
(ニジェールでのクーデターの指導者サルー・ジボ少佐 “flickr”より By Pan-African News Wire File Photos
http://www.flickr.com/photos/53911892@N00/4368544667/)
【「アフリカの年」から半世紀】
今年2010年は、「アフリカの年」1960年から50年の節目にあたります。
****2010年、アフリカ17か国が独立50周年 植民地主義とは何だったのか****
アフリカの17か国は今年、独立50周年を迎える。それぞれの国の人びとが国民アイデンティティーへの誇りをかみしめながら、植民地主義以後の過ちや失敗、そして成功を振り返る年でもある。
アフリカで仏植民地14か国を含む17か国が一斉に独立した1960年は、「アフリカの年(Year of Africa)」とも呼ばれた。それから半世紀。カメルーン、セネガル、マリなど政治的に安定した国がある一方で、コンゴ民主共和国やソマリアなど、独立時の熱狂が内戦や貧困、政情不安に道を譲った国も数多い。
独立前夜のコートジボワール南部アビジャン(Abidjan)に生まれたというジャーナリスト、ベナンス・コナン(Venance Konan)氏は、「現在も、北部の反政府武装勢力に国が牛耳られ、人民が貧困にあえぐなかで豪華絢爛(けんらん)な独立記念式典を行うなど、神経を逆なでされるようなもの」だと感じている。
コナン氏は、コートジボワールの現状を「植民地主義というくびきから逃れたのに、その先にあったものは一党独裁・軍事独裁政権という別のくびきだった」と描写し、「われわれアフリカ人は、どこで間違ってしまったのかを時間をかけて理解していく必要がある」と述べた。(後略)【2月19日 AFP】
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【改憲で再選を画策する大統領に、クーデター】
「アフリカの年」1960年に独立をはたした17カ国のひとつ、ニジェールで18日、クーデターが起きています。
****ニジェールのクーデターに国際社会の非難強まる、国民はクーデターを歓迎*****
アフリカ中西部ニジェールで18日に軍事クーデターが発生したことに対し、国際社会は非難を強めている。
アフリカ連合(AU)は19日、暴力による権力の奪取は容認できないとして、ニジェールの加盟資格を停止するとともに、クーデターで失脚したママドゥ・タンジャ大統領の任期の延長を認めた前年8月の国民投票前に施行されていた憲法に復帰するよう求めた。
欧州連合(EU)のキャサリン・アシュトン外交安全保障上級代表がクーデターを非難したほか、米国は民主主義への速やかな復帰を求めた。旧宗主国のフランスは数か月以内に選挙を実施するよう求めている。
一方、軍事政権は着々と権力を掌握している。政府を解散させた後、国境封鎖と夜間外出禁止令を解いた。また軍事政権は首都ニアメーの軍の施設でタンジャ大統領を拘束していることを確認した。大統領の健康に問題はないという。
ニアメーにいるAFP記者によると、クーデターを歓迎する数千人の市民が軍の兵舎の周囲に集まり、「軍万歳」などと叫びながら軍事政権への支持を示した。西部の都市ドッソでも同様に市民数百人が集まった。野党連合は支持者に、20日にニアメーで開催される軍事政権を支持する集会への大量動員を呼びかけた。
ニジェールでは任期延長を画策するタンジャ大統領とこれに反対する野党勢力が対立し、この1年近く政治的混乱が続いていた。状況打開を目指して前年12月21日に始まった双方の対話はしばしば行き詰まり、前週になって停止されていた。【2月20日 AFP】
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【豊富なウランを持つ最貧国】
ニジェールと言っても、なかなか馴染みがありませんが、西アフリカの内陸国で、北のサハラ砂漠と南のナイジェリアにはさまれた位置にあります。
近年の政治混乱については、“ママドゥ・タンジャ大統領は2009年8月4日に新憲法制定に関する国民投票を行うと表明。憲法裁判所は違法な決定と判断したが、ママドゥは憲法裁判所を解散させ、投票を強行する構えを見せた。この国民投票は予定通り実施され、新憲法は採択された。これにより、2012年の新憲法施行までの3年間、ママドゥが現行憲法のもとで引き続き政権を率いることになり、更に現行憲法に存在した3選禁止規定が新憲法では削除されたことで、2012年以降もママドゥが大統領職に留まり続ける可能性が出てきた。”【ウィキペディア】といった経緯で、憲法で規定された再選禁止規定を強引に変更して権力掌握継続をはかる・・・という、よく見られるパターンです。
国際社会は“クーデター”という暴力的手段に対して非難していますが、AUが“暴力による権力の奪取は容認できない”と反発するのは、自国で強権的に国民を抑えつけており、自らもクーデターの危険があるような国が多いせいではないか・・・とも勘ぐってしまいます。
ニジェールの国情はまったく知りませんが、およそ、憲法を変更して権力に居座り続けようとする権力者の政治は想像できるものがあります。
ニジェールの経済についてはウィキペディアでは、次のように記しています。
“農業は自給農業が中心で、南部に限られる。降雨量は少なく灌漑も発達しておらず、水源も乏しいため、ほとんどは天水農業である。そのため降雨量に収量は大きく左右され、しばしば旱魃が起こる。
鉱業の主力であるウランは確認できるだけで世界第3位の埋蔵量を誇る。アクータ鉱山など、日本にもゆかりのある鉱山があり、ウラン関連産業が全雇用の約20%を占める。
1997年の旱魃で国民の4分の1が飢餓の危機に陥った。さらにウラン価格の低下、度重なる政情不安による海外援助の途絶により、1999年末には国家経済が事実上の破産状態に。しかし2000年12月、国際通貨基金(IMF)などは貧困削減対策として、ニジェール政府が背負う8億9,000万ドルの債務免除を発表し、7,600万ドルの融資を決定するなど明るい兆しも見えてきている。国民総所得:48億ドル(1人当たり330ドル、2008年)”
世界第3位のウラン埋蔵量がありながら、国民所得は1人当たり330ドル、飢餓に脅かされながら1日1ドル以下の生活を強いられています。
資源があるが故に、利権絡みで政治が腐敗し・・・と、言うべきでしょうか。
【「どこで間違ってしまったのか・・・」】
今後については、旧宗主国フランスが言うように、国際的選挙監視団のもとでの速やかな選挙で国民の意思を問い、民政復帰をはかる・・・というのが、妥当な策ではないでしょうか。
権力を掌握した軍事政権側も、すみやかな総選挙実施を公表しているようです。
もっとも、アフリカには旧宗主国フランスへの根強い批判もあります。
それは、単に“人種差別と狂乱的な経済的搾取に基づいた”過去の植民地支配だけではなく、独立後も利権を維持するために、アフリカに深く関与してきたフランスの施策への批判です。
冒頭の「アフリカの年」を扱ったAFP記事においても、カメルーンの人権活動家は、「カメルーン国民の生活向上よりも、政治家たちが自らの特権やフランスの利益確保を重視するような国をフランスは支援してきた」と批判しています。
サルコジ大統領はおそらく、いつまでも植民地支配など他人のせいにするんじゃない。アフリカの現状は自らの統治能力のあらわれだ・・・と言うでしょうが。
「植民地主義というくびきから逃れたのに、その先にあったものは一党独裁・軍事独裁政権という別のくびきだった」「われわれアフリカ人は、どこで間違ってしまったのかを時間をかけて理解していく必要がある」・・・まさに、そのとおりです。
ただ、時間をかける間にも国民の苦しい生活が続きます。できるだけ速やかに・・・改善できればと思います。
一方で、そうした焦る気持ちが、クーデターの頻発にもなるのでしょうが。