孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

タイとミャンマー  憂慮する側とされる側の立場が逆転

2014-07-27 22:10:16 | 東南アジア

(ヤンゴンの路上販売 小奇麗なコンビニなどが増えて、こうした光景が少なくなっていくことには、“アジア的”風景を求める観光客としては寂しいものがありますが・・・・。 “flickr”より By Jochen Hertweck https://www.flickr.com/photos/59238173@N07/8347857624/in/photolist-dHEXeJ-u8Bz4-4G55Js-6cWFk5-wTu8C-5TEtoe-61WT7K-zdDvJ-845uKo-j9uRys-2MywNZ-29QwuT-e1w8RJ-e4gs1t-zsU8J-mMp6dK-zhVFR-ucDUi-ucDUc-4xboze-vE7Ma-2sqGu4-2J2M2P-zhYph-2J84uu-zPYE3-4CNwVu-7sz5Sf-5pDWCA-jsNt8w-5ztqH4-zsU8W-z6Dey-5pTtKc-e95VEM-4synTg-e1w899-6godcs-dMpGSB-8mj3NK-e4n3wm-2BcTmL-4uwU3T-4uwNDK-BUVAw-4uATvs-4uwUTn-4uwHYT-4uwHb4-4uAJ2h)

改革を進めるミャンマー 先行き不透明なタイ
テイン・セイン大統領のもとで民主化が進んだミャンマーについては、7月19日ブログ「インドネシア・アフガニスタン・ミャンマーそしてタイ 民主主義は貧しい国々には享受できない贅沢なのか?」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20140719)でも取り上げたように、スー・チー氏が大統領に挑戦できるような憲法改正がなされ、民主化を更に深化できるか・・・という課題があります。

また、7月5日ブログ「ミャンマー また噴出した宗教対立 改善しないロヒンギャの状況」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20140705)で取り上げた宗教対立やロヒンギャの問題、更には少数民族の問題も大きな課題として残っています。

ただ、軍政時代に比べると改革も進み、テイン・セイン大統領は経済面でも外資に門戸を開く方向での改革を実行しています。

****ミャンマー、小売り自由化 外資規制を年内にも撤廃****
ミャンマー政府が流通業の外資規制を撤廃する方針を固めた。

小売業の出店を自由化し、現在国内企業にしか認めていない輸入品の販売も外資に解禁する。近く閣議決定し、年内にも規制の一部は撤廃する見通し。

イオンなど日本の小売り大手は人口6000万のミャンマーを有望市場と位置づけており、現地進出の追い風となりそうだ。
ミャンマー政府高官が明らかにした。

同国では外国投資の許認可権を持つミャンマー投資委員会(MIC)などの通達の中で外資参入を規制する分野を定めている。

政府はこの通達を全面的に刷新し、小売業、卸売業、貿易業、倉庫業を規制対象から除外する。ミャンマーの経済開放が一段と進むことになる。(中略)

ミャンマーでは地場資本保護を目的に、広範な業態で外資の参入が制限されてきた。11年春に発足したテイン・セイン政権は外資導入をてこに成長を目指す方針に転換。

金融分野などでも外資規制の緩和を進めている。銀行業では今夏にも外銀に初の営業免許が交付される見通し。

15年に総選挙が迫るなか、改革の成果を目に見える形で国民にアピールする狙いもある。【7月27日 日経】
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ヤンゴンやマンダレーでも、セブンイレブンやローソンなどのコンビニが利用できる日も近いかも。

一方、東南アジア随一の民主主義を誇っていたタイでは、7月23日ブログ「タイ 硬軟両面で“国民和解”の新体制づくりを進める軍事政権」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20140723)で取り上げたように、軍事クーデターによる民主化調整作業が行われています。

2015年中に総選挙を実施して民政復帰するスケジュールが示されてはいますが、プラユット陸軍司令官は「我々は行程の実現を目指すが、必要な改革が達成されなければ(民政移管までの)期間は延長せざるを得ない」とも語っています。

ミャンマーに言論の自由を憂慮されるタイ
そんなミャンマーとタイに関して、ミャンマー側がタイの軍事クーデター・政治情勢に憂慮を示すといった、立場が逆転したような現象も出ているようです。

