国宝瑞巌寺に隣接するお寺。伊達政宗の孫:伊達光宗(19歳で夭折)の菩提寺。
支倉常長が持ち帰ったバラに因んでバラ園があり、通称「バラ寺」と謂われる。
紅葉の時期だがバラも幾輪か咲いていた。瑞巌寺とは対照的に庭園を鑑賞散策。
宗旨:臨済宗妙心派 本尊:聖観世音菩薩 開山:洞水(瑞巌寺第100世和尚)
指定:国重要文化財(圓通院霊屋 附厨子1基、棟札1枚)
支倉常長:慶長遣欧使節団長としてヨーロッパに渡った歴史上の人物。(51歳没)
ローマ貴族、フランシスコ派カトリック教徒(洗礼名ドン・フィリッポ・フランシスコ)
瑞巌寺の参道を下り、山門が見えてくると、右側に小さなお堂が見えてくる。
中を覗いてみると東日本大震災の犠牲者を供養する悲母地蔵が祀られていた。
松島は幸いにも湾内にある島々が津波を軽減してそんなに被害が無かったが
東北全体で2万人の犠牲者。その安寧を供養したものだ。旅のテーマに遭遇。
参照:①多くの魂が集まる東北の霊山「恐山」の慰霊仏 ②日本国震災の記録
検証:今回の松島紀行は、実は7周忌を迎えた三陸沿岸を検証する旅でもあった。
伊達政宗の時代の栄華を今に残す証がこの瑞巌寺本堂・境内である。お寺と言えども
内部は豪華絢爛、伊達者が作ったお寺として理解できる。間取りは小さなお城そのも
の。仙台城が破却、火災、戦災で失われた今ではこの藩主の間などが往時を忍ばせる。
(上段(藩主)の間:撮影禁止にて、瑞巌寺HPより引用)
指定:国宝{入母屋造・平屋・本瓦葺。慶長14年(1609)完成}
正面襖の奥には警護の武者詰の間があった。
≪ 平成調査結果:研究&調査&執筆 高浜虚子(花鳥諷詠の歌人)2006.4~2018.12≫
愛媛県出身の高浜虚子は正岡子規に兄事し、子規の薫香を受ける。京都~仙台~東京
と渡り、正岡子規の居宅「子規庵」に転がり込み、子規の帰郷と共に郷里松山に帰り
俳誌「ホトトギス」を後継して、鎌倉を拠点に活動。俳風は客観写生、花鳥諷詠である。
(下記アンダーラインをクリックすると本ブログの訪問記録参照可)
①燈台は 低く霧笛は 峙(そばだ) てり ・・・北海道 釧路市 米町公園
②囀りや 絶えず二三羽 こぼれとび・・・・北海道 登別温泉 地獄谷
③手古奈母 お萩に新茶 添えたばす・・・・・・・・・・ 青森県 大鰐温泉
④春山も こめていでゆの 國造り・・・・・・・・・・・・ 岩手県 花巻温泉
⑤天童の でゆや蟇(がま))なく 夜もすがら・・・・・ 山形県 天童温泉
⑥稲むしろあり 飯の山あり 今昔・・・・・・・・・・・・ 香川県 丸亀城址
所感:さすがに正岡子規の弟子だけあって自然・情緒の切り取りは無駄がなくビシッと
決まっている。高浜虚子の句碑を最初に見つけたのが当地青森県大鰐温泉茶臼山
公園。門下生の大鰐町の医師:増田手古奈の招聘来県。句碑が仲良く並んでいた。
KEY:愛媛県温泉郡(現松山市)出身、三高(京大)進学、二高(東北大)転校‣中退
ホトトギス派(花鳥諷詠、客観写生)主宰、正岡子規後継、85歳没(脳溢血)
参照#増田手古奈句碑「山の温泉(ゆ)や夕鶯のいつまでも」(大鰐温泉茶臼山公園)
映像:国宝瑞巌寺境内にある松尾芭蕉の碑・句碑群(今日は松尾芭蕉祭が開催されていた)
松尾芭蕉は「奥の細道」で松島のことを「扶桑第一の好風にして、几洞庭、西湖を恥ず」
と記し松島の風光を称えている。しかし、奥の細道の道中の松島では一句も発しなかった
とか。この芭蕉句碑(真ん中)は文字が読み取れないが後日松島を詠んだものと推量する。
碑文:(推量)
『 島々や 千々に砕きて 夏の海 』 ( 芭蕉 )
解釈:夏のキラキラした波間に八百島の散らばるさまはなんと美しいことよ
考察:有名な「 松島や ああ松島や 松島や 」の句は後世人が、芭蕉の絶句した心境を
パロディ風に詠んだ物とされているのが通説。しかし同じく絶景の象潟では発句。
因みに同行した弟子の曽良が一句詠んでいる「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」
(句意:松島は今泣いているホトトギスを鶴に変えたいほどの絶景美観である事よ)
参照#松尾芭蕉(奥の細道)探訪紀行
移動二日目は松島観光を思いっきり満喫。瑞巌寺、円通寺、五大堂、観光遊覧船、
そして超目玉のカキ小屋。そのあとは大江戸温泉グループのホテル壮観で湯楽だ。
ホテル荘観は自家源泉を保有だが循環利用なので掛湯などで源泉を見せて欲しい。
【Data】食塩泉 54.8 ℃ pH8.3 源泉:松島荘観の湯(入湯1,022湯目)
鑑定:日本三景松島湾沿いに湧く温泉というだけで名湯である。しかも太平洋岸
にあって高温泉(42℃以上)は貴重である。近年源泉にこだわる愛好家も
多くなっているので本文でも述べた通り、源泉に触れる湯造りが望まれる。
参照:2018年の本ブログ初湯:岩瀬湯本温泉 湯口屋旅館
2019年新年の感動は日本三景の松島湾。「松島や ああ松島や 松島や」
東日本大震災の爪痕は感じられない景観に松尾芭蕉の時代を思い起す。
松尾芭蕉は船で塩竈から松島湾瑞巌寺に渡る。筆者も舟遊びに興じた。
留意:文頭で掲げた「松島やああ松島や松島や」の俳句は松尾芭蕉の作
では無く相模の国の狂歌師・田原坊の作とされているのが通説。
景勝:湾内にはたくさんの個性的な島々が点在している。島々260余。
蓬莱島、仁王島、千貫島、よろい島、かぶと島、鐘島、双子島
みさご島、めがね島、かえる島・・・・島々が津波被害を抑制した。
指定:特別名勝(国文化財)、日本三景、日本遺産百選、日本の渚百選、
日本の地質百選、日本白砂青松100選、日本の都市公園100選他
参照#①松尾芭蕉(奥の細道)探訪紀行 ②象潟海岸(秋田県いかほ市)