集合住宅の屋上に車が一台乗っかっている。一年前と変わらない光景だ。変わったと
いえば、少し集合住宅が綺麗なったくらい。 不思議に思うのは何故この建物だけが
残されているのか?ということ。ここも、東日本大震災メモリアル保存かもしれない。
映像:女生徒が風の様に通り過ぎた。仮設住宅に帰るのだろうか?何気ない光景に感動。
見渡す限り荒野のような瓦礫砂漠の中に不思議な光景が。
制服姿の女生徒が自転車に乗ってやってきた。民家も無
く、学校も見当たらない。日常の生活が非日常の世界だ。
金木芦野公園裏側に川倉賽の河原がある。その入口正面向かいに地味な建物
温泉施設がある。一見、老人施設なのでなかなか気づかないが入浴可能施設。
【DATA】食塩泉 35.1℃ PH8・61 源泉:川倉温泉
浴感:浴槽からはお湯が適量に流れだして、湯温も程よく管理され、食塩泉
なので熱の湯、お湯は地元の方々の健康の源だ。地吹雪にありがたい。
映像:2012.5.25に開催された「かわくら温泉学校』開校記念講演会
青森県五所川原市金木町川倉(旧金木町)で地域の温泉愛好家が「かわくら温泉学校」を
開校した。その記念講演会に青森市で活動する温泉地活性化研究会の代表が招かれた。
題目は『正しい温泉の入り方&温泉観光、約一時間40名の聴講者が熱心に聴いていた。
参考:かわくら温泉学校概要
拠点:かわくら温泉(金木町立老人福祉センター)
学長:角田 周(観光カリスマ)
講師:谷口清和(温泉カリスマ)
生徒:約30名
行事:今回の講演会を皮切りに、毎月集いを開催
健康管理、栄養管理、発声教室、音楽教室、ダンス教室など
本日電話で確認。都合により電話は使われていないというメッセージ。
ここは噂では 2012.4.30 で休業という事であったので残念でならない。
(過去の記録)
東北町は旧上北町を含めて南部では三沢市に並ぶ温泉が多い町。
ここ長崎温泉は施設がかなり老朽化しているが地球の恵み温泉
は等しく湧く。東北温泉の弟分のような泉質に暫し、やすらぐ。
【Data】単純温泉 44.4℃ PH8.6 源泉:外蛯沢温泉
閉業速報:2012..3.31
野辺地町にある小さな温泉施設、閉鎖の噂で本日電話確認したら公衆浴
場部門は止めるそうである。但し、宿泊者には温泉を提供するとのこと。
(過去の記述)
映像:ハート型をした湯船、静かな時間が流れる。
R4号線を青森から東北上、いよいよ南部域に入る。バイパス道沿いの「む
つ湾温泉」は佇まいは地味で、気づくのが遅れると通り過ぎてしまうくらい
混み合う訳でもなく,燃料代 が賄えるか心配。野辺地では箇所目の温泉施設。
【Date】単純温泉 37°C pH 8.25 源泉:槻ノ木泉
考察:男性の浴槽から女性浴槽に流し込まれる構造 (画面左上) で、女性の
湯壺はクローバ-の形だそうだ。女性には申し訳ない。やはり女性湯
壺も独立の湯口が欲しいところだが、源泉環境がそれを妨げている。
確認:すぐ近くに新幹線の地下トンネルができてからますます湯温が下がっ
たと女将さんが訴えていたが、2012.5.19に現地で閉鎖を確認した。
(過去の記録:2007.2.27記載)
三沢と十和田の丁度中間にある温泉。三沢に単身赴任時代何度も前を通ったが
入浴を果たせなかった。やっと入ることが出来た。なんともフレンドリーな湯。
浴槽温度を測ったら41度、この気持ち良さは温さから来る。なんとも心地よい。
【Data】食塩泉 41.7℃、PH8.4、500ℓ/m(自然湧出)深度840m 源泉:権現沢源泉
映像:鳥居だけが残された里宮、神社庁から真新しい祠が寄贈されていた。
気仙沼市内を抜け45号線をさらに南下する。今回の旅のもう一つの目的。
それはボランティア活動だ。特定の団体に属さない筆者は先回同様、地域
密着活動だ。今回は破壊された里宮の清掃活動。関係者と一緒に汗を流す。
気仙沼港から陸部に800メートルの地点に漁船が放置されている。瓦礫が
きれいに撤去された今では取残された漁船だけが異様な光景将来、復興記
念公園のモニュメントにも考えられているので角材で横転防止されている。
記録:気仙沼市被災内容抜粋〈平成24年5月10日現在)
死亡者 1,034人
不明者 288人
確認中 53人
被災宅 15,661戸
メモ:第十八共徳丸は330t、全長60mの大型漁船
震災後の津波で港から800mも内陸に流された
3.11東日本大震災の津波は、多くの人びと多くの職場を悲劇の渦に巻き込んだ。
ここ陸前高田市の基幹交番でも、揺れが収まり、これからが自分達の業務範囲
とした警官4名が殉職した現場景観。全国の交番の中でも優秀な交番であった。
東日本大震災警察犠牲者:岩手8人、宮城11人、福島3人、東北管区1人の計23人
街の中心部は廃墟。瓦礫がそこここにあってコンクリート外壁だけの建物。更地。電信柱
だけがキチンと並び立つ不思議。その中でガソリンスタンドが復興した。別に給油の必要
も無かったが協力、支援と思い、愛車を満タン。奇跡の一本松が枯れて無残な姿であった。
一年後に訪れた陸前高田市は瓦礫が整理されたぐらいで何も変っていなかった。
いったい政府はこの被災都市をどのように再生するつもりなのか?空しい光景に
胸が痛む。庁舎玄関には犠牲になった役場関係者を弔う祭壇が政治の空白を語る。
記録:被災内容抜粋〈平成24年3月1日現在)
死亡者 2,009人
不明者 41人
確認中 16人
被災宅 3,368戸
被災船 1,358隻(動力船)
陸前高田市庁舎玄関祭壇
空地〈造成地〉に似たような住宅が並んでる所謂、仮設住宅だ。周りには何もない。
一戸建ては未だましだ。これから核心部分に入っていくと長屋の様な仮設住宅となる。