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孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ネパール  今月27日の期限を前に迷走する憲法制定

2012-05-26 21:19:55 | 南アジア(インド)

(5月7日 制憲議会の前で実施された憲法制定を支持する集会 27日の期限が近付き、どういう形で落ち着くのか、混迷の度を深めています。 “flickr”より By kguragai http://www.flickr.com/photos/kguragai/7159237492/

新憲法制定に向けて高まる機運
ネパールでは、武装闘争を続けていた共産党毛沢東主義派(毛派)が停戦に合意し、王制を廃止し、毛派を含めた諸政党間で新体制づくりが行われていますが、毛派と他政党の対立などから新憲法制定ができない迷走状態が続いています。

しかし、“ネパールで1996年から約10年間、武装闘争を繰り広げた共産党毛沢東主義派(毛派)の旧ゲリラ兵士が今月、和平から6年を経て国軍の指揮下に入った。最大の政治的懸案が解決したことで、2008年の王制廃止後の国のあり方を決める新憲法制定へ、機運が高まっている。”【4月23日 朝日】ということで、長年の政治混乱の原因ともなっていた毛派兵士の国軍統合問題が一応決着し、いよいよ新憲法制定に向けたステップに入った・・・ということを、4月25日ブログ「ネパール  毛派兵士の国軍統合問題が解決、今後は新憲法制定論議へ」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20120425)で取り上げました。

憲法制定を議論する制憲議会はこれまで4回期限延長を行ってきましたが、その期限も今月27日で切れます。
このタイムリミットを前に、5月3日には与野党4会派による大連立政権の樹立が合意されました。

****ネパール、大連立政権樹立で合意****
ネパールで2008年の王制廃止後の新憲法をつくる制憲議会の任期満了が今月27日に迫る中、与野党4会派は3日夜、大連立政権の樹立で合意した。新政権は憲法案承認に必要な3分の2以上の議席を占め、4年を費やした新たな国の枠組みづくりにようやく完成の道筋が見えてきた。

合意に先立ち、議会内第1党・共産党毛沢東主義派(毛派)幹部のバタライ首相が率いる内閣は、バタライ氏を除くすべての閣僚が辞任した。
合意したのは毛派と、議会内第2党のネパール会議派、第3党の統一共産党の両野党など。

合意によると、2日以内にバタライ氏を首相とする大連立政権をいったん樹立。27日の期限に向け、憲法制定の見通しが立った段階でバタライ氏は辞任し、ネパール会議派に首相ポストを移譲する。同党が率いる新たな大連立政権が憲法を公布し、1年以内に総選挙を実施する。【5月4日 朝日】
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更に、15日には、毛派など主要4会派は、新憲法で大統領を直接選挙で選ぶことと全国を11連邦州に分けることで合意しました。
大統領は議会解散権を持たないとされ、大統領制を主張する毛派と議院内閣制を訴えるネパール会議派が歩み寄った形ですが、大統領と首相の権力分掌については決まっていないとも報じられていました。

****ネパール新憲法、大枠決定 主要4会派が合意****
ネパールで2008年の王制廃止後の新憲法をつくる制憲議会の主要4会派は15日、最大の懸案だった連邦制の枠組みについて11州の設置で合意した。
14日には統治制度に関しても一致しており、主な論点すべてで合意が図られた。27日の議会任期満了までの憲法制定に向け大きく前進した。

合意したのは、共産党毛沢東主義派(毛派)、ネパール会議派、統一共産党、統一民主マデシ戦線(UDMF)で憲法案の最終承認に必要な3分の2以上の議席を占める。憲法案の枠組みについては当初今月上旬に一致を図る予定で、日程がずれ込んだ形だが、4会派は15日、制憲議会任期内の憲法公布も再確認した。

連邦制に関しては州の数では合意したものの、細かな境界や州名の検討は新憲法制定後に先延ばしした。
また、統治制度は直接選挙の大統領と国会が選出する首相とで行政権を分担するシステムの導入で一致したが、権限の配分までは決まらなかった。

連邦制に関する合意に対してはUDMF内部や先住民族などの全国組織から反対の声が上がっており、民族組織は抗議活動やゼネストを計画。憲法公布に向け、国内が混乱するおそれがある。(ニューデリー=五十嵐誠)【5月17日 朝日】
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少数民族の反対で再び迷走
ここまではなんとか漕ぎつけたのですが、上記記事の最後にあるように、11州を設置するという連邦制について、少数民族などから強い反対があり、再び迷走を始めています。
「各民族が州を持つべきだ」とする少数民族は3日間のゼネストを22日まで行っています。

****ネパール:憲法制定で政治混乱 国民同士の対立深刻化****
立憲君主制から共和制へ移行したネパールで、08年の王制廃止以降、最大の懸案の憲法制定を巡り、政治混乱が広がっている。

制憲議会の主要4政党の議論に不満を訴える少数民族が22日までの3日間、全国でゼネストを繰り広げたため、首都カトマンズなどで市民生活がマヒ状態に陥った。23日にはこれに反対する都市生活者の大規模なデモが首都であり、国民同士の対立が深刻化している。

政府は22日、今月27日で切れる憲法制定を議論する制憲議会の期限を3カ月延長する法案を議会に提出した。期限延長は5度目となり、最高裁は認めない姿勢を示している。期限の27日までに憲法を制定することは絶望的で、政治的な危機が広がる恐れがある。

憲法制定の議論で最大の問題は、連邦制のあり方だ。主要4政党は今月初め、11州に分ける案に大筋合意していたが、国民の7割を占める100以上の少数民族が「各民族が州を持つべきだ」と主張し、ゼネストとデモを展開した。

