(2018年、アメリカ合衆国最高裁判所前で抗議するプロライフ派とプロチョイス派。【2020年12月15日 VOGUE】
プロライフ派(黒い四角のボード)は人工中前反対派、プロチョイス派(ピンクの丸いボード)は賛成派)
【人工中絶をめぐる問題 レイプ被害で妊娠、死産した女性が殺人罪で数十年の禁固刑になる国も】
日本は人工妊娠中絶を制度的にみとめること関しては、ことの良し悪しは別にして、あまり大きな議論にもなっていませんが、外国、特に宗教的な規範が強い国では厳しく制約されており、一方で認めるべきだとの主張もあって、国民間で激しい議論・対立となることも珍しくありません。
カトリックの影響が強い中南米は、人工妊娠中絶がほぼ認められていない国が多い地域ですが、そうしたなかで昨年末、アルゼンチンで動きがありました。
****アルゼンチン上院、人工中絶合法化法案を可決 賛成派は歓喜****
アルゼンチン議会上院は30日、人工妊娠中絶を合法化する法案を可決した。南米で中絶が合法化されている国はごくわずかしかない。
人口4400万人のアルゼンチンでは、毎年何十万件もの違法な中絶手術が行われてきた。賛成派は長年にわたり、人工中絶を合法化することによって危険な違法中絶をなくすよう、当局に訴えてきた。
上院での法案審議は12時間以上に及んだ。賛成38、反対29、棄権1で可決されると、首都ブエノスアイレスの街頭に集まった大勢の賛成派が歓声を上げた。新法では、妊娠14週目までであればどの時点の人工妊娠中絶であっても合法とみなされる。
南米には、世界で最も厳しい中絶関連法が設けられている国がある。アルゼンチンでも、これまで中絶が認められてきたのはレイプによる妊娠か母体の命に危険がある場合のみだった。
中南米で妊娠中絶が合法化されているのは、キューバ、ウルグアイ、ガイアナの3か国とメキシコ市のみ。エルサルバドルやホンジュラス、ニカラグアでは中絶は禁止されており、たとえ流産であっても女性に禁錮刑が科される可能性がある。 【2020年12月30日 AFP】
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“たとえ流産であっても女性に禁錮刑が科される”という事に関して、中米エルサルバドルで一昨年話題になった裁判がありました。
****レイプ被害で妊娠、死産して収監された女性に逆転無罪判決。エルサルバドルで続く「中絶禁止法」とは****
人権団体はこの無罪判決を「画期的」と評価。一方、中絶禁止法によりいまだに約20人の女性が流産によって刑に服しているという。
中米のエルサルバドルで、「中絶禁止法」によって収監されていた女性に対し、逆転無罪の判決が言い渡され、世界から注目を浴びている。
AFP通信などによると、エルサルバドルの控訴裁判所は8月19日、レイプ被害によって妊娠し、胎児が8カ月の時に死産したエベリン・エルナンデスさん(21)に対し、無罪を言い渡した。
エルナンデスさんは、当初、中絶をしたとして殺人罪で禁錮30年の判決を受け、2年9カ月もの間、収監されていた。(中略)
エルナンデスさんは18歳だった2016年4月、妊娠8カ月のときにクスカトラン県にある自宅のトイレで子どもを出産。彼女は出産するまで妊娠に気が付いていなかったという。
エルナンデスさんはトイレで腹痛を覚え、出産したものの胎児は死産していたと主張していた。
だが検察側は彼女が出産前のケアを受けることを怠ったとして有罪を求めていた。裁判所は2017年、エルナンデスさんに対し殺人罪で禁錮30年の判決を言い渡した。
エルナンデスさんが妊娠したのは、レイプ被害を受けたためだった。しかし、家族が脅迫されていたために恐怖を感じ、警察には被害届を出せなかったという。
控訴審で弁護側は、一審では胎児が出産前に死亡していたとする法医学的証拠が見逃されていたと主張。検察側は一審判決より重い禁固40年を求刑していた。
検察側が期限である8月29日までに上告するかが注目されている。
エルサルバドルで問題となっている「中絶禁止法」とは
カトリック教徒の多いエルサルバドルでは1998年以来、あらゆる状況で中絶を禁じている。
中絶禁止法と呼ばれるこの法制度では、違反した場合に禁固2~8年となるが、さらに重罪である加重殺人で有罪となる場合が多く、最大で刑罰は禁錮50年となる。
2013年には、出産直後に死亡する可能性の高い胎児を妊娠しており、自らも難病を抱え、妊娠の継続が困難だった女性が特例的な堕胎許可を求めていたが、裁判所が不許可とした。
当時の保健相も、裁判所に中絶の特例許可と、堕胎手術を行う医師に対する刑事免責を求めていた。女性は妊娠27週で帝王切開し、女児は数時間後に死亡した。
1992年の内戦終結後、内政不安のなかでカトリック教会がキャンペーンを開始し、そのなかで中絶禁止が盛り込まれた法律が1998年に成立。
2016年には、野党が最大禁固8年としている中絶禁止罪の刑罰を50年に引き上げるよう法改正を提案している。
