孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

フランス・サルコジ大統領  ルワンダ訪問「甚だしい判断の誤りを犯した」

2010-02-26 23:17:51 | 国際情勢

(空港にサルコジ仏大統領(左)を迎えたルワンダ・カガメ大統領(右)
“flickr”より By Paul Kagame
http://www.flickr.com/photos/paulkagame/4387843900/)

【「忌まわしい犯罪を防ぎ、止めることができなかったという過ち」】
虐殺当時の政権を支援していたフランスに大虐殺の責任があるとするルワンダと、虐殺のきっかけとなった当時の大統領搭乗飛行機撃墜事件は、現在のカガメ大統領サイドの犯行であるとするフランスは激しく対立、国交を断絶していましたが、昨年11月、ルワンダ・ブルンジ両国はフランスとの国交正常化を表明。
そいて、今年1月には、クシュネル仏外相が、国交再開後初めて、ルワンダの首都キガリを訪問。
こうしたフランス・ルワンダの関係改善を更に推し進めるべく、サルコジ仏大統領がルワンダを訪問しています。

****サルコジ仏大統領、ルワンダ訪問 1994年の虐殺後初*****
フランスのニコラ・サルコジ大統領は25日、1994年に起きたルワンダのジェノサイド(大量虐殺)後、仏大統領としては初めて同国を訪問し、この虐殺におけるフランスの「過ち」を認めた。しかし、謝罪の言葉までは至らなかった。

サルコジ大統領は、フランス政府が虐殺を後押ししたと非難を続けてきたポール・カガメ大統領と行った共同会見の席で「ここで起こった忌まわしい犯罪を防ぎ、止めることができなかったという過ちについて、フランスを含む国際社会は反省をまぬがれない」と語った。
ジェノサイド当時はフランスの要職にはなかったサルコジ氏だが、カガメ大統領の出自であるツチ人を中心とする80万人が殺害された惨劇に至る状況で、虐殺前のルワンダに大きな影響力を持っていたフランスが「甚だしい判断の誤りを犯した」ことを認め、世界は「(当時のルワンダ)政府の虐殺的側面に盲目だった」と述べた。
またサルコジ氏はルワンダの首都キガリの虐殺記念館にある約25万人の犠牲者が眠る共同墓地のひとつを訪れ、ツチの犠牲者を追悼し献花した。【2月25日 AFP】
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ルワンダで「誤り」を犯したことは認めるが、虐殺に対する責任は一切否定するというのが従来からのフランスの姿勢ですが、「誤り」を口にする今回のサルコジ訪問が、この線から踏み込んだものかどうかはよくわかりません。
“サルコジ大統領は会談後の記者会見で、大虐殺のきっかけとなった94年4月のハビャリマナ大統領機撃墜事件後の仏の対応について「大きな間違いがあった。虐殺の規模を見抜けなかった」と述べ、仏が大規模な軍事介入をしていれば大虐殺を防げた可能性があるとの見方を示した。「虐殺にかかわったすべての人は捜索され、罰せられる」とも述べ、亡命して仏国内に暮らしている大虐殺の容疑者への対応を約束した。
一方、カガメ大統領は「過去にとらわれず、新たな関係に踏み出す時代になった」と語り、両国の連携緊密化を進める意向を表明した。”【2月26日 朝日】

【大虐殺の背景】
94年に“大虐殺”が起きたルワンダでは、一般的にツチ系は背が高い牧畜民族、フツ系は背が低い農耕民族と言われていましたが、両系間の結婚も多く、その区分は不明確とされています。
植民地時代、ベルギーは身分証明書を導入してツチ、フツ系を明記させ、“ヨーロッパ起源の「優等人種」ツチ族(少数派)がネグロイドのフツ族(多数派)を支配するという社会構造”をつくり分断統治を行いました。このことがツチ・フツ間の対立を激化させた背景にあります。
ジェノサイド後のルワンダにおいては、虐殺の原因となった「ツチ」や「フツ」を公の場で語ることは禁じられています。

1994年4月にルワンダのハビャリマナル大統領(フツ系)とブルンジのヌタリャミラ大統領を乗せた航空機が撃墜された事件が引き金となり、多数派(人口の85%)のフツ系住民による少数派のツチ系住民や穏健派フツ系住民の虐殺が100日間あまりにわたって続き、国民の10人に1人、80万~100万人が犠牲となる“ジェノサイド”(虐殺)が起きました。
PKOとして国連ルワンダ支援団(UNAMIR)を派遣していた国連など国際社会もこの虐殺を阻止できず、事実上ツチ系住民らを見殺しにしたと批判されています。
ソマリアで失敗したアメリカが“二の舞”を恐れて消極的だったことも、国連などの動きが遅れたことにつながりました。

