(写真はタイ領内にも行けない、ミャンマー・カレン州内の国内難民キャンプの子供たちのようです。
一口にミャンマー難民と言っても、いろんな境遇があります。
“flickr”より By Burma Matters Now
http://www.flickr.com/photos/burmamattersnow/4295786395/)
【世界で最も長く存在するキャンプのひとつ】
北部タイ・チェンライ周辺の10日ほどの旅を終え、チェンライ空港の待合室でこのブログを書いています。
地方空港ですが、ネットがワイアレスで繋がるあたりは、昨今のタイのネット事情を反映しています。
ところで、今回旅行した北部タイは、中国・チベットやミャンマーから移住してきた山岳少数民族が約100万人ほど暮らしている地域です。
そして、今もなお“難民”という形で、カレン族を中心に隣国ミャンマーから越境が続いています。
ミャンマー難民の現況について、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のホームページにはつぎのように書かれています。
****アジア地域/タイ(ミャンマー難民)*****
長引く困難な生活
1948年以来続いているミャンマー政府軍とカレン族など少数民族の間の紛争と、ミャンマー国内で起きている人権侵害により、1984年にミャンマー難民がタイに流入し、今年で25年になります。現在、タイ国内にはミャンマーとの国境近くに9つの難民キャンプがあり、タイ政府が「不法滞在者」とみなすキャンプ外に住む難民も合わせると、約16万人のミャンマー難民が生活しています。ミャンマー南東部における紛争が激化し、2009年6月には約3000人の難民をキャンプに受け入れました。さらに2010年にはミャンマーで選挙が実施されることから、新たな難民の発生が懸念されています。(中略)
タイのミャンマー難民キャンプは、世界で最も長く存在するキャンプの1つで、キャンプ内で生まれた世代もすでに自分たちの子育てに入っているほどですが、タイの法律では、難民はキャンプ外へ出ることは許可されていないため、限定された敷地内での生活はストレスに満ちており、家庭内暴力、レイプ、薬物依存が慢性的に発生するなど、社会面、心理面、安全面での懸念を生んでいます。
UNHCRや協力機関の支援によっても、難民キャンプの難民人口は減少の兆しを見せておらず、新たな庇護申請者を受け入れ続けています。2009年には庇護申請者の予備審査が実験的に4つのキャンプで開始され、2010年も引き続き実施される予定です。(中略)
難民の約半数が、18歳以下の子どもたちです。紛争を逃れて難民キャンプにたどりつき、5年、10年、15年と長い間避難生活を送っている青年や、難民キャンプで生まれ育ち、キャンプ以外の世界を知らない子どもが大勢います。(中略)
第三国への定住の動き—。明るい兆し
ミャンマーの民主化が進まず、難民たちがふるさとへ帰還する目処が立たない一方で、2005年から最大の受入国であるアメリカやヨーロッパ諸国への第三国定住が始まりました。その後も順調に進み、現在、第三国定住を果たしたミャンマー難民は5万人を突破し、2010年には更に最大で1万5000人が第3国定住に向けて出発する予定です。ふるさとへの帰還もタイでの定住もできない難民にとって、第三国定住は恒久的解決のひとつです。
2008年12月、日本でも、試験的に2010年からタイのミャンマー難民の第三国定住受け入れを開始することが決定されました。これはアジア地域初の試みです。受け入れの第1陣は30人程度で、今後、数年にわたり第2、第3陣を受け入れ、定着状況などを調査・検証した上で、以降の受け入れ体制が検討されます。受け入れた難民に対しては、日本語習得のための機会を提供し、職業紹介または職業訓練などの支援を行う予定です。
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【日本門戸を開くも、難民にためらい】
日本の第三国定住受け入れについては、2月2日から面接が始まっています。
****日本定住へ面接始まる=アジア初、3年で90人-タイ北部****
ミャンマーからタイに逃れてきた難民を日本に受け入れる「第三国定住」に向けた面接が2日、タイ北部メソトの国際機関施設で始まった。第三国定住は米国やカナダなどが既に行っているが、アジアでは日本が初めて。試験運用と位置付けられ、3年間で約90人を日本に移住させる。
面接は法務省入国管理局の職員が担当。メラ・キャンプで生活するミャンマー難民のうち、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に対し、日本への移住を希望した人が対象となった。
