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(タンビュッザヤ「死の鉄道博物館」敷地内に置かれたC56形蒸気機関車と旧日本軍兵士と思われる人形)
ミャンマー・モン州の州都モウラミャイン3日目
今日は、山頂のがけっぷちに落ちそうで落ちない微妙なバランスで鎮座している大きな岩を祀ったアラボー・パヤーを見学したのち、市内に戻ってマーケットや博物館を一人でブラブラ・・・といったメニューです。
ホテルではブログを書いたり、情報集めのほか、時間があればテレビを眺めることもあります。
もちろん現地語ですから内容はわかりません。
それでも、ドラマであれば現地生活の様子とか、CMであれば現地の人が憧れる生活の一端が窺えたりして、結構面白いこともあります。
イスラム圏であれば、CMに出てくる女性はほとんどスカーフをしていなかったり、ドラマの中の慎み深い役柄の女性はスカーフをしており、悪役の女性はしていなかったり・・・・とか。
昨夜もチャンネルを切り替えていると、日本語が聞こえてきました。
ミャンマーのドラマで、第2次大戦中の農村が舞台のようです。
内容はまったくわかりませんが、日本語が多少できる男性が村にいて、若い別の男性にも日本語を教えたりしています。
そこへ日本軍がやってきます。日本語がわかる男性と若者は日本軍の協力者みたいになって、日本軍に抵抗する家族や他の村人と対立します・・・・なんだか、そんな状況のようでした。
日本軍は徹底して残忍に描かれています。
村の女性に襲いかかる日本兵も。ただ、若い妹がいるという日本軍指揮官はそうした暴行を許さず、襲った兵士を射殺したりも。
低予算の学芸会に毛のはえたような程度のドラマですから、日本軍の描写など恐ろしくマンガチックです。
別にそれをとやかく言うつもりもありませんし、日本軍の暴虐・残忍さについても、実際いろいろと侵略行為もあったのも事実ですから、それについてもとやかく言うつもりもありません。
反日ドラマと言うと中国や韓国のものが思い浮かびますが、中国・韓国だけでなく、旧日本軍の侵略は広く東南アジア全体に及んでいますので、こんなドラマもできるのでしょう。
見ていて何とも気になったのは、日本軍指揮官と日本語わかる村の男との会話は日本語でなされるのですが、指揮官役の役者さんの日本語がひどくて、ほとんど意味がわからないぐらいだったこと。また、指揮官の部屋に日本語とおぼしき漢字で書かれた壁掛け・掛け軸などが飾ってあるのですが、これも判別できない代物だったことなど。
ミャンマーにも日本人も大勢いるわけですから、いくら低予算ドラマとはいっても、もう少し日本語っぽくしてほしかった・・・。
(指揮官の妹役の女性の日本語は、比較的上手でした)
現実の話にもどると、ミャンマーを旅行していると、あちこちで旧日本軍関連の慰霊碑とかお寺などに出くわします。
マンダレーを旅行した際に訪れたザガインの丘にはインパール作戦関連の慰霊碑なども。
(「ミャンマー2007・・・ザガイン 慰霊碑のたつ丘」http://4travel.jp/travelogue/10118893)
旧日本軍とミャンマーのかかわりで言えば、ビルマとタイを結ぶ泰緬鉄道建設の歴史もあります。
****泰緬鉄道*****
泰緬鉄道(たいめんてつどう)は、第二次世界大戦中にタイとビルマ(ミャンマー)を結んでいた鉄道。旧日本陸軍によって建設・運行されたが、戦後連合国軍によって部分的に撤去され、現在はナムトックサイヨークノイ停車場で途切れている。
日本軍の公式名称は泰緬連接鉄道。英語名称は「Thai-Burma Railway(またはBurma Railway)」だが、大量の死者を出した過酷な建設労働から英語圏ではむしろ「死の鉄道(Death Railway)」の名で知られる。(中略)
