お湯の国 日本

美しい日本の温泉地中心の旅記録(おんせん鑑定士:監修) 【記事・映像は著作権、人権保護法等により無断使用を禁じます】

あぶくま洞(田村市)

2009年05月31日 |  🚙東北縦断 紀行.
映像:あぶくま洞出口にある「あぶくま洞」の碑文、背景は石灰石・大理石採掘現場でもある。

1969年石灰岩採掘中に発見、鍾乳洞内は撮影禁止なので内部の様子は伝えられないが、様々な鑑賞ポイントがあり、名前が付けられている。妖怪の塔、白磁の滝、洗心の池、せせらぎの間、石化の樹林、クリスマスツリー、樹氷、リムストーン 観音像、滝根御殿(天井高約30mの大空洞)、ビッグフローストン、洞、サンゴ、クリスタルカーテン、洞穴シールド、ボックスワーク、竜宮殿 、きのこ岩、月の世界…。 阿武隈高原の地下には夢幻の世界を有した観光資源が息づいていた。
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鯉のぼり(福島県田村市)

2009年05月30日 |  🚙東北縦断 紀行.

映像:福島県、阿武隈地方の鯉のぼりはなんとも勇ましい(2009.05.04)

茨城常陸から帰路、福島県阿武隈地方に立ち寄る。阿武隈
高原道路が一部開通全線開通まで間近い。高原都市の端午
の節句はやはり鯉のぼり。春風に勢いよく泳ぐ様は豪快だ。

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大洗水族館(大洗町)

2009年05月29日 |  🚅関東・中部紀行.
映像:大洗海岸、那可川の対岸から望むアクアワールド大洗水族館、波を切る水上バイクはもう初夏だ

東海村を過ぎてさらに南下、大洗海岸、大洗水族館にやってきた。太平洋岸の水族館を代表する施設。サメ、マンボウ、竜宮の使い、ペンギン、アザラシ、イルカ・・・魅力的な展示物が60水槽、約580種、68、000点 にも及ぶ。 黒潮と親潮が洗う太平洋岸。水族館はやはり海辺が似合う。
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石川啄木(何事も・・・茨城県古房地公園)

2009年05月28日 |   ✑歌碑句碑 紀行

映像:日立燈台のある公園の片隅にある石川啄木の歌碑。

石川啄木の歌碑は全国125ケ所(沖縄から~北海道)に点在する。しかし実際、啄木の足跡は
東京以北と思われ、常陸に来たかは不明。古房地公園から太平洋を眺めた気分が丁度、歌意
に合うのが設置理由かも知れない。灯台越の望洋の光景はまさしくこの歌にぴったりの景観。

碑文:
   『何事も 思うことなく いそがしく
         暮らせし一日を 忘れじと思う』 (啄木「一握の砂」より)

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日立灯台(茨木県日立市)

2009年05月27日 |  🚅関東・中部紀行.

常陸の郷、海岸部でしばし休む。日立灯台のある古房地公園は、標高20m程の
高台になっていて、東方向に太平洋の広がりを眺望でき、北には田楽鼻、南に
日立港を望める展望地となっている。今日は家族連れが灯台草地に憩っていた。

記録:21万カンデラ、 光達距離12.5海里(約23 km) 、高さ24.5 m 、標高42.4 m

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夢二猫(湯涌温泉:石川県)

2009年05月26日 |  ♨温泉地の犬・猫

Mémoire:温泉猫・犬 石川県湯湧温泉  2009.5.26 ≫

古都金沢の奥座敷・湯湧温泉。ここのシンボル館金沢湯涌夢二館
大正ロマンを代表する文人が愛人と逗留したことから竹久夢二
この温泉地の看板となった。その一角に、なんとも艶な猫が一匹。

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とうりゃんせ像(北茨城市)

2009年05月26日 |  🚅関東・中部紀行.

映像:太平洋岸の景勝地二ツ島公園に立てられた懐かしの「とうりゃんせ」像

彫刻家山崎猛(茨城県高萩市出身)初期の作品「とうりゃんせ」は、北茨城市
磯原の二ツ島公園に設置されている。この地は童謡詩人の野口雨情のふるさと
でもあり、人々は何時の日か「とうりゃんせ像」と名付けた。童謡「とうりゃ
んせ」が思い浮かぶが野口雨情の詩「あの町この町」をイメージして建てられた。

あの町この町: 野口雨情作詞・中山晋平作曲

 ♪あの町この町
  日が暮れる 日が暮れる
  今きたこの道
  歸りやんせ 歸りやんせ
 
  お家がだんだん
  遠くなる 遠くなる
  今來たこの道
  歸りやんせ 歸りやんせ 
 
  お空にゆふべの
  星が出る 星が出る
  今きた此の道
  歸りやんせ 歸りやんせ♪

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山中温泉第13回大会(石川県加賀温泉郷)

2009年05月25日 | 💽日本温泉地域学会..

映像:研究発表するフェリス女学院陳氏:演目『訪日中国人の温泉志向の変化』

5月24日、25日、石川県加賀温泉郷山中温泉で日本温泉地域学会の視察会、研究発表大会
理事会、総会、公開シンポジウムが開催された。約50名の会員関係者が参加、北陸の名湯
を堪能し、更に温泉地域学の見識を高めた。筆者も4日間学会の前後北陸温泉探査を敢行。

記録:研究発表内容
   ①「訪日中国人の温泉志向の変化」陳晶(フェリス女学院大)
   ②「和倉温泉における小規模旅館の動向」浦 達夫(大阪観光大)
   ③「温泉地におけるマンパワーの育成と活用に関する考察」山田仁(正徳大)
   ④「奥津川の鮎と温泉の魅力を合わせた地域おこし」新田時也(東海大)
   ⑤「温泉に関する天然記念物等の現状と保護について」古田靖(岐阜県)

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磯原温泉 磯原シーサイドホテル(茨城県)

2009年05月25日 |  ♨ 関東中部 推奨.

