(07年3月 ラスベガス 医療保険制度改革について語るオバマ大統領 長年の民主党の悲願が実現するのか、オバマのワーテルローとなるのか・・・
”flickr”より By Center for American Progress Action Fund
http://www.flickr.com/photos/americanprogressaction/452459822/)
【4700万人の無保険者】
約4700万人に上る無保険者の解消を目指す米医療保険改革を内政の最優先課題と位置づけるオバマ大統領ですが、かなり“苦戦”の様相です。
アメリカにとって、医療保険改革は「トルーマン大統領以来(戦後の)歴代大統領が口にしながら、実現できなかった」(オバマ大統領)悲願のテーマです。
1994年、クリントン政権も国民皆保険化を目指しましたが、医療業界や共和党の反対に遭い挫折した経緯もあります。
アメリカの医療保険制度、およびその問題点については、富士通総研のサイトにある松山幸弘氏の「オバマの医療改革の行方」(http://jp.fujitsu.com/group/fri/column/opinion/200903/2009-3-1.html)から要約すると以下のようなところです。
アメリカの医療保険制度は、64歳以下の現役世代は原則民間医療保険、65歳以上の高齢者は原則公的医療保険(メディケア)と公・民ミックスの仕組みを採用。そして、収入も資産もない貧困者に対してはメディケイドが医療給付を行っています。
アメリカの医療保険制度の最大の欠陥は、人口の15.8%を占める4,700万人もの医療保険未加入者が生まれていることにあります。
医療保険未加入者が大量に存在する背景には、中小零細雇用主が従業員に医療保険を提供していないこと、及び、民間医療保険を購入する資力がありながら自己判断で加入していない者が多数存在していることがあります。
しかし、このような医療保険未加入者たちは、命に関わる急病になれば病院に行って治療を受けるし、病院側は拒否することはできません。
この場合、退院時に資力に応じて医療費を支払う交渉を病院側とすることになりますが、しばしば不良債権化します。これは、従業員に医療保険を提供しない中小零細雇用主や資力がありながら医療保険に加入しない者が医療制度にただ乗りしていることを意味します。
従って、この医療のフリーライダーたちに応分の負担をさせることが医療保険制度改革の重要ポイントとなります。
(以上、「オバマの医療改革の行方」より)
【医療費はGDPの18%】
また、アメリカでも日本同様、医療費高騰が大きな問題です。
60年にはGDPの5%だった医療費は現在ではほぼ18%に達すると推定され、2040年までには34%に達するとも言われています。【数字はNewsweek 6月16日 ロバート・サミュエルソン「オバマの病的な医療保険改革」より】
フリーライダーの存在は制度内負担者の負担を重くするかたちで、医療費の高騰を悪化させます。
医療費高騰で企業の負担が重くなり、勤め先から支給を打ち切られたりリストラされたりして、保険を失う人が続出。無保険者の増加が結果的に医療コストを押し上げ、新たに無保険者を生む悪循環となっています。
“雇用者が被雇用者とその家族のために払う医療保険料は、96~06年の間に85%増加して年1万1941ドルになった(物価調整後)。それが25年までには2万5200ドル、40年までには4万5000ドルに増加する。その莫大なコストを捻出するため、雇用者は従業員の手取り給与を減らさざるを得なくなるだろう。”【同上】
しかも、メディケア(高齢者むけ)、メディケイド(低所得者向け)の公的医療保険の財政支出は、史上最大の財政赤字を膨らませる最大の要因でもあります。
“それぞれ高齢者と低所得者を対象とした公的医療保険、メディケアとメディケイドの支払いは、現在GDPの6%を占めるが、これが40年までには15%に増加する。現在の連邦政府支出のほぼ4分の3に匹敵する額だ。” 【同上】
オバマ大統領の医療保険改革は、医療費削減によって民間保険のコストダウンを図ると同時に政府運営の保険を新設するという事実上の国民皆保険化を促すものとされています。
現在問題となっているのは、制度改革のために必要な財源です。
“費用の概算は10年間で約1兆ドル(約93兆5千億円)。
財政赤字の増加を招かないことを条件としており、オバマ大統領は公的保険のコスト削減と富裕層向けの増税で工面する方針を示している。
下院民主党は14日、世帯の年収35万ドル以上の富裕層向けの増税、保険を従業員に提供しない雇用主への罰金-などを財源とする法案を発表。
しかし、野党共和党は「労働者の雇用減少を招く」と反発。民主党内でも増税に抵抗する財政保守派が見直しを求めている。上院も、契約増加の恩恵を受ける保険業界への課税など独自法案の取りまとめが難航。夏季休会前の採決の行方は不透明だ。”【7月23日 産経】
実際、調整は難航し、上下両院とも本会議での採決は9月以降に持ち越されています。
****米国:医療保険法案、下院委が可決 本会議は9月以降****
米下院エネルギー・商業委員会は7月31日、総額約1兆ドル(約95兆円)にのぼる医療保険改革法案を賛成多数で可決した。オバマ大統領は休会入りまでの上下両院での可決を目指していたが、手厚い内容を目指す民主党リベラル派と改革に伴う増税や財政赤字を懸念する同党保守派や共和党が対立。米議会は8月初めから休会し、両院とも本会議での採決は9月以降に持ち越された。
