リニューアル再掲:山岳トレッキングを実践している中で、日本百名山を見直して
いる。その中で、数少ない制覇の頂として今日この山をリニューアル再掲す。
映像:霧が山頂を覆い視界数メートル。頂上の碑と刈田峰神社奥宮が霞んで見える。
日本百名山:作家深田久弥著『日本百名山』には次の様に記述(一部抜粋)
『・・・刈田岳は熊野岳よりも八十米ほど低いが、遠くから望むと却って熊野岳より
も目立つ ・・・おそらく昔は蔵王の代表は刈田岳ではなかったかと思われる。』
記録:標高1,758m、蔵王連峰 (最高峰熊野岳1,841m) 、奥羽山脈、複合火山群
温泉#刈田神社が鎮座する麓の刈田温泉共同浴場『神の湯』
刈田岳の西側は蔵王温泉、東側は遠刈田温泉全く異なる泉質の名湯をこの山は持つ。
『名山名湯を抱く』という筆者の標語は、正にこの山にそのまま当てはまるのである。
文学:『 陸奥を ふたわけざまに 聳えたまふ 蔵王の山の 雲の中に立つ 』
蔵王連峰熊野岳の頂には上記の歌碑が建つ。山形県出身の斎藤茂吉にとっては
蔵王は紛れもなく故郷の山であり、東北の雄たる蔵王峰を心に刻んだのだろう。
参照#① 日本百名山( 深田久弥 著) 探訪
② 山形県 温泉地 データ・ベース
③ 斉藤茂吉(歌人・医師)探査紀行
(過去の記録:2007年)
蔵王連峰の一座、刈田岳(標高1,758m)とうとう制覇。途中まで車だが朝靄の頂上は
流石に厳しい。7時半誰も居ない。予定では太平洋方面を眺望出きる筈だったが残念。
が、物語は続く。先般紹介した遠刈田温泉の鎮守 刈田峰神社の奥宮がここに鎮座。
リニューアル再掲:星生温泉 (大分県 玖珠郡 九重町:2013.11.18)
2020年から山岳トレッキング開始して後日、この温泉
のある九重山麓が日本百名山の 第95座に掲載を確認。
(過去の記録:2014.1.6)
星生温泉代表的な泉質である。泉源は星生山の中腹標高1,450mの場所
に湧出している。九州で一番高い場所の湧出泉とされている。桶風呂の
設置も、酸性成分の腐食等から浴槽を守るためともされている。名湯
【Data】①酸性緑礬泉 47.9℃ PH2.1 源泉:九重星生ホテル(山の湯)
②単純硫黄冷鉱泉 17℃ PH4.6 源泉:九重星生ホテル(冷 泉)
③単純温泉 94.1℃ PH6.8 源泉:九重星生ホテル(噴気泉)
④単純硫黄冷鉱泉24.1℃ PH5.2源泉:九重星生ホテル(硫黄泉)
記録:九重連山、星生山裾野飯田高原に位置する施設は露天風呂が
圧巻だ。名前の通り、満天の星を眺めながら入浴は正に星生。
参照#① 大分県 温泉地 データ・ベース
② 日本百名山(深田久也)探訪紀行
リニューアル再掲:安達太良山 (光太郎・智恵子の故郷の山)
記録:最高峰箕輪山1,728M、奥羽山脈南部、成層火山(ランクB)
日本百名山:作家深田久弥の名著に掲載NO.21 以下一部
『・・・ようやく雲のとれた安達太良山を眺めた。それは
代しや色に枯れた広い丘陵の起伏の彼方にあった。』
記録:標高1,728m(箕輪山)、奥羽山脈南部、成層火山(B)、
花の百名山、磐梯朝日国立公園、二等三角点
温泉#安達太良山の麓に湧く味わい深い温泉『中ノ沢温泉』
文学:智恵子抄・あどけない話 高村光太郎
『智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だという』
感涙:大都会で心を病んでしまった智恵子を愛しぬいた高村光太郎
彼の詩集を学生時代に読んで、心打たれたものだった。感涙。
参照#① 日本百名山( 深田久弥 著) 探訪
② 福島県 温泉地 データ・ベース
③ 高村光太郎(無垢の愛)探訪紀行
(過去の記録:2005.12.17)
安達太良山で感動した詩がある。高村光太郎の智恵子抄の一編。
その智恵子を訪ねて二本松市を訪れる。当時の智恵子の実家は
大きな商家だったがその後没落。そしてこの山の名詩が出来た。
Memoir:山岳トレッキングを始めてから早5年が過ぎようとしている。実はそれ
