
(「マラッカ・サルタン・パレス」(マラッカ文化博物館)展示絵画 親友ハン・トゥアの腕の中で、子供の行く末を託して息を引き取るハン・ジュバ)
マレーシア・マラッカ観光2日目。
汗ぐっしょりになりながら、あちこち歩いています。
今日訪れた場所のひとつが「マラッカ・サルタン・パレス」(マラッカ文化博物館)
なお、世界遺産の街マラッカは町中に博物館があふれています。
特に、「マラッカ・サルタン・パレス」が近い「オランダ広場」周辺は博物館だらけで、ガイドブックにも載っていない小さなものを含めて、その数は軽く二ケタ、ひょっとしたら20にも近いのでは・・・という感じです。
各政府機関が、こぞって管轄する事物に関する“博物館”を作っているようでもあります。
「マラッカ・サルタン・パレス」(マラッカ文化博物館)は、それら有象無象の博物館のなかでも比較的大きい、かつてのマラッカ王国のサルタンの王宮を「マレー年代記」に基づいて再現した建物です。
展示物のメインは、マラッカ王国に関する物語を絵や人形で再現したコーナーです。
その中でも印象的なのが「ハン・トゥア物語」です。
15世紀のマラッカ王国を舞台にした、勇者ハン・トゥアとハン・ジュバなど4人の幼馴染の物語で、ユネスコの世界記憶遺産に登録されています。
「マラッカ ペナン 世界遺産の街を歩く」(ダイヤモンド社)のマイサラ油井氏のコラム(37ページ)と「マレーシア見聞録」(http://www.geocities.jp/hashimnakamura4/experience/129th.html)を参考に、簡単にそのストーリーを紹介します。
ハン・トゥアは1444年にマラッカのスンガイ・ドゥヨング村に、かつて王宮で優秀な戦士として仕えていた父ハン・マハムッドと、やはり王宮で王妃のお供をする家系の母親ダン・メルドゥ・ワティの子として生まれた実在の人物・・・・と一般には考えられていますが、歴史書に記録がないと実在を疑問視する見方もあるようです。
ハン・トゥアとハン・ジュバなどの幼馴染はマレーシアの伝統武術シラットの鍛錬に励み、当時王国を悩ましていた海賊退治で功をあげました。
国王サルタンに忠義をつくして活躍するハン・トゥアを、サルタンも軍司令官として重用しました。
しかし、ハン・トゥアの破格の出世は、名門貴族らの反感を買うことになり、「ハン・トゥアは王の側室のひとりと関係している」との讒言がなされます。
ろくに調べもせず讒言を信じたサルタンはハン・トゥアに死を命じ、ハン・トゥアも王命を受け入れます。
しかし、彼の死を惜しむ宰相はひそかにハン・トゥアを人知れぬ場所に隠します。
一方、ハン・トゥアに代わって任用されたハン・ジュバでしたが、親友ハン・トゥアを讒言で殺したサルタンやその取り巻きに義憤を感じており、反乱を起こします。
追い詰められたサルタンは「ハン・トゥアを殺さずにおけば・・・」と悔やみますが、そのサルタンの耳元で宰相が囁きます。「ハン・トゥアは生きています。ハン・ジュバに勝てるのはハン・トゥアだけです」
かくしてサルタンは、ハン・トゥアにハン・ジュバ討伐を命じます。
ハン・トゥアはかつて自分に死罪を命じた王の、親友を討てとの命を受け入れます。
親友同士のハン・トゥアとハン・ジュバ、死闘の末にハン・トゥアが勝利します。
ハン・ジュバは親友ハン・トゥアの腕の中で、子供の行く末を託して息を引き取ります。
正義を信じてことを起こしたハン・ジュバと、どこまでもサルタンへの忠誠を尽くしたハン・トゥアの悲劇です。
個人的には、正義の人ハン・ジュバに哀れを感じますが、マレーシア国民の間でも、判官びいきでハン・ジュバへの同情が大きいとか。
忠節の人ハン・トゥアが最後に勝ってしまうのがどうも・・・・。
日本人的には、沈みゆく古い体制の運命と新しい時代の必然を知りつつも、あえて古いものの崩壊にその命を共にして死んでいく・・・・というのが忠義に生きる人の役どころのようにも思えます。