時々ドジなことをしてしまいます。
今回は、「振り込み」です。
といっても「振り込め詐欺」に遭ったというわけではありません。
我が家の台所の壁を塗り直してもらったことは、以前のブログでも書きました。(2011年6月7日)
一度塗り、乾いた後に二度目の塗りをしてもらい、約3時間で、台所の壁はすっかり白くなりました。
その後は快適に暮らしています。
そんなある日、郵便受けに請求書の封筒が入っていました。
私は、「請求書が届いたわ。」とだけ言って、中を見ずに(他の用事があったので)、その封筒をテーブルの上に置きました。
用事が終わって、落ち着いたところで、封筒の中の請求書を見ると、○○○○円とあります。
「下見に来て、言っていた見積もり額だわ。」と、私。
請求書が届いた二日後、私は○○銀行から振り込みをしました。
その夜の会話です。
私「私、壁の塗り直しのお金、今日振り込んできたから。」
彼「え、何してるんや。昨日もう振り込んだよ。」
私「え、そんなん聞いてない。」
彼「封筒に入っていた郵便局の赤い振込用紙で振り込んだよ。」
私「赤い振込用紙なんか、見てないわ。そんなん入っていたの? 私は請求書に書いてあった振込先の○○銀行○○○○の口座へATMで振り込んだわよ。」
彼「赤い振込用紙があったじゃないか。」
私「だって、私が見た封筒の中には請求書しか入ってなかったし、そこに銀行の口座が書いてあったんだから、その銀行へ振り込むのだと思うでしょう!昨日振り込んだのなら、振り込んだと言ってくれないと困るわ。昨日用紙だけ抜き取って持って行かずに、封筒ごと持って行ってくれてたら、今日振り込まないで済んだのに。ちゃんと言ってよね!!」
彼「○○銀行からの振り込みなら、手数料が要っただろう?」
私「もういい!!明日業者に電話するわ。」
翌日、「午後電話しよう。」と思っていたところへ、業者から「二重に振り込まれています。」という電話がかかってきました。
返金分をこちらの銀行口座に振り込んでくださることになりました。
何はともあれ一件落着!!ではあります。
「会話のない夫婦」と理解されたと思いますけれど。
今回の壁塗り直しの件は、塗り直そうと言い出したのも、下見の時に立ち会ったのも、作業日の打ち合わせをしたのも、当日立ち会ったのも、私でしたので、これも私がするものだという気でいたものですから、振り込みについての躊躇は全くなかったのです。
今回は良心的な業者だったから、速やかに返金されましたが、そういう業者ばかりではないかもしれません。
それに、今回は金額が少なかったから、返金がスムーズにいかなくてもあきらめがつくかもしれませんが、これが数十万や数百万だったら
とどんなに大きなストレスになったでしょう。
同じ失敗は繰り返さないように気をつけるのですが、ドジなことというのは、形を変えてやってしまいます。
昔はこんなことなかったように思うのですが。
物を壊したり、物を失ったり、当然するべきことを忘れてしまったり、今回のように重複したり、枚挙に遑がありません。
その度に、以前友人が言った言葉「自分に起こるすべての事象は、自分には必要な課題だから起こる」が頭の中でぐるぐる回ります。
忘れることも少し得意になってきて、何が必要な課題だったのかは、日が経つと忘れてしまうのですが、課題が確かにあって、辛かったという記憶は拭い去ることができません。
自分を見つめ直すためには、こういう課題も私には必要なのかもしれないと思いながら、何とか自力でドジなことの後始末をして、とりあえず一件落着!ということの繰り返しです。
起こる事象はどんどん変わるのですが、いつも落ち込み、反省し、弱気になり、少しだけ他人に優しくなります。
父のことを「晩年とても優しくなって、『嬉しいなぁ』と思っていたら、あんなに早く逝ってしまって…。」としばしば母が語ります。
父も、歳を重ねて完璧なことができなくなったと認識するごとに、その認識1個分、母に対して優しくなったのかもしれないと最近思う私です。
