(壁に書かれたシサノ元大統領を称える言葉の前を行くバナナ売り モザンビーク
“flickr”より By Pesterussa
http://www.flickr.com/photos/pesterussa/82615866/)
【1位モーリシャス 最下位ソマリア】
サハラ以南のアフリカ48か国中、約3分の2にあたる31か国でガバナンス(国の統治)が向上したそうです。
いささか「へえー、そうなの?」と言いたくもなりますが、認識不足なのでしょう。
アフリカのガバナンス向上とアフリカへの投資の呼び込みを目指すモ・イブラヒム基金というところが発表したものです。
スーダン人のモ・イブラヒム氏から提供されている基金で、イブラヒム社は携帯電話で富を築いた企業だそうです。
****サハラ以南のアフリカ諸国の大半でガバナンス向上*****
指標は、2005-06年のデータをもとにしたもの。エチオピアの首都アディスアベバで記者会見した同基金創設者のモ・イブラヒム氏は、アフリカでは人権の尊重と政治参加の2点で大きな改善が見られたと語った。
指標の上位は、島国が独占した。1位はモーリシャスで、100点満点中85.1点、2位はセーシェル、3位はカボベルデ。以下、ボツワナ、南アフリカと続く。
また、改善率が最も高かったのは、38位にランクしたリベリアだった。
最下位はソマリアで、指標は前年からさらに下げて18.9点だった。
アフリカの角(ソマリア、エチオピア、ジブチ)は、サハラ以南では唯一、指標を下げており、中でも人権侵害が横行するエチオピアの下げ幅が大きい。【10月7日 AFP】
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“カボベルデ”・・・初めて名前を聞く国ですが、西アフリカのセネガルの沖合いにある諸島からなる国です。
小さな島国以外では、ボツワナ、南アフリカということですが、南アフリカでは隣国ジンバブエの政治・経済混乱から流入した大量の難民・移民労働者をめぐって、大勢の死傷者をだす外国人排斥運動がおきています。
そのことだけ見ても、いささか「どうかな・・・」という感じがします。
ソマリアの最下位、アフリカの角の国々での悪化は、うなずけるところです。
【固定観念】
ただ、アフリカというと紛争・内乱・混乱などをイメージしてしまうのは、やはりステレオタイプな固定観念なのでしょう。
多くの国々で改善の取組みがなされているのでしょう。
固定観念についていえば、政治・経済あるいは人権侵害といった話だけではありません。
例えば、
“スワジランド国王ムスワティ3世に捧げられる毎年恒例のダンスの儀式「リードダンス」が、首都ムババーネ郊外の宮殿で開催され、過去最高の7万人の少女たちが参加した。
若い処女のみの参加が許されるこの儀式の最終日には、カラフルな伝統衣装をまとった少女たちが各地から集合し、自分たちの文化と美徳への誇りをダンスに込めた。最年少の参加者は6歳だ。
ムスワティ3世には13人の妻がいるが、ダンサーの中から気に入った女性を14人目の妻にめとる可能性もある。「王様に選ばれることは、至上の幸せ。わたしもいつか(妻になって)宮殿の1つをあてがわれたいものだわ」と、(参加者のひとり)Hlongwaさんははにかみながら話した。【9月2日 AFP】”
といった記事を目にすると、つい“鼻に骨をさした現地の人がドラムを叩いている”そんな大昔の漫画のイメージを思い浮かべてしまうのですが、それは現地の風俗・文化を理解していない偏見というものなのでしょう。
しかし、アフリカで今も紛争・混乱が絶えないのも事実です。
なぜか?
