地:神奈川県湯河原町湯河原温泉 湯河原町観光協会 二階中会議室
2011 年05 月23日(月) 9:30 ~ 15:00
〇 自由論題Ⅰ:座長・・・山村順次(城西国際大学) 9:30~10:30
♨ 北京市小湯山における温泉観光開発 ・・・ 浦 達雄(大阪観光大学)
♨ 温泉地域の経済活動と源泉保護について地域共同体が果たして
来た役割ー山形県肘折温泉を例としてー・・・ 八岩 まどか(温泉評論家)
♨ 温泉地のアジール性についての考察 ・・・ 石川 理夫(温泉評論家)
〇 自由論題Ⅱ:座長・・・浜田 眞之(国際温泉研究員) 10:50~11:50
♨ 子供に温泉の普及を目指す試みー小学生の夏休み自由研究を通してー
・・・ 古田 靖志(下呂温泉博物館)
♨ 温泉施設における温泉水の簡易測定(その2)電気伝導の測定による
温泉水の塩分含有(溶存物質総量)の推定ー温泉水の電気伝導率と溶
存物質総量の関係についてー
・・・ 甘露寺 泰雄(中央温泉研究所)・長島 秀行(東京理科大学)
♨ 湯河原温泉の試料をもとにした地域に特化した温泉資源生物の活用法
・・・ 杉森 賢司(東邦大学)・大和田 瑞乃(アセンダント)
〇 基調講演・・・「湯河原温泉の現状と課題」湯河原町長冨田幸宏」13:00~13:50
〇 シンポジウム・・・「湯河原温泉の活性化への取り組み」 14:00~15:00
♨コーディネーター ・・・ 石川 理夫(温泉評論家)
♨パネリスト ・・・ 山本 一郎(湯河原温泉旅館協同組合理事長)
・・・ 深沢 昌光(湯河原観光ボランティア・菜の花会)
・・・ 大和田 瑞乃(株式会社アセンダント代表取締役)
女川町の中心部は女川湾沿いに発達した。それが大きく禍した。湾沿いに集約された都市
機能はすべて奪われた。ビルの屋上に車が置かれているのがわかるだろう。まるで湾沿い
の市街地がすっぽり濁流に覆われた結果の混乱、破壊だ。引込みが手に取るように分かる。
いよいよ女川町に突入。女川町の小高い丘にある町立病院から女川町
中心部が一望できる。高台の病院でさえ、一階に津波が襲来した。今
日は赤十字のボランティアが病院を清掃していた。津波の高さは凡そ
18メートル。気象庁の大津波警報(10m)を遥かに超えていたのである。
海岸沿いを走破可能な道路を辿り大槌町に辿り着いた。小さな入江の集落
は無残だ。集落ごと海に引込まれた。幸い直ぐ後ろが高台なので助かった
住民も居ただろう。大槌町は町長以下町の幹部多数が津波の犠牲になった。
石巻市雄勝町から市街部へ抜ける。途中、小さないりえの集落での光景。
三陸沿岸には地形上から小さな入り江が無数にある。悲劇はこの入り江
ですべて起きたといっていいだろう。ご覧の映像は土台だけ残された我
家跡地で昼食を摂る被災者家族。支援自衛隊幹部が気遣う姿が涙を誘う。
もう被災地では珍しい光景ではない。ただ、キチンと横向きなってお腹が
見えてるのが気になる。津波に襲われた殆どの車は残骸化しているか、一
箇所に集められているが此処では放置の儘だ。良く見たら、筆者の愛車と
同じ車種だ。自分と同じ車の底を、シゲシゲと見たのはこれが初めてだ。
津波は地域の全てを破壊し、残骸を海に引きずり込む。しかし、入江の
形状によっては破壊した後の引き込みが弱いところもある。この住宅は
かなり山側にあり、破壊されたけど、形が一部残っている。恐らく新築
の家だろう、壁の鮮やかさの反面、内部が見える破壊の凄まじさが残酷。
死者・行方不明者およそ27,000人という未曾有の大災害。3.11から2カ月経っ
た今でも海上自衛隊による遺体の捜索が続けられている。地元の人がこう呟く『
上空に黒いヘリが飛ぶと遺体発見と分かる、収容だ』黒いヘリとは陸上自衛隊の
支援ヘリコプターを指していた。陸海の合同作戦が今回の大震災で行われている。