(「イスラム国のバングラデシュ支部」と名乗るグループが公開した、ダッカぱきすたん飲食店襲撃事件の実行犯とみられる人物らのコンボ写真。背景に見えるのはイスラム過激派組織「イスラム国」の旗(撮影日不明)。(c)AFP/BANGLADESH BRANCH OF ISLAMIC STATE 【7月6日 AFP】)
【実行犯は高学歴で比較的裕福な家庭の出身】
日々新たな出来事・事件が起きますので、大きな注目を集めた事件も短時間で忘れ去られていきます。
バングラデシュの首都ダッカで武装グループが飲食店を襲撃して日本人の男女7人を含む20人を殺害した事件は今月1日夜のことですが、関係者以外にあっては記憶も薄れていきます。
経済成長に向かって動き出したイスラム教国・バングラデシュで、イスラム過激派による世俗主義的なブロガーや出版関係者、宗教的少数派のヒンズー教徒やキリスト教徒などへの暴力事件が頻発していることは、これまでも取り上げてきており、今回テロ事件前の6月14日ブログ「バングラデシュ 頻発するイスラム過激派によるテロに、警察側は大規模一斉拘束 新たな危険も」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20160614でも取り上げたばかりで、はからずもそうした懸念が現実のものとなっています。
バングラデシュにおけるイスラム過激思想の拡大の背景には“経済は成長を続けているが、若者の失業率は高止まりし、成長の恩恵を実感できない”という現状への若者らの反発・不満があるとされていますが、ISやアルカイダとの関連も指摘されるなかで、バングラデシュ政府はそうした国際組織の影響を否定しています。
****<バングラテロ>過激思想、社会に拡散 政権の抑圧に反発****
バングラデシュの人質テロ事件は、穏健なイスラム国家とみられてきたバングラ社会に過激思想が広まっていることを印象づけた。
与党政権がイスラム主義勢力への抑圧を強め、反発が広がっているのだ。経済は成長を続けているが、若者の失業率は高止まりし、成長の恩恵を実感できない。政権への反対勢力が、若い世代に広がる社会不満を利用してテロに及んだ可能性もありそうだ。
バングラでは世俗派政党「アワミ連盟」が2009年に政権を奪還、ハシナ政権がイスラム主義政党「イスラム協会」への政治的圧力を強めてきた。パキスタンからの独立時(1971年)の戦争犯罪を裁く特別法廷では、協会幹部に次々と死刑判決を出した。
聖心女子大の大橋正明教授(国際開発学)は「過激なイスラム教徒が強く反発した。不満の受け皿となった勢力が、現在の政権の信用失墜を狙ってテロを実行した可能性が高い」と指摘。「テロで海外からの投資や非政府組織(NGO)などの援助活動も萎縮する。それが実行犯の狙いだろう」と話す。
今回の事件では、過激派組織「イスラム国」(IS)のバングラ支部が「犯行声明」を出した。ただ、バングラ当局は、実行犯は政権が抑圧を強めるイスラム協会と関係が深いとされるイスラム過激派組織「ジャマトル・ムジャヒディン・バングラデシュ」(JMB)のメンバーだったと述べている。
バングラのイスラム社会に詳しい広島修道大の高田峰夫教授(地域研究)は「バングラ国内でISとJMBを直接的に結びつける証拠は今のところ見つかっていない」と指摘。その上で「経済発展で比較的豊かになったが、仕事が見つからず不満を募らせる者も増えている。インターネットでイスラム過激思想に触れ、自発的に起こしたテロ行為をISが利用している可能性がある」と指摘する。
バングラでは東南アジアに出た若い出稼ぎ労働者が、テロ資金を蓄えて自国に戻ろうとする動きも出ている。
シンガポール当局は今年4月、バングラに帰国してテロを敢行しようとしたとして、26〜34歳のバングラ人の男8人を国内治安維持法違反の疑いで逮捕した。31歳の男をリーダーに1月に結成されたグループは「バングラデシュのイスラム国」を自称。外国人戦士としてISに加わりたかったが、容易でなかったため、自国に戻ってテロを実行しようとしたと供述した。
男たちは「ジハード(聖戦)」を誓った文書を所持しており、バングラ政府や軍の施設のほか政府要人などをテロの対象にしていた。また、爆弾の製造方法などを記した書類やISの宣伝物のほか、武器を買うための資金も押収された。グループとISとのつながりは確認されていないが、リーダーの男は「指示があればどこでもテロを起こす」と供述したという。【7月3日 毎日】