AFP通信によると、2019年3月には、流産したことで加重殺人で有罪となり、禁錮30年の刑となり収監されていた女性3人が釈放された。しかし、同様の罪で約20人の女性が今も刑に服しているという。
米州人権委員会はエルサルバドル政府に対し、中絶によって女性に対し実刑判決を下す制度について見直しを求める報告を、2019年1月に公表している。【2019年08月21日 Shino Tanaka氏 HUFFPOST】
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人工中絶に対する考え方はいろいろあるとは思いますが、上記エルサルバドルの中絶禁止法が「欺瞞」「偽善」に思われるのは、ギャングの横行によって同国が世界でも最も殺人が多い、「世界一治安の悪い国」としてランキングされることがしばしばあるからです。
そのため、多くの国民が自国を捨ててアメリカに難民として向かっています。
ギャングの横行とは書きましたが、そうした事態を許している背景に政治の腐敗があろうことは想像に難くありません。
そんな国で、レイプ被害で妊娠、死産した女性を殺人罪で数十年の禁固刑を課す・・・笑止です、欺瞞・偽善です。
政治・司法やるべきことは、他にあります。
【アメリカで保守・リベラルを分かつ問題 医療施設・医師への爆破・殺人・放火も頻発】
宗教保守派の影響力が強いアメリカでも、人工中絶問題は国論を激しく二分する大問題です。
大統領選挙でしばしば争点となります。先の選挙でも。
2019年5月21日ブログ“アメリカ 次期大統領選挙論点として再燃した人工中絶問題”
日本人が想像できないのは、この人工中絶問題をめぐる対立は、単に“議論”ではなく、しばしば医療関係者・施設への暴力事件に及ぶことです。
****米コロラド州で男が銃乱射 3人死亡、9人負傷****
米西部コロラド州コロラドスプリングズで27日、男が銃を乱射し、少なくとも3人が死亡、警察官4人を含む9人がけがをした。CNNなどが伝えた。米メディアによると、27日昼ごろ、コロラドスプリングズの医療施設「家族計画クリニック」で銃撃があったと通報があった。
警官隊と容疑者の男との間で銃撃戦になり、目撃者によると5分間で20発ほど銃声が聞こえたという。(中略)同クリニックは妊娠中絶や性感染予防などのケアをしている。米国では人工妊娠中絶の是非を巡り、大きな議論になっており、中絶に反対する人々は同クリニックなどを批判している。
米メディアによると、1977年から14年まで、人工中絶をする施設を狙った爆破事件は42件、殺人事件は8件、放火事件は182件起きているという。【2015年11月28日 朝日】
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もっとも、アメリカの人工中絶件数自体は近年、以前より大きく減少しています。
****米国の中絶率、過去最低に その理由は?****
アメリカの人工妊娠中絶率が、 連邦最高裁が人工中絶を女性の権利として認めた1973年の「ロー対ウェイド」判決以降で最も低くなっていることが、9月18日に発表された最新の調査結果で明らかになった。専門家は、中絶率の減少理由を特定するのは難しいとしている。
中絶権を支持するガットマッハー研究所は、2017年に約86万2320件の人工中絶が行われたと推定している。これは、2011年の約20万件を下回っている。ピークだった1990年には約160万件の中絶が行われていた。
10年近くにわたり、保守的な州や自治体の政治家が中絶を規制しようと取り組んできたが、同研究所は、中絶件数の減少は必ずしも新しい法律が関係しているわけではないとしている。(後略)【2019年11月18日 BBC】
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【最高裁判断に反する州議会決定 敢えて法廷闘争に持ち込むのが狙い】
前期記事にもあるように、1973年にアメリカ最高裁は女性の中絶の権利を認めた「ロー対ウェイド判決」を出しました。
しかし、その後も論議が絶えず、先の大統領選挙中に再びこの問題を論点とすべく、アラバマ州議会はレイプや近親相姦(そうかん)による妊娠も含め、中絶をほぼ全面的に禁止するという全米で最も厳しい法案を可決し、他州にも類似の動きが。
中絶容認派は最高裁決定に反する憲法違反として無効の訴えを起こしますが、中絶禁止派の狙いはまさにそうした裁判闘争に持ち込むこと。
たとえ地裁・高裁レベルで「無効」とされても最高裁に持ち込めば、トランプ大統領が保守派判事を増やしたことで、「ロー対ウェイド判決」を半世紀ぶりにひっくり返すことが可能だからです。
【トランプ前政権下で保守派優位となった最高裁判事 人工中絶に関する半世紀ぶりの判断変更の現実味】
トランプ前大統領の行った施策の多くがバイデン大統領によって無効とされたり、見直しが行われていますが、唯一手が付けられないのが前政権によって任命された終身制の最高裁判事の人選。
人工中絶問題の他、銃規制、難民問題、いわゆるオバマケア問題など、国論を激しく二分する問題は、アメリカでは議会・政治ではなく最高裁決定で決着がつくことが多々あります。