この日は3家族15人が面接会場を訪れた。担当者が「聞き取り調査なので、緊張しないで」と説明。本人確認や日本で生活する意思、能力の有無などを確認していった。面接は数日間にわたり、家族単位で行われる。【2月2日 時事】
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メラ・キャンプは、カレン族など約5万人が暮らすタイ最大規模の難民キャンプです。
定住が決まった難民は日本語研修などを行った後、秋にも来日します。
「定住者」の在留資格が与えられ、生活に適応するための指導や職業訓練などの定住支援を6カ月間受ける予定です。
難民受け入れに重い腰を上げた日本ですが、難民側にも戸惑いがあるようです。
****「未知の国ニッポン」に二の足****
難民に固く門戸を閉ざして国際社会から非難を浴びてきた日本は、「第三国定住」制度の導入により、欧米並みの難民受け入れ国へと一歩踏み出した。だが難民の側には「未知の国ニッポン」への定住に二の足を踏む雰囲気が根強いのも事実。(中略)
難民は母国帰還のめどが立たず、キャンプにいても将来の希望は見えない。「唯一の解決策」として04年ごろから大規模な第三国定住が開始され、昨年9月までに約1万9000人が出国。うち85%を米国が受け入れた。
日本政府がメラの難民を第三国定住制度の第1号に選んだのは、米国などへの移住実績が豊富で、カレン族がコメを主食し、日本に近い生活習慣を持つことなどがあるとみられる。だが、キャンプを管理するタイ当局幹部によると、日本への移住に積極的に関心を示した難民は、来年度の移住枠30人とほぼ同数にとどまったという。難民の間では、親族や知人がおり情報が豊富な米国などを移住先として希望するケースが多く、新規参入の日本には「ためらい」が大きいとみられる。
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日本の取り組みは始まったばかりで、まだ“これから”の段階です。
【一時キャンプの閉鎖】
こうした「第三国定住」とは別に、タイからミャンマーへの強制送還の動きもあります。
****タイ:政府がミャンマー難民の送還開始も地雷の危険で中止*****
タイ政府は5日朝、北西部メソト北方にあるノンボア難民一時キャンプのミャンマー難民をミャンマー側へ送還する作業を開始した。ところが、国際支援組織(NGO)などが「(ミャンマー側には)地雷の危険がある」と送還の中止を要求。これを受けタイ政府は同日午後、作業の中止を表明した。
この難民は昨年6月、対岸のミャンマー・カイン(カレン)州からミャンマー政府軍の攻撃を逃れて脱出した少数民族カレン族。攻撃直後は約3000人に上り、現在も約1600人がタイが設置した一時キャンプに残っている。
タイ当局は「ミャンマー側の戦闘はすでに終結した」として4日、一時キャンプの閉鎖を通告し難民に帰還を要求。5日は約160人の「自主的帰還」(タイ政府)を予定したが、約20人がボートでミャンマーへ戻った時点で作業は中止された。
この日、キャンプを訪れた税田芳三(さいた・よしみ)国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)メソト事務所長は毎日新聞に「戦闘が終わったとはいえ地雷の危険がある以上、タイは帰還を求めるべきではない」と話した。
ノンボア・キャンプの難民は、来年度から日本への第三国定住が始まるメラ・キャンプの収容難民と違い、当局の難民認定を受けておらず、一時キャンプの生活環境もメラに比べ劣悪だ。【2月5日 毎日】
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【「われわれは食糧と水、燃料と共に海へ戻してやった」】
タイ政府のミャンマー難民に対する対応については、タイ領内に密入国したミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャの難民1000人弱を、タイ当局が粗末なボートに乗せ、洋上に置き去りにしたとの報道(タイの沿岸警備当局が手を縛るなどして船上に放置し、約300人が死亡したとも)が昨年1月にありました。
UNHCRは、タイ当局に拘束されたとされるミロヒンギャ難民126人について、難民たちと接触させるようタイ当局に正式に申し入れましたが、タイ政府からの反応はありませんでした。
タイ海軍のある幹部は、「UNHCRが言う126人という数字がどこから出てきたのか分からない。ロヒンギャ人は大小のグループで漂着し、われわれは食糧と水、燃料と共に海へ戻してやった」と述べ、タイ国内に難民が残っている可能性を否定したとも報じられていました。【1月26日 AFPより】
タイのミャンマー難民の運命も、第三国定住、強制送還、海上放置・・・とさまざまのようです。
海上放置は別にして、難民が押し寄せるタイ側の対応を責めるのは酷な面もあります。
基本的には、難民を発生させているミャンマー側の問題です。