以前登りはしないが、温泉探査の先々で名山を観察。その中まだ未公開
が数座あるので紹介。又、既報の中でも必要に応じてリニューアル再掲。
日本百名山:作家深田久弥著『日本百名山』には吾妻山を次の様に記述(一部抜粋)
『・・・この厖大な山群には、渓谷あり、高原あり、湖沼あり、森林あり、しかも
山麓をめぐってあちこちに温泉がわいている・・・』と記述されている。温泉を
探査する者にとってはもってこいの山となる。しかし、このころ登山の装備も無く
眺めた山の向こうにそのような天国の湯郷があるとは思いもしなかった。真に残念。
記録:最高峰西吾妻山標高2,035m、吾妻連峰、奥羽山脈、複合火山群
山感:この山を眺めるきっかけは福島県土湯温泉の探査。野宿した土湯峠からで
あった。その後野地温泉でゆっくり山岳温泉を楽しんだのが忘れられない。
参照#① 日本百名山(深田久弥 著) 探訪
② 福島県 温泉地 データ・ベース
リニューアル再掲:いよいよ温泉の季節に突入。寒い日はお湯に浸かる
のが一番。山より温泉。これからは温泉トレッキング♨が増える
(過去の記録:2022.09.10)
入浴速報:相乗温泉 羽州の宿あいのり 【2022.09.10】
映像:『羽州路の宿あいのり』の隠し湯、内湯から露天風呂へ抜け右手。
今回は秋田県森吉山トレッキングの禊の湯として利用。これだけ生湯に
どっぷり浸かれる湯壺も珍しい。消えゆく温泉施設が多くある中、貴重。
(過去の記録)
一人がやっと狭い小さな湯船に鉄分を含む源泉がブクブク注ぎ込まれる。
温度、炭酸成分といいピュアな湯感覚が包む。内湯の白湯(透明)に対して
赤湯は津軽の金の湯銀の湯だ。金銀紅白の目出度い湯体験を楽しめれる。
【Data】食塩泉 43.4℃ PH 7.23 源泉:相乗一号源泉
記録:13年振りに、女将に挨拶しようと受付にきいたら、ナント女将
は経営から手を引いていたという。保険学教授の彼女が選んだ福
祉温泉施設の経営は難しかったのだろう。健康医学を実践しよう
としていただけに、残念。施設を買い取った運営会社が引き継ぐ。
参照# 平川市(湯の里)温泉紀行
弘前城 北門 弘前城四の丸側構 【弘前城 晩秋 トレッキング2024 2024.11.09】
弘前城をトレッキングしての折り返し点ともなる「北門(亀甲門)」の内側の構えを観察。
この門は尾上(平川市)に在った「大光寺城」の追手門を弘前城建設時移築したされる。
筆者的には、外側の構えが好きであるが、陽射しを浴びた内側の構えもなかなかのもの。
記録:大光寺城は11世紀発祥とされ、近世は南部氏配下の滝本氏が城主。津軽大三名城
とも言われ、この門から大光寺城が立派な城であったことが推察される。この門
には為信が大光寺城を攻めた際の刃跡が残されて、唯一戦禍にあった門とされる。
参照#①お壕側から眺めた亀甲門(北門) ②弘前城トレッキング 2024
リニューアル再掲:亀甲橋の絶景・景観を画像を厳選して、再度公開をした。
(弘前城さくらまつり30:2018.04.22)
西堀から迂回して亀甲橋にいたる。満開の弘前城はどこに行っても絵になる。
まさに桜のお城。橋の先は別名亀甲門という北門、北の守り。この橋の手前
に武家屋敷が現存する。お城の中には殿様の縁戚・重臣、城外には中堅武士。
参照:① 日本 城門 探訪紀行
② 城内から見た「北門」
③ 武家屋敷(藩医伊東家住宅)
➃ 弘前城(津軽藩)探訪 紀行
弘前城 四の丸 青森県 護国神社 【弘前城 晩秋 トレッキング2024 2024.11.09】
弘前城の大半の公的施設は移転し、江戸期の面影を取り戻したが、ここ四の丸の一隅
の護国神社は明治政府時代に創建されたまま今に残る。賛否はともかく静かな環境下
、戦争・事故などの公職の殉死者を祀る青森県唯一の場所として残されたと推測する。
社格:別表神社 祭神:青森県出身の英霊29,184柱(2019年現在)
変遷:弘前招魂社~青森招魂社~ 護国神社 (昭和14年内務大臣指定)