【フランス・ルワンダの対立】
また、ルワンダと関わりが深かったフランス政府は90年からのルワンダ内戦で、自国民保護による派兵やフツ族中心のルワンダ政府への武器供与などを行っていました。
ジェノサイド後のルワンダ政府や虐殺を免れた人々の組織は、フランスが虐殺を主導したフツ族強硬派民兵組織や当時の政府軍を訓練し、武器を提供したとして、これまでにも度々フランス政府を批判しています。

08年6月には、ルワンダ大虐殺にフランスが積極的に加担したとする報告書を ルワンダ政府が発表。
500ページにも及ぶ報告書は、フランス政府が大虐殺への準備が進んでいることを事前に察知し、虐殺の計画に加担し、虐殺に積極的に参加したと主張しています。
また、報告書は、虐殺にかかわった人物として、当時首相だったフランスのエドゥアール・バラデュール氏、当時外相だったアラン・ジュペ氏、当時ジュペ外相の側近を務めのちに首相となったドミニク・ドビルパン氏、当時大統領だったフランソワ・ミッテラン氏(1996年に死去)ら13人の政治家、20人の軍幹部の氏名を挙げ、彼らは訴追されるべきとしています。

一方、虐殺発生のきっかけとなった、ルワンダとブルンジの大統領が乗った飛行機が撃墜された事件は、当時反政府軍事行動を強めていた、現在のカガメ大統領が率いていた反政府勢力によるものだとするフランス側は、06年にはカガメ現大統領の側近9人を国際手配し、反発するルワンダはフランスとの国交を断絶しました。
また、08年11月には、大統領暗殺事件に関与したとして、カガメ大統領の長年の側近で、カガメ政権で儀典長を務めているカブイエ容疑者を、ドイツ警察がフランス当局の逮捕状に基づきフランクフルトの空港で拘束。その後、カブイエ容疑者の身柄はフランス当局者に引き渡され、パリへ移送されました。

【「過去にとらわれず、新たな関係に踏み出す時代になった」】
大統領搭乗飛行機撃墜事件は、反政府勢力との和解姿勢を取り始めた大統領に対して不満を持つ、フツ系政権内部のフツ至上主義強硬派によるものだと言うのが、かねてからのルワンダ・カガメ政権側の主張です。
今年1月には、そうした内容の報告書がルワンダの調査委員会からだされましたが、すでに始まっているフランスとの国交回復・関係改善の動きを反映して、フランスの責任については曖昧にされています。

****ルワンダ虐殺きっかけの大統領機撃墜、国軍幹部が首謀 報告書*****
1994年に起きた「ルワンダ大虐殺」のきっかけとなった同国大統領の乗った航空機が撃墜された事件について、ルワンダの調査委員会がこのほど、事件の首謀者はルワンダのフツ人政権内の過激派だったとする報告書をまとめたことがわかった。
AFPが6日に入手した報告書の写しによると、事件は当時の政府と、ツチ人反政府勢力「ルワンダ愛国戦線(RPF)」との連立政権の成立を阻止するため、ルワンダ国軍(FAR)上層部がクーデターの一環として首謀したものだったという。(中略)

■フランスの関与はグレーゾーン
大統領機撃墜事件については、大虐殺に関与したとルワンダ政府が批判するフランス側も、独自の調査を行っている。
前年11月9日には、事件に関して「テロリズムに関連した殺人に共謀」した容疑で、元ゲリラ兵で当時ルワンダのポール・カガメ大統領の側近として儀典長を務めていたローズ・カブイエ容疑者をドイツで逮捕、裁判が行われるパリに身柄が移送された。
今回のルワンダの報告書は、ハビャリマナ大統領暗殺へのフランスの関与は見られないとしているが、当時の軍事合意の一環でルワンダに駐在していた仏軍当局者らが墜落現場に入り、フライトレコーダーとミサイルの残がいを持ち去ったと指摘している。
フランス政府は、大虐殺への加担を否定し続けている。
なお、撃墜事件をめぐりフランスと断交していたルワンダ・ブルンジ両国は前年11月、国交正常化を表明。ベルナール・クシュネル仏外相は6日、国交再開後初めて、キガリを訪問した。【1月7日 AFP】
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フランスがルワンダとの関係改善を進める背景には、“仏語圏だったルワンダでは近年、仏語離れが著しく、英語圏に取り込まれかねない状況にある。今回を機に、仏は休止状態のキガリの仏文化センターや仏語学校を再開させる方針だ。ルワンダ側には、関係改善による経済協力、仏との情報交換に基づく虐殺の原因究明や責任者の訴追、被害者のケアなどが進むことへの期待感がある。”【2月26日 朝日】といった事情があるようです。
フランスの変わり身の早さはさすがです。外交というのはそういうものなのでしょう。
コメント
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