孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

イラク  国民議会選挙 遠のく国民和解 強まるイランの影響

2010-03-03 22:52:40 | 国際情勢

(候補者の選挙用ポスターが溢れるバグダッドの街角 “flickr”より By ZAMMILIAT ALNUSSIMIA ALSULTANIA
http://www.flickr.com/photos/a35m40/4395668436/)

【危ぶまれる「国民和解」】
イラクでは7日の国民議会選を前にした選挙妨害の爆弾テロが起きています。
****イラク中部でテロ、30人超す死者 選挙控え妨害か****
イラク中部バクバで3日、警察署や病院を標的とした連続爆弾テロがあり、AFP通信によると少なくとも33人が死亡、55人が負傷した。7日投票の国民議会選挙の妨害を予告するアルカイダ系スンニ派武装勢力による計画的な同時多発テロの可能性がある。(後略)【3月3日 朝日】
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今回の選挙は宗派・民族を超えた「国民和解」を実現し、アメリカ撤兵後に向けた基礎を固める重要な選挙ですが、マリキ政権側による、旧フセイン政権支配政党のバース党関係者排除の動きによって、スンニ派勢力が反発を強めており、「国民和解」実現が危ぶまれる状況になっています。

****イラクのスンニ派政党、選挙ボイコットを表明 *****
バグダッド(CNN) 来月7日に行われるイラク国民議会選挙について、イスラム教スンニ派の政党「イラク国民対話戦線」が20日、ボイコットの意向を表明した。イラク駐留米軍のオディエルノ司令官およびヒル駐イラク米大使が、選挙に対するイランの影響力行使について発言したことへの対応だとしており、スンニ派とシーア派、クルド人の和解に向けた歩みは後退したとみられている。
同党の有力指導者サレハ・ムトラク氏は先日、フセイン元大統領の政党で現在非合法化されているバース党寄りとの理由で、立候補禁止措置を受けた。同会派はこの決定が、イラン寄りのシーア派与党勢力による政治的陰謀だとの見解にある。
オディエルノ司令官は先日、米軍が直接入手した情報として、ムトラク氏の出馬を禁止した委員会のアハメド・チャラビ氏ら2人が、イラン革命防衛軍のエリート組織「コッズ部隊」の司令官とイラン国内で協議しており、選挙結果の操作に関与していると発言。ヒル大使も、2人がイランの影響下にあるとコメントした。
イラク国民対話戦線は、ムトラク氏がアラウィ元首相らと今回の選挙に向けて設立した世俗派の会派「イラク国民運動(INM)」に参加しており、他党にも選挙ボイコットを促している。【2月21日 CNN】
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【アメリカの思惑 イランの影響力】
「国民和解」が実現できず、再び宗派対立が火を噴く事態となると、アメリカの出口戦略も狂ってきますし、イラクのスケジュールが狂うと、アフガニスタンへの兵力転換にも支障がでます。
また、イラクも予定通りいかない、アフガニスタンも泥沼・・・・では、アメリカ国内世論をなだめることも難しくなります。

アメリカはイラク侵攻でバース党関係者を排除しましたが、今となっては「国民和解」への形をつくるためにも、また、イランの影響力を抑えるためにもバース党関係者を含めたスンニ派の政治参加を求めています。
しかし、マリキ首相やチャラビ元副首相などを通じて、イランの影響力が強まる気配をみせています。

****イラク選挙 後ろ盾の影****
マリキ首相・・・イランが影響力 対立会派・・・米が対抗し支援

イランの影響力を受けているとされるのが、4年前に首相に就任したマリキ氏だ。
宗派主義を脱した「強い国家指導者」像を打ち出し、治安改善を追い風に昨年1月の地方選挙で圧勝。その勢いで、イランの影響力が強いシーア派与党会派を割って超党派の会派「法治国家連合」を結成した。
宗教・宗派や民族にとらわれない「国民政党」を打ち出し、今回の選挙での躍進をもくろんだ。イランとも距離を置く姿勢を示していた。
ところが、昨夏の首都バグダッドからの米軍撤収に合わせるかのように大規模な爆弾テロが相次いで発生、威信と求心力が低下した。
「国民政党」の看板では選挙を戦えないとみてか、基盤のシーア派民衆の支持獲得に力点を置き、旧フセイン政権の支配政党バース党復活の恐怖や治安確保の重要性を訴える戦略にかじを切っている。

