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(「トビラは政府ではなくて木にでもぶらさがっているほうがいい」との差別発言を受けたフランスのクリスチャーヌ・トビラ法務大臣 “flickr”より By Parti socialiste https://www.flickr.com/photos/partisocialiste/8557076111/in/photolist-e3afB2-e3ahzB-e3aqpM-e3asBi-e3a9xz-e3fPiA-e3fNDs-hUYcwG-eaeG1X-hUJNLN-hUNseq-hUK4QA-hUNLqL-hUK7Gq-iazJjD-c4Btzb-ninU6B-c4BtFm-c4Bu6m-c4BeMb-c4B9Jy-fLuqjH-fLLYih-geYoMr-bBaYs5-hUJMNV-hUNZWn-dePgyt-dePgvc-deN7Qa-deN7wC-o79QmT-nPYAGk-nPXUVN-9CvjMU-fZcc8u-4mDV5o-4mDV83-cqf1MS-dRYPnS-iYwFhF-iYwF6D-c4BtsU-c4GeZh-c4Bzd3-c4Baub-c4BgAE-c4BtTA-c4Bsf1-c4BaWS)
【日本政府:国連人権委でヘイトスピーチ規制に慎重姿勢】
日本では、「朝鮮人を日本海にたたき込め!」といった類の“人種や民族などを理由に差別をあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)”自体を取り締まる法律は存在しません。
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ただ、刑法において、一般的にヘイトスピーチとされる「特定人物や特定団体に対する偏見に基づく差別的言動」は、侮辱罪や名誉毀損罪の対象であり、差別的言動の被害が具体的になれば、事例によっては脅迫罪や業務妨害罪の対象となる。
しかし、ヘイトスピーチであっても、特定しきれない漠然とした集団(民族・国籍・宗教・性的指向等)に対するものについては、侮辱罪や名誉毀損罪には該当しない。(中略)
法規制の必要性の是非については、ヘイトスピーチが「表現の自由」を逸脱した人権侵害に当たるとして法規制が必要であるとする意見や、「表現の自由」に基づく正当な言論活動が規制される可能性への懸念から法規制は不要であるとする意見がある。【ウィキペディア】
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国連人権委員会でこの問題が取り上げられています。
****国連人権委:ヘイトスピーチに懸念 日本政府に法整備促す****
ジュネーブで開催中の国連のB規約(市民的、政治的権利)人権委員会は16日までの2日間、日本の人権状況を審査した。
人種や民族などを理由に差別をあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)が広がる現状に懸念が示され、日本政府に法整備など具体的な対策を促す声が上がった。
イスラエルのシャニイ委員は、日本で昨年、在日コリアンらを排斥するデモや街宣が360回以上行われたとの報告があると指摘。ヘイトスピーチを禁止する「具体的な法律はないのか」とただした。
日本政府の代表は、不特定多数の集団に向けられたヘイトスピーチ自体の規制は「表現の自由との関係から慎重に検討する必要がある」と答弁。差別や偏見の解消に向けた啓発活動に努めているとの説明に終始した。
シャニイ委員は「人種的憎悪の唱道」を法律で禁止するとした国際人権規約の条項に触れ、「被害者が提訴できない場合もあり、国が抑制するのが好ましい」と述べ、刑法改正などによる取り締まりが必要と指摘した。
複数の委員が袴田事件に触れ、死刑制度や代用監獄の問題が指摘されたほか、特定秘密保護法がメディアを萎縮させるとの懸念も出た。
従軍慰安婦を「性奴隷とするのは不適切」とした日本政府の見解に傍聴席から拍手が起き、委員長が苦言を呈する一幕もあった。
対日審査は2008年以来6年ぶり。改善勧告などを盛り込んだ「最終見解」を今月下旬に公表する。(後略)【7月17日 毎日】
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「一部の国、民族を排除する言動があるのは極めて残念なことだ。日本人は和を重んじ、排他的な国民ではなかったはず。どんなときも礼儀正しく、寛容で謙虚でなければならないと考えるのが日本人だ」(安倍首相)と言いつつも、「『正当な言論までも不当に萎縮させる危険を冒してまで処罰立法措置をとること』を検討しなければならないほど、現在の日本が人種差別思想の流布や人種差別の扇動が行われている状況にあるとは考えていない」(外務省)というの現在の方針です。【ウィキペディアより】
ネット上では“人種差別思想の流布や人種差別の扇動”としか言えない罵詈雑言にあふれているようにも見えますが・・・。