映像:二ツ島海岸にある磯原シーサイドホテル露天風呂、右が二ツ島(by公式HP)。

常陸の里北茨城に入った。水戸の梅園は訪れたことがあるが、茨城県での温泉探査
は初めてだ。温泉に関する太平洋沿岸部の特徴は冷鉱泉。この温泉も又同様。湯勢
は望むべくもないが、それをカバーして余りあるのが二ツ島海岸の太平洋岸景勝だ。

【Data】 含芒硝ー石膏泉 20.4℃ pH7.1  源泉二ツ島鉱泉

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安宅住吉神社(石川県小松市)

2009年05月24日 |  ⛩ 神社教会探訪

北陸道の交通難所。境内に安宅の関があり源義経主従が難儀の末突破した伝説に
もよるご利益。人生に於ける道先案内、難関突破の神として地域民の信仰が篤い。

祭神:住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)
指定:史跡安宅の関(県指定)、全国白砂青松百選
参照:①安宅の関(史跡) 安宅住吉神社巫女

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安宅の関(加賀国安宅の関)

2009年05月24日 |  🏰城郭史跡探訪

 映像:義経(左)を弁慶(中央)が責め、安宅関守(右)が見逃す場面の石像


 源義経主従が日本海回りで奥州平泉を目指した安宅の関。歴史的事実は
 ともかく歌舞伎「勧進帳」では弁慶が泣く泣く主人を責める場面は有名
 である。実際にこの地を義経は通って奥州へ落ちのびていったのである。

 指定:石川県史跡(安宅の関跡)

 義経伝説:本州最北では津軽半島の三つの厩伝説(三厩の地名が残る)、
    そして津軽海峡を渡り、北海道を経由してジンギス汗になったと
    の壮大な英雄伝説が残っている。人は誰も清く、正しく、美しい
    ものの成功、永遠を願うもの。そして儚く散っていくものを惜し
    むもの。まさしく義経は時代を超えた庶民の想い人、英雄だった。

 参照源義経(悲劇の英雄)探訪紀行

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山中温泉 お花見久兵衛(石川県)

2009年05月24日 | 💛関東中部 名湯巡.

石川県の名湯の郷:山中温泉。一人旅だとなかなか高級旅館には泊まれない。
しかしここはお一人様でも大歓迎であった。素泊まりプランちょっと高いが
お断りよりはマシだ。勿論、公衆浴場を楽しんだあと旅館の内湯も楽しんだ。

【Data】含芒硝ー石膏泉  49.8℃  PH8.5  源泉:山中温泉3.7.8.11.12混合泉

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いわき湯本温泉 古滝屋(福島県)

2009年05月22日 | 💛東北地方 名湯巡.

映像:いわき湯本温泉古滝屋の屋上露天風呂。外はいわき湯本温泉のネオン街眺望(5.03)

今年のゴールデンウィークは魅力的な湯巡りとなった。朝青森市を発ち夕刻には常磐
の名湯に浸かる。そう、高速道路がほぼ解放状態となったのだ。昨年の夏以来、常磐
の魅力に取りつかれた筆者は、この大型連休も常陸・常磐の名湯を味わう為訪問した。

【Data】含食塩ー硫化水素泉 59.7℃ PH8.1     源泉常磐湯本温泉 湯本温泉源泉

    効能:常磐地内の地下約50メートルから汲み上、効能は次の通り。
       ○美人の湯…美肌効果・解毒効果~末梢血管拡張作用
       ○心臓の湯…動脈硬化、高血圧に効能~血圧を低下作用
       ○熱の湯…….保温効果、温まり~抵抗力増進作用

古滝屋:創業314年のいわき湯本温泉老舗旅館。温泉街にあって魅力的な湯造りが素敵。
解説:この時期国交省は高速道路を無料開放。ツーリング温泉旅には持ってこいの環境。

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チェスボロー碑(旧車力村)

2009年05月18日 |  🍏津軽 紀行物語.
映像:高山稲荷神社手前の展望台から望む、チェスボロー号遭難・慰霊碑と日本海

明治32年、七里長浜の沖合で函館からニューヨークに向かう帆船チェスボロー号が遭難した。船長以下19名が死亡、村民が救助活動をし手厚く埋葬した。村民2名が県庁所在の青森市までこの惨事を伝える為に走り抜いた。このことを称え、展望台と慰霊碑が建立された。
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手拭狛犬(旧金木町)

2009年05月16日 |  🍏津軽 紀行物語.
太宰治が岩木山を眺めたという金木農場(弘前大学)を探し、小説[津軽」にある岩木山眺望ポイントの丘陵を発見。その丘外れに鎮守様があり、境内の狛犬に手拭いが。誰が巻いたのだろう?なんとも似合ってるので撮影。この社の裏手からは津軽富士が小説に描かれた通りの景観を呈する。

太宰の岩木山:
『・・・津軽富士と呼ばれてゐる1625メートルの岩木山が、満目の水田の尽きるところに、ふはりと浮んでゐる。実際、軽く浮んでゐる感じなのである。したたるほど真蒼で、富士山よりもつと女らしく、十二単衣の裾を、銀杏(いてふ)の葉をさかさに立てたやうにぱらりとひらいて左右の均斉も正しく、静かに青空に浮んでゐる。』
(小説「津軽」より)

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