解説:12代藩主承昭によって箱舘戦争の戦没者慰霊のため1870年(明治3年)に創建
され、 1910年 (明治43年)3月に弘前招魂社として現在地に移築されたとある。
記憶:弘前城をここまで辿ると景観は一変し、四の丸右側(北東)には陸上グランド
があって、中体連でよく応援に来た。筆者は弘前市立第三中学校という当時で
はマンモス校(約千五百人)といわれ、全校応援に駆り出された。一方左側の
護国神社は大きな鳥居が記憶にあり、観桜会に幼少期は爺やにお化け屋敷など
に連れられてきたものだった。この門前に今でも有名な津軽百年食堂の三忠の
蕎麦屋の屋台小屋などが幾つも建つ懐かしの場所である。古き良き時代の面影。
参照#弘前城トレッキング 2024
弘前城 四の丸 賀田橋 【弘前城 晩秋 トレッキング2024 2024.11.09】
もう何回もこの場所を通過しているのに、そしてこの橋を渡っているのに。ただの小橋
と思っていたら、ナントちゃんと名前が付いていた。「賀田橋」。この賀田という地名
は岩木川対岸の岩木町名名称であった。ここでも弘前城と岩木町(大浦) の関係が分かる。
推察:岩木町は藩政時代には大浦と呼ばれていた。何故岩木山麓に大浦の地名があるの
か疑問も持たなかったが、岩木川河岸の重要な港(大浦)と、津軽氏がもともと
西海岸北前船港町鰺ヶ沢勢力で旧名も大浦氏を名乗っていたという由来が見える。
北前船の利益で勢力を増した大浦光信の三代目が大浦為信、後の津軽為信である。
現在、津軽為信の銅像が鎮座する周辺も江戸期から大浦町の地名が残る歴史的地。
参照#弘前城トレッキング 2024
弘前城 本丸下乗橋 擬宝珠 【弘前城 晩秋 トレッキング2024 2024.11.09】
今年の弘前城の特徴は天守閣修復完成目前と、橋の欄干の擬宝珠が塗り替えられて存在
感を発揮している。中でも、弘前城本丸を隔てている下乗橋の擬宝珠が鮮やかな黒塗り。
記録:擬宝珠右横の奥には完成間近い天守台の工事現場が確認できる。更にその奥には
仮天守台に建つ弘前城天守閣の甍が覗いている。来年いよいよ10年振りに往時の
天守閣石垣が完成する。首を長~くして待ち望んだ天守景観をこの擬宝珠が彩る。
参照#弘前城トレッキング 2024
山行速報:梵珠山 Ⅺ トレッキング GPS軌跡図 【 2024.11.16】
本年5回目通算11回の梵珠山。今年からは高森山に続くmy里山になった。
今日は晴天だが、山友もいないので八甲田を諦めて里山に切り替えた。ゆ
っくりマイペースで晩秋の里山を楽しんだ。軽めの汗かきは心地よい運動。
動画:ビューポイント撮影GPS‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ ➡
温泉:花岡温泉 (健康の森 花岡プラザ) ‥‥‥‥‥トレッキング仕舞湯
記録:🗻468m 2:25分
4.4㎞
352ⅿ
352m 天候:☀
開始:11時28分~ 13時53分 休憩20分 ペース:やや速い 110ー130 %
行程:マンガンコースから、サワグルミコースまで、周遊トレッキング
遭遇:ソロ5、ペア3、5名パーティ・・・休日は人間との遭遇率が高い。
標板:山頂プレートが新しく設置された(先回登った時無くなっていた💦)。
参照#① 山岳 / 溪谷トレッキング 2024 ② 青森市温泉地データ・ベース
入浴速報:花岡温泉(健康の森 花岡プラザ)の浴室景観 2024.11.16
三か月振に入浴した。今日も同じ浪岡地区の里山である「梵珠山」登山後の仕舞湯と
して使用した。公共の湯の良さが十二分に伝わる。梵珠山後はこの湯が良いだろう。
記録:360円。折角信楽焼の大壺かけ湯の設備が有りながら湯は流れていなかった。
設備の維持は難しいだろうが、信楽焼大壺という高価な設備がもったいない。
浴感:今日は土曜日のせいかカランがほぼ満員状態。旧施設の時はこんなことはな
かった。浪岡駅前温泉や近隣のたらポッキ温泉の閉鎖・休業の影響なのかも?
