青森から下北半島へ行くとき必ず通る町が野辺地町。その街の海岸通りを行くのが
最短のコース。そのコース沿いにあるのが「タカラ温泉」。今回、ようやく入湯を
果たした。しかし、循環・消毒の浴室はいささかカルキ臭だった。工夫すればこの
匂いを消すこともできるのだが・・・。野辺地町では貴重な浴場なので残念だった。
【DATA】 単純温泉 32.5℃ pH:8.85 源泉:馬門道泉
後日:その後通りかかったら、看板が「タカラ温泉」から「タカラの湯」に変わった。
推察するに温泉(源泉)を使用せず、水道か湧き水、もしくは源泉が温泉法上
成分を含まなくなった、かである。カルキ臭といい、「湯」表示といい残念だ。
因みに。温泉法上の成分、湯温(25℃以上)で無くなると「温泉」表示出来ない。
雲仙共同浴場はしご湯の二番目に入湯「新湯温泉館」だ。ここも
地元の人に親しまれている浴場。目の前に源泉である雲仙地獄が
ある。ゆっくりと湯に浸かり、南国の「普段着の温泉」を味わう。
【Data】含硫黄-単純酸性温泉(含硫黄:微白色・硫黄臭・酸味)
51.2℃ PH2.4 源泉:雲仙温泉
雲仙温泉郷小地獄温泉の番台は懐かしさが溢れていた。嘗て訪ねた鹿児島
の共同浴場でも見られたが、番台は小店そのものであった。ここは生活用品
こそないが酒やらつまみやらお土産など、奥ではおばちゃんが笑顔で応える。
いよいよ雲仙温泉郷に登ってきた。2015年春季の日本温泉地域学会総会は
雲仙温泉である。学会が日本の最も西にやってきたのだ。今日は温泉仲間
と学会に先だって雲仙温泉郷を探査。その最初の共同浴場がこの温泉館だ
雲仙随一の濁り湯とも言われるほど濃い乳白色。吉田松陰も入浴したそうな
【Data】単純硫黄泉 90.0 ℃(湧水加水) pH4.3 源泉:雲仙小地獄温泉
(湯量1日440トン)
参考:本物の名湯ベスト100‐12雲仙温泉(講談社現代新書:石川理夫著)
学術:日本温泉地域自然資産№.99「地獄」自然湧出泉源地帯(日本温泉地域学会編)
島原半島の中央部。断崖の史蹟原城の片隅に天草四郎の墓石がある。
江戸幕府の大罪人の墓など残っているのも不思議だが、信者の農地
に埋没のものが土石流で発見されたのを移設。天草四郎を忍び合掌
天草四郎:島原の乱の首謀者として捉えられ斬首の上、原城や長崎
の出島でさらし首にされたと伝えられる。悲劇の美少年である
参照#世界遺産 島原半島 原城
島原半島の中央部。海辺にせり出した様な海岸部に位置する。
そもそもは島原城の前身の要塞であった。その島原城の築城
や圧政のために島原の農民が立ち上がり、籠城、玉砕した城。
天草四郎他約3万7千名の農民や武士がこの城で命を落した。
日本最大の反乱事件とされ、江戸幕府は以後鎖国と宗教弾圧
を強める。その背景には豊臣方の残党への強い警戒心もある。
感慨:この地に立つのは数十年振り。城跡は益々寂れた気が
する。この悲劇を風化させない為にも手厚い保存が望
まれる。この悲劇を題材にした宗教的彫像が偲ばれる。
城郭:梯郭式平城 城主:有馬氏 遺構:石垣、空堀
石高:4万石(推定) 家紋: 五瓜に唐花
指定:国史跡、続日本百名城(188番)、世界文化遺産
参照#①原城温泉 ②彫刻家船越保武氏の作品『原の城』像
映像:山頭火の歌を題材の版画家小崎侃の作品(海望荘パンフレットより)
放浪の歌人山頭火はここ島原も訪れている。種田山頭火は定型
に拘らない歌人である。学生時代に感じたのとは違う味わいだ。
『 さびしくなれば 湯がわいている 』 (山頭火)
彼もまた島原の悲劇と、雲仙の温泉を体験し深い感慨を覚えて
この歌を残したのだろう。他に次のような句も書き残している。
『つかれも なやみも あつい湯に ずんぶり』
参照#①種田山頭火(放浪の俳人)探訪紀行
②山頭火が歌った温泉地と思われる「島原温泉 海望荘」
参考:版画家小崎侃の作品は島原半島根愛野市の山本美術館で
常設展示。今回弥次喜多道中で立寄る事が出来なかった
映像:有明海一望の浴室、施設正面は悲劇の天草四郎原城祉
島原半島の名湯と言えば雲仙、小浜、島原しか浮かばないが
ここ原城温泉は隠れた名湯と言えるだろう。ロケーションと
歴史的悲話で、これほどの観光資源を抱えた温泉地も珍しい
【Data】重曹泉 31.9℃ PH7.8 源泉:原城温泉センター
島原地方の伝説の怪物である。西有家で一番高い高岩山に大きな男が住んでい
た。この大男は人が良く力持ちで誰からも好かれていたそうである。山を切り
拓き畑を造ったり、野良仕事の手伝いをして好物の味噌を分けて貰ったそうだ。
感想:山の主大男、誰からも好かれていたこと、有明海で様々な善行をした事
有家特産の味噌(甘辛い)を好物にしていたことなどから考えるとこの伝説
の怪人は雲仙そのものではないだろうか?雲仙は噴火こそしたが、地元の
人々からは親しまれた山であり、温泉や避暑地としても地域貢献している
参考:島原地方の味噌は麦みそで、麹歩合が25%~30%と麹の割合が一般の味
噌に比べて高く、出汁も「いりこ」を使用薫り高い味噌が特徴で筆者も好む。
映像:旧西有家の地域湯として親しまれるビジネス須川観光ホテル浴室
温泉に興味のない時代何度かこの地方は旅していたが気が付かなかった。
今回、同行した探査チームが発見。国道251号線沿いに看板があった。
訪ねてみるとビジネス須川観光ホテルという建物。お湯は地域民に開放。
【Data】単純温泉 30.6℃ PH6.7 源泉:須川温泉センター
映像:島原市での投宿先『海望荘』の湯船からは有明海が視える
雲仙普賢岳を揺する島原の温泉は味わい深い。
島原で日本温泉地域学会の湯仲間と合流した
ここは温泉評論家I・M氏提案で宿泊先とした。
【Data】含土類ー重曹泉 41℃ PH7.0 源泉:島原温泉(元池第二源泉)
浴感:なんとも不思議な浴感。色はマーメイド色、海辺なのに重曹泉
しかも熱量は十分。これも又南の国の名湯と感じた次第である。
初代島原城主松倉重政公の墓所。大名の墓所にしては質素だ。
その理由は、やはり過酷な悪政と、熾烈な圧政によって一揆
を起こさせた当事者として責めを負ったことにあると推察す。
参考:島原の乱の発端を作った圧政は責めを負うことになる。
重政公は島原半島小浜で急逝をしたが、その後継ぎの
第二代藩主勝家公は島原の乱が収束後、江戸で斬首刑。