孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

パキスタン  「マララ・デー」と「デコトラ」 少数民族カラシュ観光「動物園みたいに…」

2019-07-13 23:02:02 | 南アジア(インド)

(【7月13日 NHK】 女子教育推進を訴える絵が描かれた「デコトラ」)

【「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、それで世界を変えられます」】

昨日、712日は国連が定めた「マララ・デー」でした。

 

パキスタンで女子教育の重要性を訴え、イスラム過激派の銃撃されたものの死の淵から蘇り、それまで以上に世界に強いアピールを行い続け、2014年に史上最年少のノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんが、2013712日の16歳の誕生日にNYの国連本部に招かれ、力強いスピーチを披露。

 

教育の重要性や平和の大切さを世界中に向けて訴え、国連によりこの日は「マララ・デー」と定められました。

 

銃撃されたのが2012年で15歳、ノーベル平和賞受賞時が17歳ということで、「少女」のイメージが強いマララさんですが、昨日の誕生日で22歳、りっぱな大人の女性に成長されたようです。

 

マララさんが声を上げ始めたのは11歳のときでした。

 

*****厳しい支配に声をあげる****

2007年、パキスタンとアフガニスタンを中心に活動するイスラム主義組織タリバンの地方部隊がスワート地区に現れ、制圧を開始。

 

「イスラムの教えに反する」として女性が教育を受けることを認めない彼らは、約200もの学校を破壊、TVや音楽なども禁止し、命令に従わない人にはムチ打ちや処刑を行うなど、恐怖で支配する。

 

マララも学校に行けなくなってしまったが、11歳の時、「グル・マカイ(ヤグルマギク)」というペンネームで、怯えながら暮らす人々の惨状やタリバンの残虐行為を英BBCのウルドゥー語版サイトのブログで発信。

 

「女子も教育を受けるべき」と声をあげると、たちまち国内外のメディアが注目して話題を呼び、政府も彼女を表彰する。【712日 「ELLE girl」】

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「マララ・デー」が制定されることになった2013年の国連スピーチは感動的でした。

 

*****1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペンでも世界を変えられる****

慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において。(中略)

 

親愛なる少年少女のみなさん、私たちは暗闇のなかにいると、光の大切さに気づきます。私たちは沈黙させられると、声を上げることの大切さに気づきます。同じように、私たちがパキスタン北部のスワートにいて、銃を目にしたとき、ペンと本の大切さに気づきました。

 

「ペンは剣よりも強し」ということわざがあります。これは真実です。過激派は本とペンを恐れます。教育の力が彼らを恐れさせます。彼らは女性を恐れています。女性の声の力が彼らを恐れさせるのです。

 

だから彼らは、先日クエッタを攻撃したとき、14人の罪のない医学生を殺したのです。

だから彼らは、多くの女性教師や、カイバル・パクトゥンクワやFATA(連邦直轄部族地域/パキスタン北西部国境地帯)にいるポリオの研究者たちを殺害したのです。

だから彼らは、毎日学校を破壊するのです。

 

なぜなら、彼らは、私たちが自分たちの社会にもたらそうとした自由を、そして平等を恐れていたからです。そして彼らは、今もそれを恐れているからです。(中略)

 

テロリストたちは、イスラムの名を悪用し、パシュトゥン人社会を自分たちの個人的な利益のために悪用しています。

 

パキスタンは平和を愛する民主的な国です。パシュトゥン人は自分たちの娘や息子に教育を与えたいと思っています。イスラムは平和、慈悲、兄弟愛の宗教です。すべての子どもに教育を与えることは義務であり責任である、と言っています。

 

親愛なる国連事務総長、教育には平和が欠かせません。世界の多くの場所では、特にパキスタンとアフガニスタンでは、テロリズム、戦争、紛争のせいで子どもたちは学校に行けません。私たちは本当にこういった戦争にうんざりしています。女性と子どもは、世界の多くの場所で、さまざまな形で、被害を受けています。

 