今回は、「振り込み」です。
といっても「振り込め詐欺」に遭ったというわけではありません。
我が家の台所の壁を塗り直してもらったことは、以前のブログでも書きました。(2011年6月7日)
一度塗り、乾いた後に二度目の塗りをしてもらい、約3時間で、台所の壁はすっかり白くなりました。
その後は快適に暮らしています。
そんなある日、郵便受けに請求書の封筒が入っていました。
私は、「請求書が届いたわ。」とだけ言って、中を見ずに(他の用事があったので)、その封筒をテーブルの上に置きました。
用事が終わって、落ち着いたところで、封筒の中の請求書を見ると、○○○○円とあります。
「下見に来て、言っていた見積もり額だわ。」と、私。
請求書が届いた二日後、私は○○銀行から振り込みをしました。
その夜の会話です。
私「私、壁の塗り直しのお金、今日振り込んできたから。」
彼「え、何してるんや。昨日もう振り込んだよ。」
私「え、そんなん聞いてない。」
彼「封筒に入っていた郵便局の赤い振込用紙で振り込んだよ。」
私「赤い振込用紙なんか、見てないわ。そんなん入っていたの? 私は請求書に書いてあった振込先の○○銀行○○○○の口座へATMで振り込んだわよ。」
彼「赤い振込用紙があったじゃないか。」
私「だって、私が見た封筒の中には請求書しか入ってなかったし、そこに銀行の口座が書いてあったんだから、その銀行へ振り込むのだと思うでしょう!昨日振り込んだのなら、振り込んだと言ってくれないと困るわ。昨日用紙だけ抜き取って持って行かずに、封筒ごと持って行ってくれてたら、今日振り込まないで済んだのに。ちゃんと言ってよね!!」
彼「○○銀行からの振り込みなら、手数料が要っただろう?」
私「もういい!!明日業者に電話するわ。」
翌日、「午後電話しよう。」と思っていたところへ、業者から「二重に振り込まれています。」という電話がかかってきました。
返金分をこちらの銀行口座に振り込んでくださることになりました。
何はともあれ一件落着!!ではあります。
「会話のない夫婦」と理解されたと思いますけれど。
今回の壁塗り直しの件は、塗り直そうと言い出したのも、下見の時に立ち会ったのも、作業日の打ち合わせをしたのも、当日立ち会ったのも、私でしたので、これも私がするものだという気でいたものですから、振り込みについての躊躇は全くなかったのです。
今回は良心的な業者だったから、速やかに返金されましたが、そういう業者ばかりではないかもしれません。
それに、今回は金額が少なかったから、返金がスムーズにいかなくてもあきらめがつくかもしれませんが、これが数十万や数百万だったら
とどんなに大きなストレスになったでしょう。
同じ失敗は繰り返さないように気をつけるのですが、ドジなことというのは、形を変えてやってしまいます。
昔はこんなことなかったように思うのですが。
物を壊したり、物を失ったり、当然するべきことを忘れてしまったり、今回のように重複したり、枚挙に遑がありません。
その度に、以前友人が言った言葉「自分に起こるすべての事象は、自分には必要な課題だから起こる」が頭の中でぐるぐる回ります。
忘れることも少し得意になってきて、何が必要な課題だったのかは、日が経つと忘れてしまうのですが、課題が確かにあって、辛かったという記憶は拭い去ることができません。
自分を見つめ直すためには、こういう課題も私には必要なのかもしれないと思いながら、何とか自力でドジなことの後始末をして、とりあえず一件落着!ということの繰り返しです。
起こる事象はどんどん変わるのですが、いつも落ち込み、反省し、弱気になり、少しだけ他人に優しくなります。
父のことを「晩年とても優しくなって、『嬉しいなぁ』と思っていたら、あんなに早く逝ってしまって…。」としばしば母が語ります。
父も、歳を重ねて完璧なことができなくなったと認識するごとに、その認識1個分、母に対して優しくなったのかもしれないと最近思う私です。