もちろん、ミャンマーの民主化にも危ぶまれる点は多々ありますが。

****タイとミャンマー 民主化への苦闘に目配りを 柴田直治****
「同情するよ。苦労はわかるからね」

ヤンゴン中心部、外務省の施設を改修したミャンマー戦略国際問題研究所の瀟洒(しょうしゃ)な応接間で、ニュンマウンシェイン所長は隣国タイの外務次官を気遣った。

所長は軍独裁下で40年間の外交官生活を送った。最後は、国際機関が集うジュネーブの政府代表部の大使。人権問題を中心に国際社会の批判にさらされた。

様々な会合でタイの大使から声をかけられた。「貴国の政府、もう少し柔軟にならないですか」

意に沿わぬ決定でも、本国の指令は絶対だ。無理な説明や適切とは思えない方針でも、本国を代弁しなければならない。

そのときのタイ大使がいま外務次官として、5月のクーデターで実権を握った軍事政権の説明役を担わされている。欧米諸国の高官からは面会を拒否されるなど厳しい状況が続く。

約300人の記者らが加わるミャンマー・ジャーナリストネットワークは5月末、タイの軍がクーデター後にメディア関係者らを拘束したことを「深く憂慮し、言論の自由の尊重を求める」との声明を発表した。

ミンチョウ事務局長は「憂慮する側とされる側の立場が逆転した」という。

タイ人、特にインテリ層は、これまで民主化後進国とみていた隣国からのこうした視線に複雑な感情を抱いているようだ。そして両国の差異を懸命に強調する。

「勾留施設はミャンマーほどひどくはない」「タイの軍は20回近くクーデターを試みたが、民政移管はいつも比較的早い。あちらは2回だが、軍政は長期化した」
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ミャンマー国軍トップのミンアウンフライン最高司令官が4日、バンコクを訪問した。

タイ国軍のタナサック最高司令官と固く抱き合い、「タイ国軍は現在、適切にことを進めている。軍の最も重要な任務は国家の安定と人々の安全を守ることだ」と、軍政への連帯を表明した。

さらに「我が国は1988年に似たような経験をした。タイは間違いなくうまくやるだろう」とエールを送った。

88年の経験とは、軍がクーデターを宣言し、民主化を求める学生らを武力で排除した事件を指す。死者は数千人ともされる。

2年後の総選挙で、アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟が圧勝したが、軍はそれを無視して20年に及ぶ独裁を続けた。クーデターと軍政を正当化するため、現代史に刻まれた流血の惨事を引き合いに出す軍人の神経に、ミャンマー(ビルマ)人民主活動家らはあぜんとした。

その一人、キンオーンマーさんとヤンゴンの喫茶店で会った。88年に国を離れ、タイを拠点に民主化活動を続けた。入国禁止が解除された2012年10月に帰国。タイでは92年と06年のクーデターを経験した。

「タイ人は自国の民主主義は他国と違うと主張するが、自信過剰だ。クーデターはクーデター。軍の本質は変わらない」

両軍政に共通点は多い。なかでもタイの軍政がテレビ局を相次いで閉鎖、ネットも含めて検閲を徹底させ、集会を禁止している点は「ビルマモデルを踏襲したのでは」(国境なき記者団)とみられている。
     *
「わが国はいまや東南アジアで報道の自由が最も保障された国のひとつだ」。ミャンマーのテインセイン大統領は、国民に向けた7日のラジオ演説でそう誇った。

確かに11年に検閲を廃止した後、新聞や雑誌が相次いで創刊された。だが最近、軍政時代に先祖返りしたかのような報道規制が息を吹き返している。

地元週刊誌の編集者らが国家秩序毀損(きそん)の疑いで逮捕されたのは、ラジオ演説の翌日だ。「スーチー氏と少数民族の代表が国の暫定指導者に選ばれた」とする政治団体の声明を掲載したことが問われた。

演説の3日後には、中部パコク地方裁判所が地元紙の経営者と記者ら5人に国家機密法違反で懲役10年の判決を言い渡した。「国軍が化学兵器工場を秘密裏に運営している」と1月に報じたことが理由である。

経済制裁がほぼ解除され、世界の関心が民主化から経済へと移るなかでの動きだ。

一方のタイ。06年のクーデターで、タクシン首相(当時)を追放した軍は憲法を変え、小選挙区制から中選挙区に戻したものの、後の選挙でタクシン派に連敗した。

その二の舞いを避けることが軍政の至上命令だ。普通に選挙をやれば数に勝るタクシン派の排除は不可能。とすればタイの軍政はミャンマーにならうしか道がないと、京都大の玉田芳史教授は占う。

