
(タンルウィン川をボート移動中に目にした警備艇 10年前はこんな写真を撮ったらトラブルになりました。今でもよくなかったかも・・・・)
ミャンマー旅行4日目
モン州の州都モウラミャインからカイン(カレン)州の州都パアンへ移動。
移動と言っても、この2都市は非常に近く、バスでも2時間ほど。
バス移動を予定していましたが、昨日見つけたボートを利用してタンルウィン川を遡ることにしました。
数名しか乗れない小舟ですが、自動車から取り外したソファが置かれ、リクライニング状態の快適さです。
途中1時間ほどの観光を含め4時間でパアン到着。
州都とは言うものの、随分と小さな田舎町のように見えますが、ボート乗り場やホテル周囲がそういうエリアで、もっと都市っぽいエリアがほかにあるのでしょう。
ここ数日のメディア情報を見ると、ミャンマー関連では、北東部シャン州の中国国境付近における少数民族武装組織と政府軍の衝突が報じられています。
****武装勢力が軍・警察攻撃、8人死亡・・・・ミャンマー****
ミャンマー北東部シャン州で20日、少数民族の武装勢力が国軍や警察の拠点を襲撃し、民間人を含む8人が死亡、29人が負傷した。
同国政府によると、カチン独立軍(KIA)などの3組織が未明から明け方にかけ、軍の駐屯地や警察署に攻撃を仕掛け、橋を爆破するなどした。現場は中国との国境付近で、戦闘を恐れた住民がミャンマーから中国側に避難した。
ミャンマーのテイン・セイン前政権は昨年10月、8組織と停戦協定を締結したが、KIAなどは参加しておらず、和平の前提となる全土停戦は実現していない。
中国外務省の 耿爽 ( グォンシュアン )副報道局長は21日、ミャンマーとの国境近くで住民1人が流れ弾に当たって腕を負傷したと明らかにした。現地当局は、ミャンマーからの避難民を保護し負傷者を手当てしているという。【11月21日読売】
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カチン独立軍(KIA)、タアン民族解放軍(TNLA)、ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)の三つの少数民族武装組織が20日未明以降、シャン州北部にある政府軍や警察の施設、橋などに相次いで攻撃を加えたとのことで、一部の戦闘地域からの流れ弾が中国領内に着弾し、中国人住民1人が腕を負傷したと中国メディア環球時報が伝えています。【11月22日 Record chinaより】
中国軍も警戒態勢を取っていると報じられています。中国国境での中国を巻き込んだ衝突は、中国系コーカン族が組織する「ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)」による衝突など、以前からみられるもので、今回に限った話ではありません。
スー・チー国家顧問は全組織を網羅した全国的停戦合意に意欲を示していますが、カチン独立軍(KIA)などは未だ強硬なようです。あるいは、今後の停戦交渉へ向けたアピールでしょうか。
“ミャンマーは人口の約7割をビルマ族が占めるが、ビルマ族以外にシャン族やカレン族など大小135の民族が存在する。その多くは中国やタイ、インドなどの国境周辺の山岳地帯に暮らしている。ミャンマーが英国から独立した1948年以来、中央集権的な統治体制を敷いたビルマ族に反発した少数民族が武装闘争を展開してきてきた。”【2015年10月16日 Cilsien – ASEAN Info Clips】
少数民族問題は、密貿易などの経済利権をめぐる争いであるとも言われています。
衝突があった中国と接するシャン州は、現在私がいるカイン州からは遠く離れています。
カイン州はタイと国境を接し、対タイ交易が盛んなようです。
(モウラミャインのホテルのWiFi環境もよくなく、ページを開くのに2回、3回トライしないといけないといった具合だったのですが、パアンのホテルはもっとひどく、室内ではお手上げ状態です。フロント付近ならなんとか使えるのですが、椅子は固いし、蚊はいるし・・・・そんな事情で、情報検索も必要最小限ですますしかない状況です。)
以前はカイン州も、カレン民族同盟(KNU)、その軍事組織であるカレン民族解放軍(KNLA)が、国内では最大規模の勢力を擁して政府軍と対峙していました。
****カレン民族同盟****
カレン民族同盟(KNU= Karen National Union)は、ミャンマー(ビルマ)の反政府運動政治組織。ミャンマーの反政府武装組織としては最大の規模を誇り、ミャンマーとタイ国境地域に解放区・コートレイ(Kawthoolei)を持つ。
1948年のミャンマー独立以降、ミャンマー(ビルマ)連邦政府と軍事衝突を含む敵対関係を続け、その過程で軍事部門としてカレン民族解放軍(KNLA)を結成している。