そのため、大統領の最大の仕事は、個々の政策決定ではなく、任期中にいかに自派の主張に近い判事を最高裁に送り込むかにあります。いったん送り込めれば、その判事が亡くなるまで何十年も影響を持ちます。
その点でトランプ前大統領は3人の保守派判事を任命し、最高裁判事の保守・リベラルのバランスを一気に保守派優位に持っていくという「大成果」をなしとげ、この影響は今後のアメリカを5年、10年、あるいはそれ以上大きく制約します。
民主党政権が決定した政策を最高裁に持ちこめば、ことごとくひっくり返せるということにも。(もちろん各判事は事実関係を公正に審議し、各自の信念・良識に基づいて判断するのでしょうから、それほど単純でもないのでしょうが・・・そうあって欲しいと言うべきか)
2020年9月22日ブログ“アメリカ 最高裁判事後任人事をめぐる問題 あらゆるものを政治化するトランプ政治”
上記のような共和党主導の保守派の強い州で敢えて最高裁判断に反する人工中絶禁止法が制定され、それが最高裁に持ち込まれる・・・最高裁はトランプ前大統領によって大きく保守派優位に変わっている・・・という状況で、ことが動き始めています。
****米最高裁、中絶の合憲性審理へ 保守派主導で判断覆る可能性も*****
米連邦最高裁は17日、人工妊娠中絶を制限する南部ミシシッピ州の州法が違憲だとする下級審の判断について、州当局の上告を受理すると発表した。
最高裁は1973年に中絶は女性の権利だとして最長で妊娠28週までの中絶を容認したが、現在の最高裁は9人の判事のうち6人が中絶を制限する傾向の強い保守派で、約半世紀ぶりに判断が覆る可能性がある。
米メディアによると、州法は妊婦の命に関わる場合などの例外を除き、妊娠15週より後の中絶を禁止する内容で、2018年3月に成立した。成立直後に連邦地裁が州法の施行差し止めの仮処分を命令。地裁に続き高裁も違憲と判断したため、州当局が最高裁に上告していた。
米メディアによると、最高裁は21年10月以降に審理を始め、22年6月までに判断を下すとみられる。22年秋には連邦議会議員や知事を改選する中間選挙を控えており、国論を二分するテーマでの司法判断は選挙の行方にも影響しそうだ。
最高裁は20年6月、人工妊娠中絶を大幅に制限する南部ルイジアナ州の州法は違憲だとする判断を下した。このときは保守派の判事の一人が違憲判断に回り、5対4の僅差だった。
しかし、リベラル派のギンズバーグ判事の死去を受け、20年10月に保守派のバレット氏が新たに就任したことで、保守派とリベラル派の構成は6対3となっている。【5月18日 毎日】
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“保守派とリベラル派の構成は6対3”という状況では、半世紀ぶりの最高裁判断変更の可能性が高いように思われます。
保守派からすれば、トランプ前大統領が蒔いた種が、民主党・バイデン政権下にあって大きく花開くということにもなります。
【最高裁改革の動きはあるものの、政治的には困難】
なお、アメリカ最高裁のこうした実情には批判・疑問も投げかけられてはいます。
****米最高裁改革の検討委員会が初会合、6カ月以内に報告****
米連邦最高裁判所の改革について検討するためバイデン大統領が設置した委員会の初会合が19日に開かれた。判事の増員などについて検討し、6カ月以内に報告書をまとめる。
36人で構成される超党派委員会は、オバマ政権時代に司法省で勤務したエール大法科大学院のクリスティーナ・ロドリゲス教授と、同じくオバマ政権でホワイトハウスの法律顧問だったニューヨーク大法科大学院のボブ・バウアー教授が共同委員長を務める。
ロドリゲス氏は、委員会で勧告をまとめることはせず、具体的な改革案の「利点や合法性」を検討すると述べた。
バイデン大統領は4月9日、現行9人の判事の増員や、終身制に代わる任期導入などの改革について検討する委員会設置の大統領令に署名した。
委員会では、最高裁の権限の範囲や、議会で成立した法律を無効にする権限などについても検討する。
トランプ前大統領は任期中に3人の最高裁判事を任命し、現在は6対3で保守派が多数となっている。
民主党のリベラル派議員グループは4月、判事の定員を4人増やして13人とする法案を提出した。ただ、ホワイトハウスや民主党幹部は法案を進めることに消極的で、委員会に検討を委ねたい考えだ。【5月20日 ロイター】
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現実問題としては、保守派が手にしている大きな「成果」をやすやすと手放すことは考えられませんので、この改革を進めようとすると「分断」が更に火を噴くことにもなります。混乱の中で改革はとん挫することも想像されます。
ホワイトハウスや民主党幹部は法案を進めることに消極的というのはそうしたことを想定してのことでしょう。
人工中絶問題で「逆転」が成功すれば、他の問題も次々に・・・
トランプ前大統領の「リベンジ」の幕開きとなるかも。