法案は賛成31、反対28で可決された。財政赤字が深刻化するなかでの公的保険制度の導入で、中・低所得層への保険料補助の是非や財源をめぐる議論で調整が難航した。
米国の無保険者は4700万人にものぼり、オバマ大統領は大統領選当時から公的保険制度の創設を提唱。オバマ政権の「変革」の柱と位置づけている。【8月1日 毎日】
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【医療費高騰をもたらす保険制度】
国民皆保険的な制度をつくることで、医療保険未加入者が医療を受けられないといった非人道的事態をなくすことができ、更に、早期の受診を可能にすることで、予防的な対応によって医療に要する費用をトータルとしては抑制できるということが言われています。
この点に関して、前出サミュエルソン氏は次のように反論しています。
“米議会で審議中の医療保険改革の目玉は、無保険のアメリカ人4600万人の大半に保障を広げることだ。人気の高い政策だし、道徳的な行いのようにも思える。保障の拡充は医療費増大に拍車をかけかねない。
無保険者がもし医療保険に加入していたら、今よりどれだけ健康だったのかははっきりしない。彼らはすでに医療サービスを受けている。患者擁護団体ファミリーズUSAによれば、その額は08年で1160億ドル相当。そのうち37%は無保険者自身が支払い、政府や慈善団体が26%、残りの「未払い分」は医者や病院が負担したか、医療保険の保険料値上げに転嫁された。
医療保険に入れれば一部の無保険者は助かるだろう。だが助からない人もいる。健康(18~34歳の無保険者では40%)な人には医療保険はいらないし、今のように病状が悪化してから病院に駆け込むのに比べて医療保険の保障で予防的な医療を受けるのと、どちらが安上がりかもはっきりしない。
医療保険の対象を拡充して確実に起こるのは医療費の増大だ。医療保険に加入していると、人々はより多く医療サービスを利用する。オバマが選挙公約した医療保険改革が、10年間で1兆2000億ドルの財政支出増につながると推定される理由の一つだ(もう一つの理由は、今は他の人が負担している医療費まで政府が引き受けることになるから)。医療への需要が増大すれば、医療費政府と民間を問わず全体に増大するだろう。”
【6月16日 Newsweek サミュエルソン「オバマの病的な医療保険改革」】
“無保険者がもし医療保険に加入していたら、今よりどれだけ健康だったのかははっきりしない”・・・・もちろん、大勢の人々が医療保険がないため命を落としているという主張もあります。
サミュエルソン氏が医療費増大の原因としてあげているのは、いわゆる“出来高払い”のシステムです。
“医療費膨張の主な原因は明らかだ。病院と医者の報酬は患者に提供した個々の医療サービスを積み上げる形で決まり、それに応じた額が政府や民間の保険から支払われる。こうした青天井の報酬システムでは、医者も病院もより多くの医療サービスを提供するほうがトクになり、患者もそれを期待する。新しく高価な医療技術も、たくさん使えば使うほど利益になる。”【同上】
この問題を根本的に解決しようとすれば、ひとつの治療ごとに医療費の上限を設ける、例えば風邪の治療なら1件いくらまで、肺がんの治療ならいくらまでと上限を設け、それを超える治療については医療機関側(あるいは患者)の負担として保険適応しない・・・という制度が考えられます。
この場合、当然医療機関は持ち出しを避けるために高価な治療はしない、あるいは、経済的に負担できないので安価な治療でがまんする・・・ということにもなります。
【オバマのワーテルロー】
各種世論調査では医療保険改革の実効性を疑問視する見方がアメリカ国民に広がり、オバマ大統領の支持率も5割を割り込むレベルに徐々に下がっています。
共和党は、医療保険改革をフランス皇帝ナポレオンが惨敗した最後の戦いにたとえ「オバマ氏のワーテルローの戦いになる」(デミント上院議員)とオバマ政権失速の契機としたいとの思惑があるとも。【7月23日 産経】
医療保険制度をめぐる問題は日本も同様で、確実に増大する高齢者医療をどのように社会的に負担するのか、生活保護者への公的負担の大きな割合を占める医療負担をどうしたらいいのか、現在の“出来高払い”システムによる医療報酬制度をどうすべきか・・・いずれも日本においても対処を要する緊急の課題です。
医療を論じるとき、経済的な視点で生命に関する問題を論じるのは不謹慎だ・・・という風潮があります。
“命を救うためなら多額の負担もやむを得ない・・・”と。
しかし、世界的な視野に立てば、生理食塩水やビタミン剤すら手に入らず死亡したり失明したりする貧しい環境の人々が多数存在しています。命が経済的事情で決まっている現実があります。そうした現実に目を向けることなく、自分たちの社会の中だけでの“命はお金には代えられない”といった議論には馴染めないものを感じます。
限られた資源をどこに使うのか、その結果どの分野が、誰が負担を強いられるのか・・・そうした全体的な枠組みでの議論が望まれます。