マリキ氏が標的にしているのが、米国の支援を受けると言われる世俗派のアラウィ元首相(シーア派)やハシミ副大統領(スンニ派)らの会派「イラク国民運動」だ。
この組織の中核の一人でスンニ派有力政党を率いるムトラク議員に対し選挙運動開始直前の先月、バース党と関係があったとして立候補禁止の最終判断が出た。立候補禁止を企てたのは、シーア派主導の現政権で「バース党排斥委員会」を率いるチャラビ元副首相。
ブッシュ前政権にイラク侵攻を働きかけた人物で、戦後、米国の信頼を失い、現在はイランに近いとされている。
これに対し、米国は「チャラビ氏はイラン政権中枢と関係がある。イランはイラクの選挙結果に影響を及ぼうとしている」(オディエルノ駐留米軍司令官)と警戒を強め、バイデン副大統領らが立候補禁止措置の見直しを働きかけた。米国はイラク戦争後、バース党排除を主導した。
今ではイランの影響力が強まるのを避けるため、元党員の政治参加を求めるという方針転換を強いられる状況となっている。
米国はイランの影響力拡大に神経をとがらせているが、これ以上露骨な介入はできず、手をこまねいている状況だ。
一方、イランのアフマディネジャド大統領は「米国がイラク侵攻で追い出したはずのバース党員を今になって政界に復帰させるよう圧力をかけ、イラクの選挙に介入している」と批判している。【3月2日 朝日】
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この件に関しては、アフマディネジャド大統領の言い分は、筋は通っています。
いったい何のための戦争だったのか・・・という感もします。
ただ、そう言っても、再び宗派対立が激化する事態は避けねばなりません。

【アフマド・チャラビ】
アメリカに取り入りイラク戦争開戦でも暗躍したチャラビ氏は、今ではイランの代理人的な活動を行っています。
チャラビ氏のイラク戦争開戦当時の活動については、次のように紹介されています。

****戦争詐欺師 “戦争に引き込んだ男”アフマド・チャラビとは何者か****
もともとブッシュ政権が誕生するより前から、「イラク打倒」「サダム・フセイン打倒」をライフワークにしていたイラク人亡命者の一群が、米国の安全保障サークルで影響力を増しつつあったネオコン・グループと合体しました。1990年代の後半のビル・クリントン政権の頃です。
実はこの頃から、ワシントンではこのグループが中心となって、サダム・フセインを倒すことを目的にした運動が活発に展開されていました。彼らは税金で活動していました。
このグループは米議会を巻き込んだ「反フセイン運動」を展開させ、98年には「イラク解放法」という法律を成立させることに成功しました。
これは「米政府がイラクの政権交代のために努力しなくてはならない」と定めた法律で、事実上、米国によるイラクの「レジーム・チェンジ」を正式な政策として位置づけた法律です。私がインタビューをしたある国務省高官は、「2003年のイラク戦争の直接的な出発点は、このイラク解放法だった」と証言しています。

この法律の下、フセイン政権転覆を目的とした反フセイン政府活動を支援する予算が正式に誕生し、この米政府から支払われる活動資金を使って前述したイラク人亡命者やネオコンの一部が反フセイン政府活動を開始していたのです。
一度このように米政府の予算がついてしまうと、いったん流れた資金を継続的に受け取れるようにするため、フセイン・イラクの脅威を訴え続ける必要があります。そこでワシントン内で仲間をつくり、ロビイストを雇い、議会や世論にイラクの脅威を訴えて、資金が継続的に流れるような組織に変貌していった。
この反フセイン運動の中心にいたのがアフマド・チャラビという謎の多い亡命イラク人で、彼は「イラク国民会議(INC)」という組織をつくりました。彼は後に「イラクは大量破壊兵器を開発している」ということを「裏づける」情報をたくさんメディアやブッシュ政権に流しました。
本当であろうとウソだろうと別に構わない。米国を戦争に駆り立てるのが彼の仕事だったからです。
こうして「イラク反体制ビジネス」とでも言う利権の集団が出来まして、2001年にブッシュ政権が誕生すると、この利権グループのメンバーだったり、このグループと近い人たちが多数政権の中枢、特に中東政策に大きな影響力を行使できるポストに就いたのです。
ポール・ウォルフォウィッツ元国防副長官だとか、ダグラス・ファイス元国防次官などはチャラビの大の仲良しで、この利権集団の一部でした。

私はアーミテージ元国務副長官に、「ブッシュ政権の対中東外交は、こうしたイラク反体制ビジネスの集団にハイジャックされてしまいましたね?」と聞くと、「全くその通りだ」と答えていました。
もちろんアーミテージを含む国務省はCIAと組んでこの集団(その中心がネオコン勢)と真っ向からぶつかって激しい政策闘争を展開しました。CIAとチャラビのグループとの関係も複雑です。詳しくは拙著をお読みいただきたいのですが、ブッシュ政権が出来た時には完全に敵対関係にありました。
ですからCIAは何とかチャラビたちの影響力を削ごうと水面下でこの集団に対する秘密戦争を行っていました。ブッシュ政権の当時の対イラク政策や、戦後イラクの統治政策を巡る混乱は、この政権内部での「抗争」の実態を知らないと全く理解できないわけです。【09年5月8日 菅原出 日経ビジネス】
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イラク戦争直後の一時期、米ブッシュ政権との個人的パイプから「首相候補ナンバー1」とされたチャラビ氏は06年1月の国民議会選挙では落選していたはずですが・・・。
なんとも怪しげな人物ですが、世界の大国アメリカも、戦争に引きずり込まれたあげく、宿敵イランの影響が強まるとあっては、憤懣やるかないところでしょう。

コメント
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