有島武郎…武者小路実篤、志賀直哉と白樺派結成。政府高官資産家の長男。学習院
中等科、北海道大学、ハバフォード大学院卒、ハーバード大学卒中退。北海道虻田
郡ニセコ町に有島第一農場、第二農場を有するも小作人に開放せしむ。『カインの
末裔』、『或る女」、評論『惜みなく愛は奪ふ』…流行作家なるも不義密通で情死。
蝦夷富士羊蹄山の麓、有島記念館にある庭園のテラスで、熱情の有島武郎を追慕す。
参照#有島武郎(白樺派作家)探訪紀行
映像:有島武郎が解放した農場の佇まい。後方の山はニセコアンヌプリである。
有島武郎はついに、農場を解放する事を決意した。ニセコアンヌプリと羊蹄山
に囲まれた風光明媚な土地だが、開拓当時は荒々しい北海道の大地に違いない。
小作人に自分の土地を分け与える、など今の人はできるだろうか?理想の村だ。
参照#有島武郎(理想郷)探訪紀行
映像:有島武郎記念館の一隅にやや壊れかかったぶどう棚があった。
『……いつでも葡萄の房は紫色に色づいて美しく粉をふきますけれども、
それを受けた大理石のような白い美しい手はどこにも見つかりません』
佳作「一房の葡萄」が偲ばれる一房の葡萄がことしも可憐に実っていた
解説:小説「一房の葡萄」は若き有島武郎の体験小説なのだが同じ心中事件
を起こした太宰治との対比で、当時の上流社会の言葉づかいの表現は太宰の
『斜陽』とは違い学習院仕込みの本物であった。田舎の坊ちゃん言葉と都会
の上流社会の日常語の違いで不自然でない。しかし、悲劇は同じく心中事件。
映像:有島武郎の内面は繊細で潔いものだったと想像されるミニチャペル
有島武郎記念館では館内でかなしみの軌跡に触れるもよし
庭園に配置されたモニュメントで大地に根差した魂に触れ
るもよい。ときは移ろえど人の心根はそんなに変わらない。
流行作家:有島武朗45歳、人妻美人編集者:波多野秋子29歳、二人の心中
遺体が見つかったのは七月七日天の川の運命の日だった。当時姦通罪
は最も不名誉な罪。彼らは不倫でも不純でもなかった。それ故心中と
いう手段で愛を貫いた。ニセコに来るとこの悲しみに心暫し打たれる。
参照 # 有島武郎記念館(北海道ニセコ町)
ニセコの町を訪問した時、必ず足を延ばす場所がある。
有島武朗記念館だ。彼の精神をここで実感できるのだ。
資産を貧困苦の小作人に分け与える平等のスピリット。
参照:①弥照神社(有島武朗が小作に農地解放を宣言)
②有島武郎(理想郷)探訪紀行
日本の駅で初めてカタカナ表記をした駅だそうである。北海道でカタカナの町名
もここだけでの所以だろうか町の中心地に存在するが札幌行は一日8本しかない。
記録:二面3線駅、函館本線、降車客300人(全国駅データーベース)
参考:カタカナのJR駅名一覧
ニセコ駅(JR北海道・函館線)、トマム駅(JR北海道・石勝線)、
マキノ駅(JR西日本・湖西線)、ユニバーサルシティ駅(JR西日
本・桜島線)、オレンジタウン駅(JR四国・高徳線)、スペースワ
ールド駅(JR九州・鹿児島線)、ハウステンボス駅(JR九州・大村線)