インドでは、純真で恵まれない子どもたちが児童労働の犠牲者となっています。ナイジェリアでは多くの学校が破壊されています。アフガニスタンでは人々が過激派の妨害に長年苦しめられています。幼い少女は家で労働をさせられ、低年齢での結婚を強要されます。

 

貧困、無学、不正、人種差別、そして基本的権利の剥奪――これらが、男女共に直面している主な問題なのです。

親愛なるみなさん、本日、私は女性の権利と女の子の教育という点に絞ってお話します。なぜなら、彼らがいちばん苦しめられているからです。

 

かつては、女性の社会活動家たちが、女性の権利の為に立ち上がってほしいと男の人たちに求めていました。

しかし今、私たちはそれを自分たちで行うのです。男の人たちに、女性の権利のために活動するのを止めてくれ、と言っているわけではありません。女性が自立し、自分たちの力で闘うことに絞ってお話をしたいのです。

 

親愛なる少女、少年のみなさん、今こそ声に出して言う時です。

そこで今日、私たちは世界のリーダーたちに、平和と繁栄のために重点政策を変更してほしいと呼びかけます。

世界のリーダーたちに、すべての和平協定が女性と子どもの権利を守るものでなければならないと呼びかけます。

 

女性の尊厳と権利に反する政策は受け入れられるものではありません。

私たちはすべての政府に、全世界のすべての子どもたちへ無料の義務教育を確実に与えることを求めます。

私たちはすべての政府に、テロリズムと暴力に立ち向かうことを求めます。残虐行為や危害から子どもたちを守ることを求めます。

 

私たちは先進諸国に、発展途上国の女の子たちが教育を受ける機会を拡大するための支援を求めます。

私たちはすべての地域社会に、寛容であることを求めます。カースト、教義、宗派、皮膚の色、宗教、信条に基づいた偏見をなくすためです。女性の自由と平等を守れば、その地域は繁栄するはずです。私たち女性の半数が抑えつけられていたら、成し遂げることはできないでしょう。

 

私たちは世界中の女性たちに、勇敢になることを求めます。自分の中に込められた力をしっかりと手に入れ、そして自分たちの最大限の可能性を発揮してほしいのです。

 

親愛なる少年少女のみなさん、私たちはすべての子どもたちの明るい未来のために、学校と教育を求めます。私たちは、「平和」と「すべての人に教育を」という目的地に到達するための旅を続けます。

 

誰にも私たちを止めることはできません。私たちは、自分たちの権利のために声を上げ、私たちの声を通じて変化をもたらします。自分たちの言葉の力を、強さを信じましょう。私たちの言葉は世界を変えられるのです。

 

なぜなら私たちは、教育という目標のために一つになり、連帯できるからです。そしてこの目標を達成するために、知識という武器を持って力を持ちましょう。そして連帯し、一つになって自分たちを守りましょう。

 

親愛なる少年少女のみなさん、私たちは今もなお何百万人もの人たちが貧困、不当な扱い、そして無学に苦しめられていることを忘れてはいけません。何百万人もの子どもたちが学校に行っていないことを忘れてはいけません。少女たち、少年たちが明るい、平和な未来を待ち望んでいることを忘れてはいけません。

 

無学、貧困、そしてテロリズムと闘いましょう。本を手に取り、ペンを握りましょう。それが私たちにとってもっとも強力な武器なのです。

 

1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、それで世界を変えられます。教育こそがただ一つの解決策です。エデュケーション・ファースト(教育を第一に)。ありがとうございました。【マララ・ユスフザイ 2013712日 16歳の誕生日にNYの国連本部で行ったスピーチ】

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しかし、祖国パキスタンにおいてさえ、マララのさんの願いは十分に受け入れられてはいません。マララさんに嫌悪感を示す人々も少なくないようです。

 

しかし、ゆっくりとではありますが、前に進み続けています。

 

銃撃後初めて祖国パキスタンに帰国したのが20184月。それまでにも帰国を望んでいましたが、安全上の懸念に加え学業で手一杯だったため、5年半ぶりにやっと祖国の土を踏むこととなりました。