ストの呼びかけを無視する店舗やタクシーなどが次々と襲撃されたため、カトマンズなどでは、スト期間中、全ての商店がシャッターを下ろし、一般車の通行もできない異常事態となった。デモに参加したタル民族のカムレシ・チョードリーさん(29)は「我々少数民族に土地と財産、安心できる生活権をくれというのが要求だ。これが確保されない限り憲法制定は認めない」と話した。
こうした少数民族の動きについて、英字紙「リプブリカ」のコスモス・ビショカルマ編集長(45)は「これまで社会の隅に追いやられていた少数民族たちが初めて政治的に覚醒したためだ」とみる。

一方、議会第1党のネパール共産党毛沢東主義派(毛派)が、憲法制定後の議会選で影響力を維持するため、少数民族をあおっているとの見方も強い。毛派は武力闘争を展開していた90年代から「少数民族の解放」を訴えていたからだ。

だが、毛派幹部のキムラル・デブコタ議員(46)は「すでに少数民族は我々が制御できない状態だ」と語る。第2党・ネパール会議派の幹部で議員のラム・マハト元外相(61)は「今後、無政府状態になる恐れがある。出口なしだ」と語った。

制憲議会は08年に発足し、10年までに憲法を制定する予定だった。議会内の内紛で首相の辞任・就任を繰り返し、憲法制定期限も4度延長してきた。【5月24日 毎日】
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27日の期限内に新たな合意を図るのは困難と判断した主要4会派は22日、議会の任期を3カ月延長することを決めました。
しかし制憲議会の5度目の延長に対し、最高裁は24日、政府の任期延長動議を暫定憲法違反とし、差し止める命令を出しました。とにかく大枠でもいいから、まとまるところで一旦憲法を作れ・・・という指示です。

これを受けて、主要3政党の共産党毛沢東主義派、ネパール会議派、統一共産党などから成る連立政権は、期限内の憲法公布を目指すことになりました。
しかし、複数民族を含む11の州を主張するネパール会議派、統一共産党と、1民族1州を主張する毛派や少数民族側の対立は厳しく、どうなるのか・・・よくわかりません。

ネパールの民族事情
“国民の7割を占める100以上の少数民族”とのことですが、各民族ごとに州を作ると膨大な数の州ができそうです。居住地が混在しているエリアはどうするのでしょうか?
そもそも、7割が少数民族ということでは、多数派は3割しかないということになり、“多数派”とも言えないようにも思えます。

ウィキペディアによれば、ネパールの最大かつ支配的民族として、ネパール語を母語とする「パルバテ・ヒンドゥー」があげられています。
“パルバテ・ヒンドゥー(Parbate Hindu, Parvate Hindu)はネパールの最大かつ支配的民族。ネパールの人口のほぼ半分を占める。山地のヒンドゥー教徒という意味。インド・イラン語派に属するネパール語を母語とする。シャハ王家もこの民族集団に属す。
インドとは違ったカースト体系を持つ。最大の民族であるにもかかわらず、ネパールではあまりこの言葉は用いられず、国勢調査ではカーストに分けて統計を取っている。
「バフン(丘陵ブラーマン)」(バラモンに相当)、「チェトリ」(クシャトリアに相当)、「カミ」(不可触の一部)など、上位カーストと下位カーストのみあり、ヴァイシャ、シュードラ(中位カースト)に相当するものが存在しないのが特徴である。”【ウィキペディア】

3割の多数派というのは、この「パルバテ・ヒンドゥー」のうち、「バフン(丘陵ブラーマン)」や、「チェトリ」など支配的なカーストの合計でしょうか?

ネパールの国土は、北部の山岳地帯からカトマンズなどの丘陵地帯を経て、インド国境・南部の平野部に至る地形構造をしています。
この平野部には「マデシ」と呼ばれる、北インドの影響を強く受け、共通語としてヒンドゥー語を話す人々が暮らしています。

“マデシとは、タライ、またはテライともいわれるインド国境地帯に東西に細長く広がる肥沃な平原地帯(マデス)に住む人々のことである。現在の行政区画にはない。この細長い地域は文化的に北インドの影響が強く、丘陵地帯に住むネパール人の主流派パルバテ・ヒンドゥーから差別を受けてきた。このため、近年、「マデシ人権フォーラム」などの団体が中心になって、マデシ自治区を設け、高度な自治を実現するように、バンダ(ゼネラル・ストライキ)・チャッカジャム(交通妨害)などの激しい抗議活動を行ってきた。2008年の制憲議会選挙ではマデシ系のいくつかの政党が目覚しい議席数を獲得している。”【ウィキペディア】

上記のように08年選挙で大きな議席を獲得し、副大統領は「マデシ人権フォーラム」から、大統領はマデシ出身のネパール会議派から選出されるというように、ネパール政界でははもはや無視できない、キャスティングボードを握る政治勢力となっています。

更に、この南部の平野部には、マデシより更に古い先住民族「タルー」も存在します。
多くの「タルー」が北部からの移住者に土地を奪われ、債務を負い実質的には奴隷同様に一生働かされる農奴(カマイヤ)となっている問題もあります。

ネパールの民族事情はよく知りませんが、今回の11州の連邦制への反対は、これまで社会的に抑圧されてきた「マデシ」や、「タルー」などの先住民族が中心となっているようです。
日本から見ると「ネパール人」としてひとくくりに見てしまいますが、複雑な民族事情で「ネパール人」というアイデンティティーがまだ確立していないようにも見えます。

憲法制定は、そうした「ネパール人」のアイデンティティーを形成していくものでもある訳ですが、その入り口でアイデンティティーの欠如から立ち往生している感があります。
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