KNUは1976年から2000年までボー・ミャ議長が最高指導者として君臨していた。KNUの主な活動資金源は、ミャンマーとタイの国境地帯で闇市場での密貿易を管理することによって得ていた。
1988年軍事政権に対する反政府暴動後、ミャンマー軍事政権は中国に接近し援助を得たことで軍事力を強化した。これに先立つ1992年から軍事政権は少数民族武装勢力へ停戦か戦闘継続かを選択させ、多くの少数民族と停戦に合意していった。
1994年に連邦軍の攻勢により、KNUの勢力圏は縮小した。また、KNLAの一部の仏教徒兵士は、民主カレン仏教徒軍(DKBA)を称し、軍事政権側へ離反した。
連邦軍の攻勢後もKNUとKNLAはゲリラ部隊を作り連邦軍との間で武装闘争を継続するとともに、ミャンマー・タイ国境地帯に根拠地を設営し一定の支配領域を確保した。現在、タイ国内の難民キャンプには内戦を逃れた約12万人のカレン民族が生活している。
軍事政権(国家平和発展評議会)との間で和平交渉を継続していたが、2012年1月12日に停戦合意に至った。これは米国などが経済制裁解除のための条件として民主化などとともに少数民族との停戦を挙げており、テイン・セインのもとで軍事政権が方針を転換したことによる。現在はビルマ連邦国民評議会に参加している。【ウィキペディア】
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テイン・セイン政権は2015年10月15日首都ネピドーにて、停戦合意を模索していた少数民族武装勢力のうち8組織との停戦協定署名を行いましたが、カレン民族同盟(KNU)も民主カレン仏教徒軍(DKBA)もその中に含まれています。
ただ、カレン民族同盟(KNU)と政府軍の関係が実際どのようなものなのかは知りません。
今日、ボートでパアンに向かっていた際に、パアンも近くなったあたりで、のどかな周囲の景色とは場違いな、ものものしい銃座をしつらえた比較的大きな警備船を見かけました。
何を対象とした警備船でしょうか?タイとの非合法交易でしょうか?タンルウィン川はタイとの国境を流れ、遡るとシャン州を経て中国に至ります。
タイ北部、ラオス、シャン州、中国雲南省が接するこのエリアは、第2次大戦後、国民党勢力が一時支配していたり、麻薬組織が実効支配したりと、歴史の表側とは異なるものが蠢くエリアでもありました。
ホテルチェックイン後、バイクタクシーで近場の観光スポットに向かった際には、自動小銃を手にした男性数名を乗せたピックアップが追い抜いていきました。(いわゆる軍服ではありませんでした)
ドライバーに「あれは政府軍か?」とも尋ねたのですが、回答内容は理解できませんでした。
のどかな風景とは異なるそんなものを見かけたこともあって、ミャンマーの少数民族問題が改めて気になった次第です。
中国国境沿いでもめている勢力は、ミャンマー国民としての少数民族と認識されていますが、少数民族とも認知されていない、つまりミャンマー国民とは認められていないのが、西部のラカイン州に暮らすロヒンギャです。
ロヒンギャの問題は再三取り上げてきたところですので、WiFi事情もよくない今日はパスします。
関連記事が1件だけ。
****米欧、ミャンマーの危機対応に懸念 少数民族襲撃めぐり=情報筋****
米欧各国はミャンマー北西部で続く暴力行為をめぐり、アウン・サン・スー・チー政権の対応に懸念を強めている。米国のパワー国連大使は、ミャンマーが自力で危機に対処できない可能性があると、外交官らに非公式に警告した。
北西部ラカイン州では、治安部隊によるとみられる襲撃で、イスラム系少数民族ロヒンギャ数百人が隣国バングラデシュの国境沿いに逃走した。
パワー大使は、米国の要請で17日にニューヨークで開催された安全保障理事会の非公開会合で懸念を表明した。
会合について説明を受けた2人の外交官によると、パワー大使は「ミャンマーに独力で改革への道を歩ませるという国際社会の当初の熱意は、現時点では危険だと思われる」と述べたという。
情報筋によると、スー・チー氏は首都ネピドーで翌日開かれた外交官らの会合で、ミャンマーが不公平に扱われていると発言。一方、支援を見直しや治安部隊の権利乱用に関する調査に着手することに合意したという。【11月24日 ロイター】
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「ミャンマーに独力で改革への道を歩ませるという国際社会の当初の熱意は、現時点では危険だと思われる」というのは、ミャンマー政府・軍に任せていたらとんでもないことになる・・・という懸念でしょうか。
かねてより、ロヒンギャ弾圧は国軍・警察なども加担して行われていると言われています。
彼らしてみれば、ロヒンギャはミャンマー国民ではなく、不法侵入者にすぎませんから。
圧倒的な反ロヒンギャ感情が国民にあるなかで、スー・チー氏もなかなか身動きがとれない問題です。