「国会で民選議員の割合を減らすことが選択肢のひとつ。25%の軍人枠を持つミャンマーがモデルだ。あるいは選挙を無期限に先送りする。ミャンマーは久しくそうだった」

タイには日系企業4千社が進出し、ミャンマーは「最後のフロンティア」といわれる。

気になるのは、日本の経済界や在留邦人から「政治が安定する軍政は経済にプラス」「クーデターは日本でいえば政治改革」「大統領はやはり軍出身者がいい」といった声が聞こえてくることだ。
 
民主化への苦闘に無頓着すぎないか。【7月26日 朝日】
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ミャンマーに「我が国は1988年に似たような経験をした」と言われては、タイの面目がありません。
しかし、現実問題として、タクシン派排除のための憲法改正で民選議員の割合を減らし、国王が任命する勅選議員枠をつくるのではないか・・・と個人的にも懸念しています。

これまで政治的にも経済的にも東南アジアをリードしてきたと自負するタイ側の、ミャンマーからの“憂慮”への反発は想像に難くないところです。

東アジアで台頭する中国・韓国に対する“かつての盟主”日本の屈折した感情にも共通するものがあるように見えます。

いずれにしても、「タイ人は自国の民主主義は他国と違うと主張するが、自信過剰だ。クーデターはクーデター。軍の本質は変わらない」というのは改めて熟慮すべきところでしょう。

コメ輸出でもタイを追撃するミャンマー
タイとミャンマーの関係に関して経済的な話題も。

タイではコメの高値買い取り制度がインラック前首相を司法的に失脚させる原因となりましたが、この制度によって高値で買い取られたコメは安い国際価格での輸出もままならないということで、コメの輸出が停滞しています。

一方、ミャンマーは低コストを武器に、コメ生産を大幅に生産を拡大して輸出市場に復帰する流れとなっています。

****ミャンマーとカンボジア、コメ輸出でタイ追撃 ****
世界の“コメどころ”の東南アジアでコメの輸出競争が激しくなってきた。

かつてコメ輸出大国だったミャンマーとカンボジアが本格輸出を再開。三井物産と丸紅がそれぞれ現地企業と組み、タイ、ベトナムの二大輸出国が握る市場で存在感を高めている。

コメの需要はアフリカなどで拡大する見通しで、世界輸出の4割を占める東南アジアの勢力図が変わる可能性を秘める。

ミャンマー最大都市ヤンゴンにある港。昼夜問わずトラックが乗り付け、コメが詰まったナイロン製の袋を大型貨物船へと次々に積み込んでいく。行き先は日本。6月下旬に名古屋港に陸揚げされ、加工食品用として販売される。

三井物産は昨秋、コメ販売大手ミャンマー・アグリビジネス・パブリック・コーポレーション(MAPCO)と提携、同社を通じて地元農家から購入したコメを45年ぶりに日本に輸出した。

今年は前年比2割増の6千トンを輸出する。食糧本部の川本光哉氏は「アフリカや中東に販路を広げ、近い将来10万~20万トンを輸出したい」と意気込む。

コメの作付面積が日本の5倍程度のミャンマー。1960年代初めには世界最大の輸出国だったが、軍政下の価格統制や欧米の経済制裁で落ち込んだ。

政府はコメの輸出量を現状比3倍の400万トンに引き上げる計画を発表。労働力の安さを生かしたコスト競争力を武器に輸出増を狙う。(中略)

競争環境を変えたのが長年、輸出国トップだったタイの混迷だ。コメを高値で事実上買い取る制度を11年に導入し、割高なコメ在庫を抱え込んだ。

手厚い保護政策に甘え、かんがいが広がらないなど生産性も伸びず、輸出競争力が低下した。12年の輸出量は前年比3割減の695万トンとインド、ベトナムに抜かれて3位となり、13年もほぼ同量にとどまった。

ミャンマー、カンボジアの輸出量はタイ、ベトナムの10分の1程度にすぎない。道路や港などの輸送インフラが脆弱で、資金力が乏しいといった課題も残る。

だが、両国とも人口の7割が農村に住む農業大国だけに潜在的な成長力は大きい。

タイは安値販売で今年の輸出量が900万トン程度に増え、世界首位に返り咲く可能性があるが、コメ輸出業者協会のジャルーン・ラオタマタット会長は「ベトナムよりもミャンマーの方が脅威になる」と危機感を強める。

生産性向上を急ぎ、コスト競争力を高めなければ、輸出新興国にその地位を脅かされかねない。【7月25日 日経】
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政治・経済情勢は刻々と変化します。
民主化でも、経済でも、タイの「東南アジアの盟主」という地位が揺らぎつつあるようです。
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