その問題についてコンパクトにまとめた記事を、たまたま今日目にしました。
****飢餓と紛争は減ったのか? ひとくくりに語れないアフリカ大陸事情****
過去に比べ、アフリカの紛争は減少傾向にある。しかし、依然として国連平和維持活動(PKO)の半数がアフリカに集中し、難民の数も膨大だ。
紛争の原因はさまざまだが、第二次世界大戦後まで列強、つまり欧米諸国がアフリカを支配していたことに主因がある。
約900もの民族がひしめくアフリカ大陸だが、列強は彼らの生活を無視し自らの都合で、国境を線引きした。また、効率的に支配するために、一部の少数民族を支配者側に取り込み、優遇したケースもあった。それが今でも尾を引いているのだ。
映画にもなったルワンダでの虐殺はその典型例だろう。ドイツやベルギーが少数民族のツチを優遇したために、後にフツの恨みを買い80万もの人びとが殺されたのだ。
一方、近年では原油や食料などの資源価格が高騰していることも紛争の原因となっている。
ナイジェリアでは欧米の石油メジャーがナイジェリア人の権益を不当に奪っているとして資源ナショナリズムともいえる民族運動が頻発。暴動のニュースが流れるたびに原油の国際価格が乱高下している。
また、アフリカ諸国は食料の多くを輸入に頼るため、食料価格の値上がりを理由に暴動が多発し、死者も出ている。最近だけでも、エジプト、エチオピア、モロッコ、カメルーンなどなどの名前が挙がる。
反対に資源価格の高騰で政情が安定するケースもある。
たとえば、アルジェリアでは反政府組織によるテロが頻発していたが、資源価格高騰により力をつけた政府が鎮圧に成功した。
このようにアフリカには、安全な地域とそうでない地域がまだら模様になっているのだ。
地理的に遠く離れていること、情報が少ないことなどから、日本ではアフリカ大陸というと即、飢餓や紛争、難民のイメージを結び付けてしまう傾向がある。
しかし、アフリカでのビジネスに長くかかわってきた加藤裕・伊藤忠商事執行役員機械カンパニー産機ソリューション部門長は「そもそも、アフリカ大陸全体をひとくくりに見てはいけない」と説く。
たとえば、北部のチュニジア、アルジェリア、モロッコなど「マグレブ」と呼ばれる地域の街並みはヨーロッパに近く、比較的安全だ。紛争は、サハラ砂漠より南の「サブサハラ」地域に集中しているのだ。
また、アフリカ大陸随一の大国、南アフリカ共和国内部には先進国並みに治安のよい地域もあれば、非常に危険な地域もある。特に、最近では政情が不安定なジンバブエから流入した難民への排斥運動が起こり、40人以上が死亡している。アフリカといってもいろいろなのである。【10月11日 DIAMOND online】
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“欧米諸国のアフリカ支配”がアフリカの現状に大きな影響を与えていることは間違いないところです。
どの程度その影響をみるか、現状の主因がその点なのか・・・ということについては、いろんな考え方もあるところでしょうが。
【シサノ元モザンビーク大統領の「モ・イブラヒム賞」】
なお、冒頭のモ・イブラヒム基金では、グッド・ガバナンス(良い統治)で功績を残した人物に贈られる「モ・イブラヒム賞」も創設しています。
第1回の前年は、モザンビーク(マダガスカルの対岸の国)のシサノ元大統領が受賞したそうです。
シサノ氏は1986年から2005までモザンビークを導いた大統領で、それまでの社会主義的な政策をあらため自由主義的な政策と石油・天然ガスなどのエネルギー開発で、内戦によって疲弊した国を建て直し政治的安定と経済成長(年率8~10%)をもたらしたとして国際的に評価されている人物です。
先日来日して講演会があったようです。
その講演を紹介した「日々雑記いろいろあらーなカルスタクラブ」というブログ
(http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/haruniwa/diary/200808A)を読むと、
「内戦、civil warとは、国内の市民同士が戦うことをいう。しかし、モザンビークでの戦いは、モザンビーク市民と、モザンビークの独立を阻止しようとする外国勢力の戦いでした」
(“開発”ということについて)「ことば云々でなく、開発後の富が国民に還元されることが大事」
「平等と自由こそ平和への道」
といったようなことを語っているようです。
その施策や功績についてはまったく知りませんが、シサノ元大統領について特筆すべきは、国の運営が軌道にのったあと自発的に大統領の座を明け渡していることです。
多くのアフリカの指導者のようにいつまでも権力にしがみついたり、一族で富を独占したり・・・そういうことはやっていないそうで、退任後は「シサノ財団」を設立し、国民の教育や福祉のために働いているとか。
額面どおり受け取ってよければ、たしかに“アフリカのノーベル賞”を目指す「モ・イブラヒム賞」にふさわしい人物かも。