映像:2011年に閉館した後に、新しくつくられた公衆浴場の浴室(by公式HP;2012.6)
新潟県は直江兼続ブーム。温泉旅館の前にも「直江兼継」旗が風にたなびいていた。
この地方は直江兼続生誕の地だそうだ。直江兼続は上杉家家老、「愛」の兜が米沢
市上杉神社稽照殿に伝わっている。多少、愛の武将とデフォルメされすぎなのだが 。
直江兼続を訪ねて越後路で遭遇した地域の温泉六日町中央温泉。現在は「湯らりあ」
【Data】単純温泉 47.6℃、PH7.91 源泉:7号井・12号井・13号井 混合泉
鳴子温泉郷川渡温泉、藤島旅館の裏に鎮座する社がある。
この川渡温泉の縁起に関係する神社だ。温泉石神社という
社格:村社 祭神:大己貴(おおなむち)命
縁起:承和四年、当地で大噴火が起り6mほどの石の根元
から漿(ほおずき)色の温泉が流れ出したという。
その大石の上に社殿を建てて祀ったのが始まり。
納得:縁起に記載されている『漿(ほおずき)色の温泉』
とはまさに、藤島旅館の浴槽に注がれる名湯である。
鳴子温泉郷川渡温泉の藤島旅館裏庭に石碑がある。
川渡温泉発祥の地温泉石神社の境内に建っている
碑はこの地を訪れた歌人:斉藤茂吉の歌碑である。
『千年の 慶をほこる 川渡の
いでゆの夕なる 杜の湯』 斉藤茂吉
歌意:名湯川渡温泉を千年の慶びと讃えている。
映像:藤島旅館(川渡温泉)の内湯(2012.4.29現在)
5月連休最初の名湯体験は川渡温泉の藤島旅館の温泉だ。
太平洋岸から内陸部に入り鳴子温泉郷の一番手前の温泉
地と言ったほうが分り易い。内湯窓からの庭は絶景観だ。
【Data】含重曹・ぼう硝-硫黄泉 47.9℃ PH7.4
源泉:真癒の湯(高温、湯冷泉A、冷泉B)の混合泉
映像:2012.5の連休、国民保養温泉指定藤島旅館の全景
東日本大震災2年目の視察を終え太平洋沿岸から離れる。
筆者も癒しと安らぎを求め鳴子温泉郷川渡温泉へ向かう
やはり、温泉の質・癒し度からいって藤島旅館だろう。
東日本大震災後の状況調査は今日で終わりだ。沿岸部の都市としては
火災も発生するなど、最悪の情況と化した。末端自治体としては死者
不明も最大を数える石巻をやがて夕闇が全てを優しく包込む安らかに。
記録:石巻市被災内容抜粋〈平成24年5月末現在)
死亡者 3,194人(関連死198) 不明者 499人
祈り:
およそ2万人の犠牲者、東日本の太平洋岸全域の被災、失われた家屋数万戸
失われた船舶も数万隻・・・そして原発事故の誘発。まさに未曾有の災害だ。
限りある命の大切さ、もろさをつくづく考えさせられた。人間の経済活動の
基盤のもろさ、そしてなによりも地球・自然のすさまじい動き・・・・・・。
地球のこの凄惨な出来事は宇宙の小さな現象でしかない事実。
今日一日を、今この時間を大切に生きようといまさらに思う。
(2012 東日本大震災被災地状況調査 完 )
映像:廃墟と化した石巻市立病院、3年後新築移転する。
石巻市街地入る。女川街道を抜け石巻街道を走り海岸部へ至る。
昨年の連休時は混乱期で交通規制がかかり入れなかった。石巻
中心部の海岸地帯は火災も発生して、いまも惨劇の痕跡が残る。
3.11東日本大震災後様々な有名人な被災地支援を行っている。
ここ女川町もそうだ。中でも、目立つのが画像の横断幕の有名人
女川町(港)を見渡す女川病院のフェンスに取り付けられている。
記録:女川町の被災状況6月6日現在
死亡者 488人 不明者 454人 全壊宅 3,021戸
震度数 6弱 波高数 14.8m
※他の被災自治体より数値が低いが、女川漁港中心地帯は壊滅的状況。
女川町中心部にある建物はほとんど解体された。が、この建物だけは残されている。
それは、業務指示なのか?この建物に留まった銀行員の大半が犠牲となったからだ。
遺族は、何故近くの高台にある女川病院に避難しなかったのかと銀行に問うている。
その後:筆者が帰省した後5月20日この廃屋の撤去作業が始まったと報道された。
そして2017年9月にこの支店はJR女川駅前に新店舗が開店営業を開始した。
反省:映像は、七十七銀行女川支店。
13人いた行員の内、助かったのは1名、死者・不明12名。
何故屋上に避難したのか?歩いて5分の高台に逃げなかったのか検証が必要
銀行には現金、債券等重要書類がある。この建物を放棄するには勇気が要る
巨大地震 = 大津波 ⇒ 即避難ということを、今回は思い知らされた。
映像:横転した三階建のビル一階はガレージ、車も横倒しに
女川町の中心、女川港近くのビルが横転のまま放置されている。
津波の引力がこのような爪痕を残すのも世界的に珍しい光景だ
この建物を保存して東日本被災公園として整備する計画もある。