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今回テロを実行した若者らは、高学歴で比較的裕福な家庭の出身だったことも特徴とされています。
実行犯の一人は与党幹部の息子でもありました。
****バングラデシュ人質事件 武装グループは高学歴の若者か****
バングラデシュの首都ダッカで武装グループが飲食店を襲撃して日本人7人が死亡したテロ事件で、バングラデシュ政府の閣僚は、武装グループのメンバーは、高学歴で裕福な家庭の出身の若者だったと明らかにし、捜査当局はなぜ、こうした若者が今回の犯行に及んだのかなど、事件の捜査を進めています。(中略)
これについて、バングラデシュのカーン内相は3日、武装グループについて、ISとのつながりを否定したうえで、「全員がバングラデシュ人で、裕福な家庭の出身だった。大学に通うなど高度な教育を受けた若者だった」と明らかにしました。
捜査当局は最貧国のバングラデシュでは比較的恵まれた環境にある、こうした若者がなぜ今回の犯行に及んだのか、拘束した容疑者を取り調べるとともに、国際的なイスラム過激派組織とのつながりがなかったかなど、事件の捜査を慎重に進めています。(後略)【7月3日 NHK】
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この傾向は、これまでのバングラデシュのテロ事件でも見られたことであり、4月23日ブログ「バングラデシュ 止まないイスラム過激主義者によるテロ事件」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20160423で紹介した田中秀喜氏の「バングラデシュ・ブロガー連続殺人事件 経済成長がイスラム過激派を育てる」【2015年12月21日 ジセダイ総研】でも、
“バングラデシュは経済成長を遂げつつあり、世界最貧国からも既に脱している。つまり、バングラデシュにおいてはむしろ、経済成長の結果として過激派とのつながりが発生したのではないかと考えられるのだ”
“一般に、教育レベルが上がると、宗教の影響力は低くなりやすい。しかし、一定レベル以上の教育を身につけたマス層のなかに、少数だがイスラム教に自らのアイデンティティを見出す者がいる。教育を身につける人々の数が増えれば、過激派思想に染まる若者の数も増える……という現象が起きているのだ”
と指摘されています。
【「ISIはバングラデシュの現政権を転覆させたがっている」】
ISやアルカイダなどとの関連については明確ではありませんが、パキスタンの軍統合情報局(ISI)との関連を指摘する向きもあります。
山田敏弘氏は、ハシナ首相の顧問を務めるリズビ氏が「カフェへの攻撃の背後にパキスタンのISIが存在すると非難した」とされること(のちにパキスタンに対し、本人が否定)や、別の首相顧問であるイマム氏の「ジャマートゥル(JMB)とパキスタンのISIのつながりはよく知られている。ISIはバングラデシュの現政権を転覆させたがっている」との発言、イヌ情報大臣の「(ISIは)バングラデシュ人にトレーニングを行ってテロリストに仕立て、今回ダッカを攻撃したのだ」との発言を紹介したうえで、以下のように指摘しています。
****ダッカ人質テロの背後にちらつくパキスタン情報機関の影*****
<ダッカのテロ事件に関して、複数のバングラデシュ政府上層部がパキスタン情報機関の関与の疑いに言及している。確実な証拠は示されていないが、パキスタンにはバングラデシュ現ハシナ政権に揺さぶりをかけたい十分な理由はある>
・・・・こうした発言に対して、パキスタン外務省は、「まったく根拠がなく、事実無根である。パキスタンはこうした疑惑を強く否定する」と主張している。
バングラデシュにパキスタンが介入する理由
今のところ、今回のテロにパキスタンが関与している確たる証拠は示されていない。
だが少なくとも、パキスタンのISIがこれまで、長年のライバルである隣国インドを混乱させるためにイスラム過激派組織を囲い、テロ攻撃を実施させてきたのは周知の事実だ。
インドとパキスタンが今も領有権を争うカシミール地方に対インドのテロ組織を動員させている他、2008年11月に少なくとも166人の死者(日本人1人を含む)を出したムンバイ同時多発テロ事件も、インド撹乱を狙ったISIの関与が指摘されている。