建設の作業員には日本軍1万2000人、連合国の捕虜6万2000人(うちイギリス人6904人、オーストラリア人2802人、オランダ人2782人、アメリカ人133人の合計1万2621人が死亡)のほか、募集や強制連行による「ロウムシャ」と呼ばれた労働者 ➖ タイ人数万(正確な数は不明)、ミャンマー人18万人(うち4万人が死亡)、マレーシア人(華人・印僑含む)8万人(うち4万2000人が死亡)、インドネシア人(華僑含む)4万5000人が使役された。
建設現場の環境は劣悪で、特に工事の後半は雨季にもかかわらずさらなる迅速さが要求され、食料不足からくる栄養失調とコレラやマラリアにかかって死者数が莫大な数に上り、戦後に問題となった。
犠牲者数は日本側とタイ・ミャンマー側の調査で食い違いが出るが、総数の約半分と言われる。
特に、巨大な一枚岩を掘り下げるなどしたヘルファイアー・パスと呼ばれる箇所や、断崖絶壁に沿わせるように木橋を建設したアルヒル桟道橋など未開発の地帯では、工作機械不足と突貫工事による人海戦術のため死者が多かったという。
こうした労働者の多大な犠牲のもと、当初5年は掛かると言われた建設が翌年10月には完成した。【ウィキペディア】
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犠牲者数やその実態については、南京事件など同様にいろいろの意見もあるところでしょう。
1979年に、泰緬鉄道で使用されていた2両のC56形蒸気機関車が帰還を果たし、その一両は東京・九段の靖国神社内の遊就館に保存されています。
日本側では靖国神社に奉納された戦果であり、ミャンマー・タイ・連合国側にとっては「死の鉄道」であるという加害者・被害者間の落差に、日本側も十分に留意する必要があると考えます。他の類似の戦前・戦中の出来事同様に。
昨日訪れたタンビュッザヤは、泰緬鉄道建設のミャンマー側起点であり、「死の鉄道博物館」があります。
また敷地内にはジャングルに埋もれていたC56形蒸気機関車も展示されています。
博物館から5kmほど離れた場所には、鉄道建設などで犠牲になったミャンマー人労働者を慰霊した「ジャパンパゴダ」も。
慰霊碑には「泰緬連接鉄道完成之秋ニ方リ 碑ヲ「タンビザヤ」ニ建テ 緬側人柱之霊ヲ慰ム」の文言が、緬側建設部隊長 佐々木陸軍大佐の名前で記されています。
碑の建設は昭和19年2月、当時においても日本軍兵士犠牲者だけでなく、現地労働者の犠牲に対する思いが軍内にもあったと思われ、やや救われた感も。
連合国軍捕虜は・・・という思いもありますが。
なお、連合国側兵士については、これも博物館近くに、公園様にきれいに整備された戦没者墓地が作られています。
戦後の捕虜虐待に関する裁判において、弁護側は“俘虜を使用しての工事の決定・計画は大本営が決めたことで現地部隊は決定に関与していないこと、鉄道建設使役者の健康に対して適切な注意と保護ができなかったのは、雨季が例年より早く到来して交通が途絶し、コレラが突発的に発生したためで、医薬品や食糧の欠乏も故意に行ったわけではないこと、また全体的に不足していたのであって、捕虜に対して差別的な扱いをしたわけではないことを主張した”【ウィキペディア】とのことです。
なお、“戦犯裁判は、連合軍の俘虜の虐待・虐待致死についての裁判であり、アジア人労働者の虐待に対する裁判はどこの国によっても行われていない”【同上】とも。
「死の鉄道博物館」展示品によれば、スー・チー氏の父アウン・サン将軍は、1946年12月にタンビュッザヤで行われた泰緬鉄道建設従事を強制され亡くなった犠牲者を悼む慰霊際において「So long as injustice and oppression and exploitation of man by man and naition by nation continue the world must come time and again to fall into the grips of Nemesis」と語っているそうです。Nemesisとはギリシャ神話の「復讐の女神」とか。