(過去の記録:2020.04.23)
今、青森市で最も新しい温泉施設、花岡温泉。恐らく合併債を活用したと思われる
健康の森『花岡プラザ』は文字通り『健康』メインのテーマがその存在理由なのだ
健康チェック施設が二階にありその基礎となる温浴施設が一階にある。名湯と認定。
【Data】食塩泉 45.5℃ PH8.7 源泉:花岡源泉 右から43℃、46℃、42℃
浴感:久し振り(5年振り)に入浴してイメージが変わった。微かに鉱物香があり、
色彩的には浪岡地域特集のモールがかり。しかも、オーバーフローの贅沢さ
これは間違いなく、当初の「おすすめ湯」から「名湯」に昇格と確信した次第。
が、土日の混み様では如何に源泉が名湯でも総合的に「おすすめ湯」と判断。
参照:青森市(外ヶ浜 含)温泉紀行
閉館速報:なんという事だろう、昨日の「たらポッキ温泉」に続き、今日は浪岡駅前
温泉閉館速報をお伝えしようとは💦筆者の中では黒湯系の№1の位置付け
の浪岡駅前温泉。しかも「駅前温泉」という名称が昭和の遺産的温泉施設。
なんの理由もなく突如の閉館宣言は寧ろ潔いが、真に残念。もうこれ以上
の黒湯系名湯は現れないだろう。心から是までの営業に感謝申し上げたい。
※閉館日時:2024.10.24
(過去の記録:2005.08.19)
Memoir:JR奥羽線浪岡(駅前にある真っ黒い湯)奥羽線浪岡駅徒歩5分 (2005.8.19)
津軽路を横断するJR奥羽線の浪岡駅の前にある。「駅前温泉」というなんとレトロな
名称であろうか。しかも浴室はご覧の通りまるで内湯の様なシンプルさ。ところが浴感
は結構ハード。恐らく青森県一黒い湯。又泉温も立派な高温泉。勿論、源泉掛け流しだ。
【Data】単純温泉 42.2℃ PH8.9 黒褐色透明 源泉:浪岡温泉 ( 源泉1,077湯計上)
追憶:「駅前温泉」と言う呼称は、その昔、森繁久彌の喜劇「駅前温泉」を思い起す。と
いうものの年代が違い映画は観ていない、幼児期記憶弘前駅前の宝塚劇場館(今は
無い)何故か「駅前温泉」の看板上のポスターが鮮明に思い起され、浪岡駅前温泉は
このポスターにオーバーラップする。勿論お湯は極上の美人(アルカリ性)の湯。
参照:青森市(外ヶ浜 含)温泉紀行
休業速報:速報にならないのだが、筆者が本日「休業掲示板」に気付いた。
久し振りにたらポッキの名湯を味わおうと二年振りに出かけた
のだが・・・・・。余りの衝撃に言葉もない。真に残念である。
ネット情報では9月再開したが再度10月以降の休業状態とある。
湯温低下は源泉が枯れたか揚湯管が腐食し地下水が流入したか
のどちらかであるがどちらも巨額の費用を要する。減価償却等
の積立金がなければ営業再開は難しい。掲示板ではクラウドフ
ァンディングを募ると後記していたが・・・・再開を祈る・・。
(過去の記録:2022.10.31)
入浴速報:たらポッキ温泉 (青森市鶴ヶ坂)
2022.10.31 本年2回 通算12回目
9ケ月振りの入湯。今回は山岳トレッキングの仕舞湯として利用。梵珠山をトレッキ
ングの後に立ち寄り。相変わらずの名湯に、汗で冷えた身体と予想外の距離で疲れた
足には最適な湯であった。最近は必ず山岳トレッキングが伴うので、湯の選びも大変。
【Data】含重曹ー食塩泉 45.7 ℃ pH8.01 源泉:田川温泉 自然湧出 深度931m
250ℓ/m 微塩味、微硫黄臭 計測:湯口44℃、大41.5℃、枡風呂43℃
KEY:JR鶴ヶ坂駅前、BGMはJazz、源泉掛流(重曹泉)、押バネ蛇口、自動台はかり
(過去の記録)
歴史:旧国道7号線沿。以前この地域には「鶴ヶ坂温泉」があったが昭和59年に
鱈加工業者が工場用水を求めて掘ったところ、良質の温泉が自噴、地域住民
の為の温泉公衆浴場を建設した。施設名の「たらポッキ」とは、看板商品名。
参照#① 青森市(外ヶ浜 含)温泉紀行
② 幻の温泉(もう一度入りたい絶品湯)
一見地味な櫓だが南面の敵の進入に対する重要な砦。今日は早朝なので朝陽が眩しい
加えて堀中に祭りイベントの竿船が浮いている景観は菊と紅葉まつりならではのもの
(過去の記録:2012.10.08)
弘前城は築城以来の城郭(本丸、北の郭、二の丸、三の丸、内堀、中堀、蓮池、外堀)
がほゞ往時のまま残っている全国でも希少なお城。城郭の一角(二の丸内堀端)に位置
するのが「羊申(ひつじさる)櫓」。追手門から内堀・杉の大橋に差し掛かると雄姿が見える。
解説:明治28年に弘前公園として開放されたが、近年まで城内に大学校舎、野球城
陸上競技場、テニスコート(一部現存)、図書館などの公的施設があったが現在
は全て撤去され、嘗ての薬草園を思わす植物園も復元された市民の憩いの場所。
参照#弘前城トレッキング 2024