
(ミャンマー・ヤンゴンの「すし屋台」 “flickr”より By wagaung
http://www.flickr.com/photos/wagaung/3594914123/)
【“求人がなくなった日本からの生き残りのための帰郷”】
ベトナム中部ホイアン・フエの旅行から、今日、上海・福岡経由で帰国しました。
鹿児島の片田舎に暮らしており、東京に出る機会は最近まったくと言っていいぐらいありません。
せいぜい、海外へ旅行が成田発着になった場合に、数年に1度立ち寄るというか、通過するぐらいでしょうか。
そのため、久しぶりに見る東京の光景は、旅行の目的地の海外より物珍しかったりもします。
数年前、そんなことで立ち寄った東京で驚いたのは、回転すしとか小さな食べ物屋さんとか、あちこちでたどたどしい日本語で働いているアジア出身の若い人を目にしたことです。
そういう形で働くアジア人労働者が増えているという話は聞いていましたが、「へえ・・・・」って感じでした。
****ミャンマー、すしブーム 板前は日本で修業、味付け工夫*****
ミャンマー(ビルマ)ですしブームが起きている。最大都市ヤンゴンには在留邦人は500人ほどしかいないが、すし店のオープンが続き、確認できるだけで10店を超えた。スーパーにも回転ずしコーナーができ、持ち帰りずしも並ぶ。日本人めあてではなく、世界的なすし人気が到達したかたちだ。握るのは、日本のすしブームを支えたミャンマー人職人たち。
市中心部の繁華街チャイナタウンの一角にある「正田寿司(ずし)」は1月に開店。4人掛けのテーブルが6卓並ぶ店は、常ににぎわっている。
この店を知るヤンゴン在住の日本人はほとんどいない。経営者のマウンさん(46)は「うちは地元客を相手にする店。味付けをミャンマー人向けにしているから日本人には合わないんじゃないかな」と流暢(りゅうちょう)な日本語で説明した。
2002年に帰国するまで東京都内などのすし店で15年ほど働いた。「正田」は、当時の店内での日本名だ。帰国後、店を開く準備を兼ねて車での移動販売を始めた。「ミャンマー人は新しい物好きだからはやると思った。ただ、すしになじみがないから、直接やりとりしながら味を調整した」。地元米を使うしゃりは甘め。巻物が好まれ、マヨネーズも使う。数貫入った1皿が1千チャット(約90円)。めんが1杯200~300チャット程度だから、安くはない。
すしブームの先駆けとなったのは、4年前に開店した「サムライ寿司」。本格的な握りで、日本人をはじめ外国人の間でまず人気に火がついた。2年後に姉妹店をオープン。計100席以上の大規模店だが人気は衰えない。客の半数がミャンマー人だ。
経営者のテイ・アウン・ジョーさん(42)も1989年から2回、計12年間日本に滞在。ほとんどの期間、渋谷や新宿などのチェーンすし店で働いた。皿洗い、飯炊きから始まり、ネタの仕込み、握り、揚げ物や煮物など一通りの技術を学んだ。「親方によく怒鳴られた。1日12時間働きづめ。アパートでシャワーを浴びながら、涙を流したこともあった」
生魚を食べる習慣のないミャンマーで苦労したのがネタの仕入れだったが、バングラデシュ国境に近く、新鮮な魚が手に入りやすい港町シットウェまでバスに10時間揺られて、仕入れ先を開拓した。2店で9人いる板前のうち、5人が日本でのすし店勤め経験者だ。
ミャンマー人のすし職人が生まれたのは90年代の日本。当時をよく知る在日ミャンマー人によると、このころの日本は、安価な回転ずしが定着したところにグルメ志向も取り込んだすしチェーンが人気を呼んで店舗が急増、人手不足が起きた。
すし店員需要を底支えしたのがミャンマー人ら賃金の安い外国人労働者。91年に来日し、すし店で15年間働いたという東京在住のミャンマー人男性(38)は「1日12時間働いて月給30万円。我々の間では人気の職だった」と話す。日本人3人分の給料でミャンマー人4人を雇えた。他の飲食店より総じて修業が厳しく、「がまん強いミャンマー人」に向いていたとも言われる。この男性が働いた店は、すし職人10人中4人が日本人、6人がミャンマー人だった。
現在、すし店数は頭打ちとなり、職人需要も峠を越した。ヤンゴンでのすしブームは、日本で身につけた技術を生かす故郷での「独立」であり、同時に、求人がなくなった日本からの生き残りのための帰郷でもある。
ただ、在日ミャンマー人のなかには軍事政権に抵抗して民主化運動に身を投じたために故郷に戻れない者も少なくない。その場合は、シンガポールなどのすし店を目指すケースもあるという。【8月28日 朝日】
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日本の外国人労働者への需要が、母国での日本食文化の展開につながったという訳ですが、こういう外国人労働者の頑張りには本当に頭が下がります。
今の彼らの成功はそうした頑張りがあってのことですが、一方で苦労を厭い、安逸に流れる日本が経済・社会的に停滞するのもやむを得ないところでしょう。