 

同年3月には、念願だった女子学校を故郷のスワート郊外にある小さな村に建設しました。

 

【「デコトラ」で女子教育の重要性を訴える男性】

未だ、女子教育に抵抗を示す人々も多いパキスタンですが、マララさんと同じ思いで行動する人々もいます。

 

今朝のTV「NHK おはよう日本」で、ある男性の活動を報じていました。

 

パキスタンと言えば、ギンギラに装飾したトラック、いわゆる「デコトラ」が名物ともなっていますが、この「デコトラ」の女子教育を進めるための絵を描き続けている男性です。

 

番組は朝の出勤時にちらっと眺めただけで不正確ですが、おおよその内容は以下のようなものでした。

 

初老の男性は女性でも教育を受けることができれば、専門職にもなれる、女性の病気を治す医者にもなれると、女子教育の大切さを感じていましたが、自分の娘を学校に通わせる際にも、周囲から強い反対を受けたとか。

 

そうしたこともあって、トラックの持主とかけあって、トラック後部に女性の絵を描き(冒頭画像)、そして「私に教育を受けさせて」「前に進みたい」という趣旨の文言を添える活動を行っており、すでに70台ほどの「デコトラ」にそうした絵を描いたとか。

(【7月13日 NHK】 トラックに女子学生の絵を描く男性)

 

協力団体からの支援もあって、トラック所有者からは費用はもらっていないとのことですが、必ずしもいつも受け入れられる訳でもなく、女子教育の重要性に理解を示さない人、あるいは、そうした異論もあることから面倒に巻き込まれることを嫌い協力できない人などもいるようです。

 

こうした草の根レベルの活動が、今後更に広がっていくことを強く願います。

 

(ちなみに、328日ブログ“パキスタン・フンザの気宇壮大な眺め 「ハセガワスクール」校長との思わぬ対面に焦る”でも紹介したように、パキスタン北部フンザでは、この地で亡くなった日本人登山家長谷川氏の遺族・日本人協力者によって学校建設・運営が支援されており、女子教育においても大きな成果をあげています。)

 

【観光と「人間動物園」の境は? 少数民族カラシュに押し寄せる観光客】

個人的には、これまで2回、パキスタンを観光してきましたが、3回目はペシャワールや少数民族カラシュ(カラーシャとも)の人々が暮らすパキスタン北部の村などを観光してみたいと考えています。

 

少数民族カラシュの人々は固有の文化(アレキサンダー大王の東方遠征軍の子孫との伝承もあるようですが、史実的には異なるようです。)を持ち、特に女性の美しい民族衣装が印象的です。女性が前面に出ることが少ないエリアも多いパキスタンだけに、そのきらびやかな民族衣装は際立っています。

 

パキスタンに関するニュースが非常に少ないなかで、少数民族カラシュに関する気になる記事がありました。

 

****「動物園みたいに…」パキスタンの少数民族カラシュ、押し寄せる観光客との闘い****

パキスタン北部の村ブンブレットで、春の到来を祝う少数民族カラシュの女性)


パキスタンの人里離れた谷間の村で、少数民族カラシュの女性ら数十人が春の到来を祝う踊りに興じている。その様子をカメラに収めようと、男性の一団が躍起になっている。

 

だがカラシュの人々は、国内各地から押し寄せる観光客が、カラシュ固有の伝統文化を脅かしていると警鐘を鳴らしている。

 

カラシュはパキスタン北部のいくつかの村に暮らす少数民族で、人口は4000人に満たない。毎年春の訪れを「ジョシ」と呼ばれる祭りで迎える。祭りでは生けにえがささげられ、洗礼式や結婚式も行われる。

 

祝いが始まると、携帯電話を手にした観光客らが、鮮やかな衣装と頭飾りを身につけたカラシュの女性たちに近づこうと寄って来る。

 