もっとも、新大久保などコリアタウンでの「在特会」などによるヘイトスピーチに関しては、現在ではむしろこれを敵視する「レイシストをしばき隊」や「男組」など「反ヘイト団体」の威圧的、時に暴力的行為が問題化している・・・との報道もあります。
(“「反差別」という差別が暴走する”【6月24日号 Newsweek日本版】)
また、日本からすれば、中国・韓国において、反日デモで見られるような反日ヘイトスピーチが放置されていることは承服しがたいものがあります。だから日本でも許されるというものでもないでしょうが。
【もてはやされるポリティカリー・インコレクトな発言をする人々】
欧米各国も差別的表現の問題はあります。
アメリカは人種のるつぼですから当然に人種差別には敏感ですが、人の心の中に巣食う差別の根は深く、しばしば差別的言動が問題となっています。
ドイツでは、ナチスにつながる表現、ホロコーストの否定などが問題となります。
フランスでは、かつてのアフリカ植民地支配、奴隷制度に関する言動が問題となります。
2001年には、フランスが「過去の奴隷制度は人道に反する罪であった」と認める法が成文化され、公立学校では奴隷制に関する授業や討論会を義務づけられるようになっています。
この施策を推進したのがフランス領ギアナ出身の黒人女性であるクリスチャーヌ・トビラ法務大臣ですが、彼女に対する差別的発言が大きな問題となっています。
この問題は、「黒人女性大臣への差別発言が示すフランスの人権感覚」(2013年12月13日 プラド・夏樹氏 WEBRONZA http://webronza.asahi.com/global/2013121300004.html)に詳しく紹介されています。
昨年10月25日、アンジェ市を訪れたクリスチャーヌ・トビラ法務大臣が、11歳の女の子に「このバナナは誰のでしょう?雌猿のです!」と野次られた事件がありました。
この発言は11歳子供の発言でもありますが、これに続いて極右翼政党「国民戦線」のアンヌ・ソフィー・ルクレール氏が「トビラは政府ではなくて木にでもぶらさがっているほうがいい」とツイートし、極右翼雑誌『Minute』は「猿のように賢いトビラはバナナをみつける」というコメント入り表紙を発表するという差別表現が相次ぎました。
アンヌ・ソフィー・ルクレール氏は「国民戦線」所属の地方議会選挙の女性候補者でした。
プラド・夏樹氏の記事によれば、当時のフランス国内の反応は鈍かったようです。
しかし、さすがに次第に大きく取り上げられるようになり、ルクレール氏は提訴され、「国民戦線」は彼女を除名しました。
提訴の具体的内容は知りませんが、この裁判の判決は「禁固9か月」という極めて厳しいものでした。
(“French ex-National Front member jailed for chimpanzee image” 7月16日 BBC http://www.bbc.com/news/world-europe-28326179)
今朝のフランスTVニュースでも取り上げていましたが、これまでの差別発言にかんする訴訟の多くは罰金刑であり、司法がこの種の問題に新たな前例をつくろうとしていることの表れと論じていました。
ルクレール氏は上告し、「国民戦線」も判決を批判しています。
フランスにおける差別的表現は、サルコジ政権時代に目立つようになりましたが、プラド・夏樹氏は前出記事で以下のように指摘しています。
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同時期に、元左派でありながらサルコジ元大統領の思想に賛同して右傾化した人々、ネオ・コンセルヴァタールと呼ばれるインテリ層やジャーナリストが、それまでタブーとされていたヘイトスピーチを露骨にメディア上で行うようになった。
彼らは、「ポリティカリー・コレクトなことばかり言っていても仕方ない、みんなが心の底で思っていることを敢えて言おう」というスタンスで、イスラム教徒やユダヤ人、ロマ人や黒人に対する、以前ならば禁句であったショッキングな差別的発言を行ない、注目を浴びるようになった。
いまや、ポリティカリー・インコレクトな発言をする人々が、テレビのプライムタイムでスターとなっている。
【「黒人女性大臣への差別発言が示すフランスの人権感覚」(2013年12月13日 プラド・夏樹氏 WEBRONZA http://webronza.asahi.com/global/2013121300004.html)】
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ポリティカリー・コレクトとは「政治的に公正」といった趣旨ですが、いわゆる“建前”のような意味合いでしょう。
日本でも、本音の議論とか毒舌と称するものが大流行りです。
特に、リベラルな理念などは嘲笑の対象としかなっていません。
しかし、本来どうあるべきなのかという議論をなおざりにして、“みんなが心の底で思っていること”をぶつけあうところからは、増幅された憎しみしか生まれないように思います。
その増幅された憎しみが更に理念の実現を難しくする・・・という悪循環です。
“日本人は和を重んじ、排他的な国民ではなかったはず”ですが・・・・。