
(マラッカ ハーモニー・ストリート 手前が中国寺院“青雲亭” 奥に見えるミナレットはイスラム寺院“カンポン・クリン・モスク”、更にその先にはヒンズー寺院が並んでいます。)
マレーシア・マラッカ観光3日目
マラッカの旧市街・世界遺産エリアは狭い区域ですから、さすがに3日目になると主だったスポットは観光を終え、「さて今日はどこに行こうか・・・」という感じにもなってきます。
マラッカの旧市街(そういう言い方があるのかは知りませんが)には特色のある3本の通りが並んでいます。
中心となるのが観光のメインストリートである通称ジョンカーストリート。
観光客相手の土産物屋・食べ物屋も多く並ぶ通りで、大勢の観光客や車が行きかいます。
その南を走るのが通称ヒーレン・ストリート。
もともとはオランダ人富裕層のお屋敷があった通りですが、やがてプラナカン(ババ・ニョニャ)のお金持ちが軒を並べることになりました。
プラナカンとは、商人や船員として早くからこの地に住み着いた中国系移民男性が現地女性と結婚して生まれた家系です。混血は初期のみで、男性がババ、女性がニョニャと呼ばれます。
イギリス統治時代は支配層でもあった華人で、19世紀以降の中華系肉体労働者移民とは区別されます。
中国系文化に現地マレー系文化が融合した独特の文化を保っており、その料理(ニョニャ料理)などは現地住民・観光客にも人気があります。
ジョンカーストリートの北に位置するのが、通称ハーモニー・ストリート。
この通りにはプラナカンの心の拠り所ともなった、マレーシア最古の中国寺院“青雲亭”がありますが、そのすぐそばには現地マレー人が参拝するミナレットとスマトラ様式の3層の屋根を持つイスラム寺院“カンポン・クリン・モスク”、更にその先にはインド系移民が集まるヒンズー寺院・・・・と、異なる宗教・民族による建物が並んでいます。
ハーモニー(調和)・ストリートとは、そういう雰囲気を現した名称です。
世の中かくありたい・・・という通りです。
マレーシアは65%ほどのマレー系を中心に、24%ほどの中華系、8%ほどのインド系、更にはボルネオ先住民などが織りなす複合民族社会ですが、従来経済的・社会的に遅れていたマレー系を優先的に扱うブミプトラ政策がとられてきたこと、そのブミプトラ政策の妥当性が揺らぎつつあることはこれまでも何回かとりあげてきました。
マラッカ旧市街について言えば、完全チャイナタウンです。
商店・レストランも中華系なら、多くの観光客もまた中華系です。イスラムのスカーフを被った女性が珍しいぐらいです。
中華系観光客が中国なのか、台湾なのか、香港なのかは知りませんが、とにかく街を埋め尽くしています。
そうしたチャイナ・タウンにあって、ド派手に装飾された人力自転車トラーショーを漕ぐのはマレー系・・・ということで、“ハーモニー(調和)”とは言いつつも、複雑なものがあろうことは容易に想像もできます。
ポルトガル、オランダ、イギリスの統治を受けてきたマラッカだけに特殊な住民もいます。
ポルトガル系住民が暮らす一角が海沿いにあり、シーフード料理で有名です。
今日は還暦の誕生日ということで、たまにはエビ料理でも・・・と思って、昼過ぎにそのポルトガル村までタクシーで出かけたのですが、まるでシーズンオフの海の家のように誰もいません。
聞けば、夕方からの営業とのことです。
一軒だけ料理をつくれるという店があり、なんとかエビにありつくこができました。
昼にやってきたのには訳があります。
先述のようにマラッカ旧市街は中華系の店があふれ、中華系の観光客が通りを埋め尽くしているのですが、夜になると、一転して店の殆どは閉まり、通りの人ごみも消えてしまいます。
昼間あれだけいた中華系観光客はどこへ行ってしまうのでしょうか?
首都クアラルンプールから車で2時間弱という近距離にあるので、多くは日帰りでやってきているということでしょうか?
非常に不思議な昼夜のコントラストでもあり、昼間は中華系に隠れて目立たなかったヨーロピアン観光客が夜のマラッカ中心街を所在無げに歩いています。
多くの観光地では、ヨーロピアン観光客が夜遅くまで飲み食いする店が多数あって賑やかですが、マラッカ旧市街にはその類はほとんどなく、暗い通りの店は閉まっています。
地域内の営業については制約があるのかも。
もっとも、いわゆる安宿はジョンカーストリートなどとは少し離れたエリアに多いとのことですから、そうした地域に行けばまた別の光景があるのでしょう。
いずれにしてもマラッカ旧市街は昼の街であり、夜になると食事をする場所を探すのにも苦労します。
そんな訳で、中心街よりはるかに観光客が少ないポルトガル村に夜行っても、どこも開いていないのでは・・・・と考えて昼間に出かけたのですが、大外れでした。