女性たちの華やかな出で立ちは、保守的なイスラム教の国パキスタンでよく着られている地味な服装と見事な対照をなしている。

 

「中には動物園に来たみたいに写真を撮る人もいる」。地元ガイドのイクバル・シャーさんは語る。

 

カラシュ人をめぐっては作り話が多く、近年はスマートフォンやソーシャルメディアの普及でこれが悪化している。

 

■「コミュニティーを中傷」

動画投稿サイトのユーチューブには、「夫の目の前で」自らが選んだ相手と「堂々と性行為を行う」カラシュ人とうたい、130万回再生された動画がある。また、カラシュの女性を「美しい不信心者」と呼び、「誰でもそこへ行けば、どの子とでも結婚できる」と言い放つ動画もある。

 

カラシュ人のジャーナリスト、ルーク・ラフマット氏は「そんなことが真実であるわけがない」と一蹴する。「人々はこのコミュニティーを意図的に中傷しようとしている。話をでっち上げて……観光客がそんな考えでやって来れば、(それを)実践してみようとするだろう」

 

カラシュ人が最も多く住む村ブンブレットのホテルの支配人によると、宿泊するパキスタン人観光客の約70%が若い男性だという。どこに行けば女性に会えるかを尋ねられることもよくあるという。

 

観光を規制するのは至難の業だが、カラシュ人にとっては死活問題だ。観光収入は、このコミュニティーにとってますます重要な収入源となっているのだ。

 

■「われわれは死に絶えていく」

地元の博物館のアクラム・フセイン館長によると、カラシュ人はかつてはカシミールのヒマラヤ山脈からアフガニスタン北部に至る広大な領土に住んでいたが、今ではパキスタンで最も小規模な宗教的少数民族の一つになっている。

 

フセイン氏は「支援がなければ、われわれは死に絶えていくだろう」と話す。

同氏によれば、カラシュの伝統行事には費用がかかる。冠婚葬祭を執り行う家庭は何十頭もの動物を犠牲にする必要があるために借金がかさみ、返済のために土地や先祖代々の家を手放すことを余儀なくされている。

 

また住民の一部がAFPに語ったところでは、カラシュの女性に対してイスラム教への改宗が強制的に行われたり、拡大する観光のために「ジョシ」のような伝統行事を取りやめざるをえない人々もいる。

 

ブンブレット出身の考古学者サイヤド・グール氏は、カラシュの文化が外部の力によって侵食されつつあるのは悲劇だと語る。「女性たちはこういった(観光客の)カメラ撮影や無神経さだけのために、(行事への)参加をいやがっている」と同氏。

 

「このようなことが続けば……おそらく数年内には観光客だけになり、祭りに参加して踊るカラシュの人々はいなくなるだろう」 【630日 AFP】

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ユーチューブで拡散された「フェイク」は論外ですが(イスラムの厳しい戒律・習慣が、ときにこうした“ゆがんだ”発想を人々に抱かせるのでしょうか)、観光と「動物園に来たみたいに写真を撮る人もいる」という困惑・批判は微妙な問題です。

 

そのあたりの話はタイ北部の観光村で生活するミャンマーの「首長族」に関してとりあげたこともありますので、今回は深くは立ち入りません。(2010210日ブログ“タイの首長族観光は人間動物園か?”)

 

人権団体からは、こうした首長族観光は「人間動物園」だとの批判があります。

 

そこに暮らす人々の意思に反して、人々が押し寄せ、珍奇なものを眺めるように写真を撮る・・・ということであれば、確かに「人間動物園」との批判もあてはまるでしょう。

 

ただ、住民が「観光」収入のためと割り切っているのであれば、その物珍しさにカメラを向けるのもさほど批判されることもないようにも思えます。伝統文化へのリスペクトにあたることも。

 

ただ、その境は曖昧・微妙なものがありますので・・・・。私も、一般の人に無遠慮にカメラを向けて嫌がられることが時々あります。

 

カラシュ観光・・・・現地でどのように受け取られているのか、個人的に非常に気になるところです。

 

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