その動きから考えると、パキスタンがバングラデシュでテロ工作に絡んでいたとしても何ら不思議ではない。
ではなぜパキスタンはバングラデシュを混乱させたいのか。その背景には、もともと英領だったバングラデシュとパキスタン、そしてインドの成り立ちが関係している。
インドとパキスタンは1947年、英領インドから独立した。独立に際しては、基本的にイスラム教徒の多い地域がパキスタンになり、ヒンズー教徒の多い地域がインドとなったが、バングラデシュにはイスラム教徒が多く暮らしていたため、インドを挟んだ飛び地としてパキスタン領の東パキスタンになった。
後に東パキスタンは、インドの後押しでパキスタンと戦い、1971年にバングラデシュとして独立を勝ち取った。インドとパキスタンのライバル関係はよく知られているが、バングラデシュも両国の争いに巻き込まれてきた。
パキスタンとバングラデシュに挟まれるインドは、バングラデシュがパキスタン寄りになることを望んでいない。東西の両サイドから敵に挟まれることになるからだ。
一方で、最大のライバルであるインドが地域で影響力を高めるのを阻止したいパキスタンは、インドの東に隣接するバングラデシュを不安定化してインドから遠ざけ、結局はパキスタン寄りにしたいとも考えている。
そういう動機から、パキスタンはバングラデシュの動向を注視している。
さらにバングラデシュとパキスタンをめぐっては、こんな問題もある。
現在バングラデシュは、インド寄りの与党アワミ同盟が国を治めている。バングラデシュでは1971年の独立に際して起きた戦争犯罪を裁く特別法廷が行なわれているが、バングラデシュ警察は2015年11月、野党バングラデシュ民族主義党(BNP)の幹部で独立時にパキスタン側に加わっていたサラウッディン・チョードリーと、イスラム政党であるイスラム協会(JI)の幹部で独立時にパキスタン側として多くのヒンズー教徒を殺害したとされるアリ・ムジャヒドを、大量虐殺の罪で「一緒に絞殺刑」に処したと発表した。
また今年5月にも、独立戦争時にパキスタン側の残虐行為に加担したとして死刑判決を受けていたJIの党首モティウル・ラーマン・ニザミの絞首刑が執行され、相次ぐ大物の処刑に国内外で緊張が走った。
この特別法廷はハシナ首相が主導して行なっているもので、反パキスタンという政治的な動機が背後にあると批判されている。またパキスタン政府は処刑に対して「深く困惑している」と嫌悪感を隠していない。
こうした情勢の中で、今回のダッカテロは起きた。バングラデシュのイヌ情報大臣が今回のテロの後に、「パキスタンのISIは(バングラデシュがパキスタンから独立した)1971年の出来事をいまだに引きずっており、報復したがっている」と語っているが、決して荒唐無稽な話ではない。しかも1971年を引きずっているのはバングラデシュも同じだ。
事件前に起きていた「予兆」
イヌ大臣は、今回のテロの3カ月前に、外国人記者団を前にこんな興味深い発言をしていた。
「私たちの調べでは、少なくとも8000人のバングラデシュ人の若者がアフガニスタンやパキスタンのテロ訓練キャンプで(国際テロ組織の)アルカイダから訓練を受けて帰国している。私たちは強く脅威を感じている」。
またダッカ人質テロ直後には、「最近、武装勢力と関わっていたパキスタン人外交官数名を国外追放にした。彼らは正体を隠してパキスタン大使館に勤務していた」とも発言し、彼らがISIの工作員だったことを示唆した。(中略)
ダッカ人質テロを、短絡的に「イスラム国」の犯行としてしまうと、事態の本質を見失う可能性がある。今後も、南西アジアの情勢を把握するうえで、この3カ国の動きには注意を払う必要がある。【7月13日 山田敏弘氏 Newsweek】
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通常、外国情報機関による謀略・陰謀という話には「本当かね・・・」ということにもなるのですが、アメリカのCIAのような存在でもあるパキスタンの軍統合情報局(ISI)に関しては「さもありなん」という印象になります。
ISIの“活躍”で一番有名なことは、アフガニスタンのタリバンを生み育てたことですが、現在でもタリバンなどイスラム原理主義勢力を支えていると見られています。
また、インド・カシミールでの活動もよく知られています。