【多発する過労死】
そうは言っても、日本における外国人労働者の境遇については、人身売買的に低賃金で彼らを酷使しているという話もよく耳にします。
****外国人実習制度は「人身売買」、弁護士が強く非難*****
外国人研修生問題弁護士連絡会事務局長の安孫子理良弁護士は22日、外国人技能実習・研修制度で来日し過労死したと思われる実習生が数十人に上ると訴え、同制度は「人身売買の一種」だと強く非難した。
日本政府は非熟練労働者の入国をほとんど認めないが、バブル崩壊後の1993年に開始した外国人研修制度の下、技能研修の名目で、低賃金で働く何万人もの外国人研修生を受け入れてきた。多くは中国、インドネシア、フィリピンなどからの研修生だ。
日本外国特派員協会(FCCJ)で記者会見した安孫子弁護士は、研修制度は発展途上国出身の研修生への技術移転を通じた国際貢献を目的に掲げているが、実態とは大きな差があると指摘し、「制度は安い労働力を提供するシステムにすぎない」と糾弾した。
同制度をめぐっては訓練生の虐待などが取りざたされているが、安孫子弁護士によると、2008年度だけで過去最高の35人のアジア人研修生が死亡した。同制度を監督する国際研修協力機構(JITCO)による前年の発表では、この35人のうち16人が脳・心臓疾患、5人が労務事故で死亡、1人が自殺となっている。
安孫子弁護士はまた、翌09年度に死亡した研修生は27人で、脳・心臓疾患が9人、自殺者は3人だったと説明した。
■外国人実習生の過労死に7月、初の労災認定
労働基準監督署はこの7月に初めて、同制度による外国人実習生を過労死として労災認定する方針を固めた。
対象となるのは、中国人実習生として茨城県の金属加工会社で勤務していた中国江蘇省出身の蒋暁東(Jiang Xiao Dong)さん(当時31)が08年6月に心不全で死亡した件。死亡する前月の残業時間は100時間を超えていた。また遺族代理人である安孫子弁護士によると、07年11月のタイムカードには1か月の勤務時間が350時間と記録されていた。
■闇ブローカー介在、返済のため過労に
同弁護士いわく、外国人実習生の多くは研修制度への登録手続きと日本への渡航準備を本国の闇ブローカーに依頼し、数年分の賃金にも匹敵する法外な手数料を支払っている。こうした手数料によって実習生たちは喉頸(のどくび)を押さえられた状態にあり、「これは一種の人身売買だと思う」と同弁護士は激しく非難した。
ともに会見した中国人研修生の李青智(Li Quing Zhi)さん(34)は、07年に日本料理を学ぶため来日したが、実際はある建具製造会社で最低賃金で雑用をさせられたと証言した。1か月間、150時間分の残業代未払いで働いた後、繰り返し抗議すると解雇され、行き場を失った。中国に妻と2人の子どもを残してきた李さんは「当然の支払いを受けずには中国へ帰国できない」と訴えた。
国連人権理事会のホルヘ・ブスタマンテ特別報告者(移民人権問題担当)は4月、日本の外国人技能実習制度について警告を発している。【7月23日 AFP】
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本国の「闇ブローカー」に加え、先日は日本の外国人労働者受け入れ団体役員の不正収入も問題になっていました。
「人身売買」的な現状は論外ですが、ただ、こうした存在がなくなり誰でも簡単に日本に来ることができるとなれば、今とは比較にならないほどの外国人が日本に来ることを希望するようにもなるでしょう。
単に低賃金労働者の安易な獲得といった視点ではない、社会・文化的にどうやれば彼らを受け入れることができるのかという熟慮と社会的コンセサスが必要な問題です。
【第三国定住 来日へ】
以前から話が進んでいたミャンマー難民の第三国定住が、ようやく来日の運びになるようです。
*****研修終え日本定住へ=ミャンマー難民5家族―タイ*****
ミャンマーから逃れた難民が暮らすタイ北部のメラ難民キャンプで27日、日本への移住が決まった少数民族カレン族の5家族が1カ月間の研修を終えた。健康診断などを経て、9月28日に来日する。
他国に逃れた難民に新たな定住先を提供する「第三国定住」と呼ばれる制度で、日本への移住は初めて。日本政府は3年間で90人を受け入れるとしており、初年度は27人となった。
研修では日本語のほか、日本で生活する上で必要となる知識を学んだ。最終日のこの日も約4時間にわたり、ひらがなの書き取りや日常会話、習字などの授業を受けた。
5家族は日本到着後、さらに6カ月間、日本語などの研修を受け、自立して生活する能力を身に付ける。【8月27日 時事】
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移住する家族にとっていい結果なってほしいのはもちろんですが、移民問題に対する日本側の熟慮検討の契機になってもらいたいものです。