*****軍統合情報局******
・・・・その後、1979年にソ連軍のアフガニスタン侵攻が起きると、ISIはCIAと組み、ハク大統領による反共主義政策もあってソ連や共産主義勢力と闘うムジャーヒディーンに、チャールズ・ウィルソンらによる武器援助などにて大々的に支援した。
このころからイスラム原理主義の影響が強くなったとされ、アフガニスタン紛争では最初はグルブッディーン・ヘクマティヤール率いるイスラム党(ヘクマティヤール派)の、後にはターリバーンの後ろ盾になったとされる。またパキスタンの核開発にも深く関与した。
現在はパキスタンで軍事のみならず政治面でも強い影響力を持っている。
対アフガニスタンだけでなく、対インドの作戦行動・諜報活動も多い。インドで活動するインディアン・ムジャヒディーンそしてカシュミールを拠点とするラシュカレ・タイバなどのテロ組織の背景にISIの存在があるとの指摘は根強い。
その他の(イスラム系でない)インドの反政府武装組織を支援しているとの噂も絶えない。いっぽう国内のワジリスタン紛争には関与が消極的とも伝えられる。【ウィキペディア】
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アフガニスタンでタリバンやハッカーニ・ネットワークを支援するなどのパキスタン・ISIの活動については、5月23日ブログ「アフガニスタン 米軍のタリバン最高指導者殺害で予想されるタリバン側の対応硬化 パキスタンは?」http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20160523でも取り上げました。
【インド・カシミールの混乱も・・・・】
現在、インドが実効支配するカシミール地方でイスラム教徒住民との間で衝突が起きています。
****印カシミールの衝突3日目、デモ隊が空軍基地に突入試みる****
インド北部ジャム・カシミール州で11日、地元で人望のあった反政府勢力の若者が政府軍に殺害されたことに抗議するデモ隊が、空軍基地に突入しようとして制止する政府軍と衝突した。
デモ隊と政府軍との衝突は3日連続で、警察発表によると計30人が死亡、負傷者は警官を含め約300人に上っており、2010年以降の同州で最悪の市民暴動となった。
カシミール渓谷一帯に出された外出禁止令に伴って出動した政府軍が実弾や催涙弾を発砲する中、死者のほとんどは銃弾で負傷したデモの参加者だという。
警察によるとジャム・カシミール州の夏季州都スリナガルでは11日も、数千人規模の人々が外出禁止令を無視して路上に繰り出し抗議デモを展開。空軍関係者によると、数百人がスリナガルの南方約25キロにあるインド空軍基地になだれこんだが、兵士らによって基地外に押し戻された。制圧に銃器が用いられたかどうかは不明。この衝突による死傷者の報告は今のところないという。
一連の抗議デモのきっかけは、カシミール最大の反政府組織「ヒズブル・ムジャヒディン(HM)」の指揮官ブルハーン・ワニ氏(22)が8日に政府軍との銃撃戦で殺害されたことだ。
HMはインドからの独立とパキスタンへの編入を求め、数十年にわたってインド政府軍との闘争を続けるカシミール武装組織の一つ。
カシミール地方では1947年にインドとパキスタンが分離独立して以来、両国が領有権を主張し対立が続いている。【7月12日 AFP】
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記事のどこにもパキスタンやISIの関与は書かれていませんが、これまでのカシミールにおけるISIの“実績”を考えると、ISIが騒動を引き起こしたとは言いませんが、騒動の継続・拡大にISIが関与しているのは間違いないのでは・・・と、個人的には思っています。ISIがこんな好機を黙って見過ごすはずがありません。
ISIやCIAのような機関の暗躍は多くの国で見られることであり、決してパキスタンだけの話ではありません。
しかしながら、アフガニスタン、インド、更にはバングラデシュで・・・となると、一線を越えているようにも思えます。
南アジアの混乱の原因のひとつがパキスタン・ISIの活動であると思えます。
ISIは国軍の中枢にあって、政府のコントロールが効かない存在であるように見えます。しかし、それでは困ります。パキスタン政府がISIをコントロールできない状況が続く限り、南アジアの混乱はおさまりません。